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さまよっている

今月は「猫鳴り」沼田まほかる を読んでエッセイを書く。
「ふみサロ」の課題本がテーマだ。

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 最近、来し方を考えるようになった。
思春期、考えまいとしているかのように歩きまわり、走るしかないかのように、突き動かされ動いていた。夜、遅くまで田んぼのあぜ道を歩き回っていたり、嵐の前の荒れ狂う海で波の飛沫があがるのを眺めていたこともある。
反面、友人のはるちゃんと深夜まで、我が家の庭でしゃべることもあった。
話すことでワクワクしたあの時、次に踏み出せるような、広がる感覚、手放す解放感。思春期あるあるだ。
 体の奥から泡立つ不安が体を突き動かしていたと思う。話す、歩きまわる、じっとできない、多動性の傾向だ。
 子育て中も同じで、街なかを歩くときも後ろを振り向かない。子どもは母を見失わないように必死に背中を追いかけていた。
 娘曰く、一度家を出たら夜にならないと帰らないと思っていたと。
子どもたちの思い出に、私は登場しない。最近、子どもの世界で起きていたことを知らずにいたことが多いのに驚いた。
 公園でカーペットを敷きお店やさんごっこをしようと、家にある本やおもちゃを並べたそうだ。5円、10円と値段をつけて売ろう、いい考えだ、お金を儲けられると考えたという。すると、おまわりさんが来て諭され、お店やさんごっこをあきらめたことがあったという。どうも大人が警察に通報したようでその出来事を知ったのは40年もたった最近のことだ。聞いたときは、ひっくり返りそうになった。

 動かないと不安なことは60年経た今も変わらない。カレンダーに予定が埋まっていないと落ち着かない。そわそわする。
 むやみに歩き回ることや、時を忘れて話し込むことはしないが、人の話を聞くことが好きなことは変わらない。今でもときどきはるちゃんと長電話でお喋りするが、若いときのよう解放感はなく、少し寂しさが残る。

 充実感を味わうのは、新しい世界を見たときだ。今まで触れる機会が少なかった美術館、歴史館巡りである。世界は魅力に満ちている。本の世界や映像の中で動かないで済むことは、有難い。
 
それでも次々に泡立つ思いは現れては消え、ゆさぶられる。
 人は変わらない。


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