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アイドルコンテンツのユニットはアイドルごっこの延長線である

アイマスファンでもあるミュージシャンの星野源は「アイマスは大人が本気で嘘をつくっていて、その嘘が嘘でなくなるところが魅力」と指摘していた。

SLGゲーム発のコンテンツであるアイマスが、壮大な「ごっこ遊び」がその本質であるが、この「ごっこ遊び」という言葉のかわりに「企画物」「真似事」「偽物」「フィクション」という言葉を入れても良いかもしれないが、いずれにしても「本物じゃない」ということがアイドルコンテンツの本質なような気がする。


「本物じゃない」アイドルコンテンツ発のユニット

それはすなわち、どれだけパフォーマンスを磨いても、それは「真似事」であって、90年代~2000年代ごろに「ブラックビスケッツ」「ポケットビスケッツ」「野猿」などいろいろあったテレビ発の企画物ユニットと同じという受け止められ方をされているということである。

もっとも、企画物といっても「ポケビ」や「ブラビ」は紅白に出ていたり、100万枚売り上げていたりしてバカには出来ない存在なのだが、コンテンツの人気だとかレバレッジで売れた、ある種のメディアミックスという点では確かにアイドルコンテンツと似たものがあるように思える。

以前、キャストに「早熟さ」や「完成度」は求めても、「未熟さ」は求められないと書いたが、ポケビやブラビだって、2023年度の紅白に出たときに「千秋ってもしかしてすごい人?」みたいに言われていたし、「実力のある人材が本気で企画物をやる」のは、それだけで「面白い」ことであって、それが魅力に思われているのかなと思う。

箱推しって本当?

さて、ある人が「今はラブライブというコンテンツごと箱推しの人のほうが多い」のだと言うけど、「本当にそうなのかなあ」と、蓮ノ空の売上が異次元まで伸び悩んでいたことを見ていると思う。

仮にそうだとして、ほとんどの人が箱推しと言っても、リソース配分は限りがあるわけで、誰を推すのか、その重い軽いはどうしても生じてしまうのではないか?

思えばXのbio欄にμ'sから蓮ノ空まで、ズラスラ推しを欠くようなタイプはスパスタよりも明らかに蓮ノ空にお熱だというのがTLのテンションを見てもありありとわかる人は多い。

異次元以降アイアスに嵌りましたという人も多い。もしかしたら、スパスタよりもアイマスのほうが「しっくりなじむ」のかもしれない。

需要がないジャンルが作られる意味

2018年にゾンビランドサガが放送された時に監督のインタビューで、「アイドルだと言うだけで敬遠する人がいるから、なんのジャンルなのかわからないMVにした」という発言をしていて「そんなもんか」と思ったのだけど、あれから5年以上たって新規のアイドルアニメは「何一つ」と言っても売れていない。

おそらく、声優のファン数百人がライブハウスに集まってライブやって、物販とかも込みでやればそれで黒字になるとか、何かしら旨味があるからやっているにしても、たしかに「大した需要がない」んだろうなと思わざるを得ない。

演劇関係者とその家族でチケットを互助会的に買うことで収支が回っている小さい劇場の演劇みたいなもの延長なのかもしれないし、アリーナでライブをやるラブライブやアイマスもその延長線かもしれない。

なにせ、あるアニソン系フェスで、まだドームでライブを出来ていない(一度メラドでライブをする計画はあったがコロナで流れた)LiSAが出演したら大盛りあがりしたのに、京セラドームやナゴヤドームでライブを打てたデレマスが「知らない曲」扱いだったという。おそらく先輩の765ASへの忖度で出来なかったのだろうが、やろうと思えば東京ドームでライブも出来たであろうコンテンツがその扱いである。

100万人ライブの意味

しかし、蓮ノ空の100万人(おそらくオンラインライブの同接数)ライブとかスーパースターの国立競技場ライブというのは、アイドルアニメの今あるファン層よりも数倍の層を集めないと達成不可能な数である。

本来ならオーイシマサヨシクラスですらなかなか出来ない「武道館」とか現実的に達成できる数字ではなく、あえてラブライブの運営がそういう数字を出したのは、「一番必要なのは、ラブライブの、そしてアイドルコンテンツの裾野を広げること」という認識を多少なりとももって運営しているということである。確かに「どうやって裾野を広げるのか」は運営の責任であり、キャストや客の預かり知るところではない。

しかし、以前さる高名な競馬ライターが、JRAの若者向けの新規集客キャンペーンを揶揄するようなポストをしていたが、しばしば、古参ほど裾野を広げる施策には反発的になる。100万人ライブと言い出したのは「従来のキープコンセプト」ではなにか限界を感じるなにかがあったのだろう。

企画物ユニットが「本物」と勝負しても勝てないだろw

「声優が本業のLiella!が歌とダンスで勝負する本物のアイドルと勝負しても勝てない」という人がいる。

あるいは「μ'sがテレビに出まくっていたときには、大人の事情で定番曲しか出来なかったけど、それが楽曲を浸透させるのにかえって走行したあのに、その点Liella!は浸透する前に猫の目のように変えて良くない」という人が居る。

一体その「本物のアイドル」って誰のことを指しているのか全く意味不明だし、例えば「日向坂46よりもLiella!はダンスが下手」とかならまだ話はわかるが、「歌とダンスで勝負するアイドル」とはまさか、洋楽やK-POPのガールズユニットの話はしていないだろう。

後者に至っては、ウマ娘だって、3周年で番組に呼ばれたら新曲を出すのに定番曲だけやれというは、どういう了見なんだろうか。「うまぴょい伝説」は世間に浸透したから良いんだと反論されるのだろうか。

彼らが言う「アイドル」とは脳内で空想した架空のアイドルグループだと思うのだが、まったく主語が大きい藁人形論法だなと思ったが、要は彼が「Liella!がアイドルごっこをしている企画物ユニット」と思っているなら話は通じる。

要は外部出演の意味ってコンテンツの宣伝以上の意味を持てないし、Liella!自体が企画物のユニットで一人前のアーティストとみなしていないということである。テレビに出る意味はアドトラックが「バーニラバニラバーニラ求人♪」と連呼するのと同じ役目しか期待していないのである。

はたまた「Liella!ってリアルアイドルになるんでしょ」と小馬鹿にするニュアンスで言う人も居る。

相撲に興味がない人ほど、「神事・スポーツ・興行」が渾然一体になった独特の形態に反発して、「どれか一つにしろ」と言うし、好きな人がそれこそが相撲情緒というものだと言うと思う。

おそらく現場は誰一人思っていないようなことを、どこか小馬鹿にしたようなニュアンスで発言をする根底には所詮「ごっこ遊びの企画物ユニットが舐めた真似をするな」という侮辱がある。

大変残念なことに、「Liella!が好きです」「ラブライブが好きです」というのに、どこかでユニットやコンテンツをバカにしてる人が多数いるのである。

ガラスの天井を破ることを邪魔する人たち

「企画物」とか「偽物」のままならどこかに突き破れないガラスの天井がある。そう信じて壊そうとしている人がいる。べつに「企画物のままで良いんだ」というのは自由だが、それを壊すことを邪魔して、企画物の型にはめ込ませようというのは、もはや限界集落で医者を追放して無医村にさせる高齢者のようなやり口である。

運営が採る路線に馴染めないならそれはコンテンツから離れるときである。無理に義務感で推しているとお互いに不幸になるだけであるとよく言われてることであるが、それを改めて噛み締めないと行けないと思う。


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