村田エミ|転勤妻・専業主婦として孤高に生きる
これまで私が旅して撮った写真をまとめています!
専業主婦歴10年。 新卒入社した会社を、お局と言われ定年退職するまで働く所存だった私は、紆余曲折あって専業主婦になりました。 簡単に経歴をご紹介。 新卒で入社した金融機関で働いていましたが、夫の転勤先の県に私が転勤できる支社がないとの事で、退職か別居の2択に迫られる 当時はそれがベストな選択だと思っていたけど、少しずつ気持ちにズレが生じてきて、なんで退職しちゃったんだろって思い始める(笑) 金融機関で働いていた経験を活かして、経理のパート 妊娠を機に退職 長男を出
いい年した38歳・3児の母の私。 8月5日の23時前、私は嗚咽をあげながら号泣していました。 パリオリンピックで日本がイタリアに敗戦そう。 いい年下38歳の私が、なぜ号泣なんてしたのか。 それは、パリオリンピックで日本がイタリアに敗戦したから。 負けたことはもちろん悔しかったけれど、こんなにエキサイトした試合、久々に見たから。 選手全員が死力を尽くして、今のベストパフォーマンスを出していた。 その姿に私は感動したから。 バレーボールってこんなにも楽しいスポーツなんだ
2024年はオリンピックイヤー。 オリンピックの切符をかけて、各地で各競技熾烈な戦いが繰り広げられています。 37歳、3人の子の母である私もかつて(勝手に)オリンピックを目指した人間の一人でもあります。 (勝手にです。私が一人で勝手に目指していました。) なんの種目でかって? そりゃ、バレーボールです。 現在(2024年6月14日)、男子も女子もネーションリーグが開催されています。 現在は競技から10年以上も離れていて、既にバレーボール見る専の私もわざわざユーネクスト
子どもの学校の行事や委員会の集まりで毎日イベントだらけの今日この頃。 バタバタして落ち着かないと、精神的にキツくなってきて自分に余裕がなくなるし、イライラするしで悪循環。 そんなとき、私の心の支えにしているもの。 それは、私にとっての『過去の栄光』です。 過去に縛られたっていいじゃんよく、過去にとらわれるな!!前を向け!!と言いますよね。 私も以前はそう思っていて、 過去に縛られちゃダメだ、今や未来を大事にしていかなきゃ! 後悔したことは二度としないように、いいな
2024年の我が家のゴールーデンウィークは、義両親のお泊まりから始まりました。 そして夫に深い心の傷を残してお帰りになられました。 今回、私からしてもはっきり言って許せない(長男に対しての言動)事があり、距離をとったほうがいいのではないかと進言もしたくらい。 (結局義父に謝られたので、これまで通りになりましたが…) こちらの都合など考えず(逆に気を遣ってるよアピールなのかなとも思いましたが)、勝手に予定を変更。 徹底してお金を出さない 長男の自己肯定感を0にするような
世の中、嫁姑関係が良好な方もいらっしゃるとは思いますが我が家(私)は違います。 表面上は良好風を装っていますが、私は本当に無理です。 夫の弟の奥さん(義妹)も無理だと言っていて、極力義両親と合わないようにしているくらい。 とは言え、何度も言いますが私も義妹も、義母とは表面上は悪くない関係を装っています。 (仕方ないよ、大人だもん) 義母のどんなとこが無理かって言うと、よくネットで見かける良くない姑の行動をそのままやっているから。 一度使ったタオルを、一度しか使ってない
タイトルは、とても頼りにしている児童館の先生が仰っていた言葉。 長男次男がまだ小さかった頃は、悩みに悩んだ育児。 (今も悩んではいるけれど・・) 悩みが解消された訳ではないし、まだまだこの先も新たな悩みなんてわんさか出てくる。 けど、当時(長男2歳次男0歳の頃)この先生の言葉は私にとっての最高の労いの言葉でした。 とにかくがむしゃらだった2017年 基本的に毎日全力で生きていたいと思うので、常にがむしゃらに生きているつもり。 特に2017年は私の人生史上、最もがむ
小4♂・小2♂・1歳♀の三人のワンオペ育児に奮闘中の村田です。 激務の夫は、平日は朝から晩まで仕事で不在。 土日も仕事の準備をすることがあったり。 基本何があったって一人で解決しなきゃいけない。 自分一人だと不安だし、正直心折れそうになることもあります。 そんなワンオペ育児中の私が心がけていることは育児に可能な限りな人を巻き込む!です。 なんでそう思うようになったのか、ぼやきたいと思います。 私のワンオペ育児の来歴 長男を出産して里帰り先の千葉の実家から、当時自宅の
