見出し画像

父親捜し

「先祖探偵」文サロの課題本を読んで、私の先祖捜しは!父親捜しだった。

 母が亡くなって後、父親捜しを始めた。
かつて、母が「今度の市長さんは「雄一{私の実父の名)}の親戚らしい」といっていた言葉を思い出し、母の死から一周忌を過ぎたころ、市長宛てに手紙を書いた。
 市長は私より若いので実父のことは知らなくても、親戚に当たれば何か手がかりが得られるかもしれないと、望みを託して書いた。
 私の父と母は戦後の、避難先から帰って来たとき同じ避難民住宅に住んで居た、その時に父と母は知りあい私が産まれた。避難が解除されると父と母は別れてしまい、その後母は一人で私を生んだ。父親の名前は知っていたが、それ以外の情報はないことなどを手紙に書いた。
 そして丁寧な返事がきた。市長さんの95才の父親の達筆な長い手紙が同封され、それには、狭い村のこと、何でも知れ渡るはずだが、未だにそのような婚外子がいたことは耳にしたことはない。という内容だった。
 
 母と自分の性格があまりにも似ていない、だから私は父親のことを知りたいと思ったのだ。
 実は私は父親に二度会っている。10才頃か?
 若い女性に声をかけられて、父親の住んでいるアパートに連れていかれた。そのアパートは私が住んで居る直ぐ近くだったので不安はなくついて行くと、男の人が住んで居た。直感で父親と若い愛人なのだと思った。名乗ったわけでも自己紹介したのでもないが。その時はお年玉をもらって帰ってきた。まもなく二人はそのアパートからはいなくなっていた。
 二度目は、高校生の頃だ。私が通っている学校の前にある事務所らしきところで仕事をしていたようで、実父に声をかけられ、事務所に行ったのだ。
 どんな話をしたかはあまり覚えてないが、「何か欲しいものはないか」と聞かれて、私はすかさず「テープレコーダー」と答えて驚かれたことだ。事務所もなくなりその後は音沙汰なし。一度も自ら父親と名乗ったことはない。

 それ以来、あってない。
母は風の便りでそれとなく知っていたらしいが、母の友人に何年振りかに会ったとき「恵美子は父親にそっくりね」と云われた。
 母とは似ていないと長年の自分と母の確執の一端を知った気がしたので、母の死をきっかけに、父親捜しの手紙をだしたのだが。
 帰郷の度に市長さんの父親と会って直接話を聞きたいとも思ったが、今はもう、誰に似ていようが自分は自分なのだと思うようになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?