贋作

今この瞬間に自分が何を感じているか、何をしたいかを重視した恋愛は、自分がこれから先、どのように感じるかによって一緒にいるかも、別れるかも左右され、この人を愛するという必然的な理由は必要とせず、徹頭徹尾、偶然の産物になってしまう。
そうであるとしたら愛には私の意思が全く関与しないことになる。

という文章を読んだ。キルケゴール、正しすぎる。
いつもいっときの気持ちや流れで感情が動き、衝動的にしてしまう行動の責任を理性でとってきた。いつ自分の気持ちが動くかはわからない。いつ気持ちがうすれて消えるかわからない、自分のことなのに戦々恐々としている。
それの連続で恋人を変えてきて、痛い目もみてきた。
自分の治療をしないと、自分の意思で、1番近しい人を大事にできない。
と嘆いていたら、
それなら、正解の出会い方・始め方ってなんなの?と言われた。

それは…………。
始まりなんて「付き合ってみよう」だって。日々、大切にし合うことで本当に大切になっていくんだって。
相手にとって、素敵なパートナーで毎日あり続けることが愛だって。
意思を持って、偶然の感情の起伏に向き合うことが愛ということですか、キルケゴール。

私の感情的な部分を、「感受性豊か」と言い表してくれた会社の先輩が大好きだから、
私も私を感受性豊か、と捉えられるくらいまで、理性と意思の意識下に自分をおけるようになります。

強烈な愛が強烈な憎しみに変わって、強烈な憎しみがずっとただの不快な強烈な思い出として残り続けて、
本当はたった2か月だったことを12か月まで引き延ばしている。伸びた分、薄くなってくれたらいいのに。脳内で100回繰り返し、繰り返すたびにうろ覚えの少し違ったバージョンになって、今見ている悪夢は経験した現実と全く違っているかもしれない。


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