私は乗り物が好きです。 乗り鉄でもあるので電車好きだし、 うちはじーちゃんが戦争の時に飛行機に乗っていたとかでよく飛行機の話をされたり、一緒に見たりしていたので飛行機は乗るのも見るのも好きです。 遠い国まで連れて行ってくれる飛行機は私にとっては見ても乗ってもワクワクする乗り物!! でした。転勤妻になるまでは。 転勤族になってから変わった飛行機の存在転勤妻になる前の私にとって飛行機は、海外や国内の遠い場所へワクワクを集まるために乗る乗り物でした。 往路もワクワク、復路
先日、長男(現在小4)のプレ幼稚園の頃にめちゃくちゃお世話になったママに久々に道端でバッタリ会いました。 わが家と同じ同じ二学年差の男の子兄弟の子供を持つママさん 上の子が早生まれ同士、子どもの年齢も同じだったりと共通点も多いので、考えていること・悩みも共通点ばかり。 悩みも多けりゃ、苦労も多いのが子育てです。 なんて言ったって、自分とは別人格の人間を育てているんですから。 こっちの思い通りになんてならないし、性別が違うからから親の私でさえ理解できないことも多々あります
先日、3人目を出産しました! (女の子です。) うちは上の子2人(男子)とも逆子だったので、出産は帝王切開でした。 もちろん3人目も否応なしに帝王切開。 3回目の帝王切開だったから余裕でしょ?って思われるだろうけど、そんなことないです。 私にとっては今回が一番怖い帝王切開でした。 3回目でも恐怖しかない帝王切開そもそも出産は命懸けです。 普通分娩も帝王切開も。 普通分娩の人で『安産でした!』 と言っている方はいるけど、その方だってラクして産んだわけではないのです。
専業主婦歴約10年の私。 後ろ髪引かれつつも、夫との転勤先での新婚生活を選び金融機関を退職した私。 あれから約10年が経って、ようやくずっと胸のしこりの一つとなっていた、「専業主婦を選んだのは正しかったのか」問題に決着をつけられました。 決着まで10年 専業主婦で良かった仕事をやめなきゃ良かった 週末婚もあったよな 仕事を辞める以外選択肢がなかった この10年、どちらかというと仕事をやめた事に後悔しまくっていて、時間を戻したいと何度も思うことがありました。 けど
『ママにじいじと会って欲しいんだよね。』 先日5歳の次男が突然つぶやいた。 もしタイムスリップができるなら、私は2019年7月に戻りたい。 まだコロナ禍に入る前で、自由にどこにへでも行けて、会いたい人に会いに行ける、昔は当たり前だった時代に。 有楽町 先日3年ぶりとかに有楽町線の有楽町駅に来た。 2019年当時の自宅から私の千葉の実家に帰るために乗り換えで良く使っていた有楽町線の有楽町駅。 当時はまだ次男が2歳とかだったからベビーカー移動は当たり前で、エレベーターを
今日は子供たちの習い事のサッカーのお茶当番でした。 とは言えコロナ禍のためお茶を作ることはせず、 消毒液を各地に配置したり、 怪我した子がいたら処置をしてあげたり的なかんじです。 役割は簡単なんだけど、当番は二人制。 私ともう1人、しかも違う学年のママさんとペアになっての当番。 上級生のママさんとは繋がりないし、 (なんなら同じ学年のママさんともさほど繋がりないし笑) どんな人とペアになるのか昨晩からソワソワしていました。 お茶当番を学びの時間に持ち物は準備万端! 失礼
父が亡くなってから2ヶ月が経ちました。 あっという間なような、そうでもないような。 時間の感覚がいまだにちょっとおかしいです。 正直、夏休みが始まったのとコロナ禍のおかげで父のことを考える暇なく、 いろんな思いに蓋をしたまま7月8月と過ごしてきました。 父からのサプライズ東京に住む我が家は、このコロナ禍でひたすら引きこもっています。 習い事も今月は自主休講しているし、外に出るにしても近くの公園に行くくらい。 朝から公園で虫捕りをして、帰り際にリリースする毎日をして
先日、父の四十九日の法要が無事終わりました。 緊急事態宣言下だったので早朝行って、朝一で法要をして、お昼すぎには自宅に着いているという超弾丸でした。 遅くなった時間時計父が亡くなってからは、私の時間時計は少し遅くなりました。 いつもあっという間に過ぎていた時間が、なんだかゆっくりに。 父の死と向き合うようにしているからなのか、なんなのか。 今はその理由がよくわからないけど、ゆっくりです。 予想以上に心がしんどいほんとうにしんどいです。 しんどいけれど、日常は待っ