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リテラシー探求記

最近関心のある「Quiet Quitting」をYouTubeで調べ、動画を見ていたのだけれど、本題とは関係なくインターネットでの情報収集はストーリーと演出にかなり煽動されると感じた。

上の動画はアメリカ的な上手いYouTuberの動画で、下は日本でもよくあるコント的な動画だ。

これらの動画のヤバさは、ともに演出が上手いということだ。

一つは語り、編集のテンポ、素材の使い方など、色々な面で視聴者を釘付けにし、動画の内容がより視聴者に刺さるように作られている。
もう一つはコントもしくは落語的な方法を使うことによって、ショート尺でもより直感的に内容を理解できるように、というよりもむしろ、同調(洗脳)するようにできている。

この二つの動画が採っている演出の方法は珍しいものではなく、とてもスタンダードなものだ。つまりYouTubeで当たっている演出法をこぞって真似ている=最適化されているということだ。

より長時間の、より強烈なアテンションを手に入れるために、最適化された編集と構成の動画がYouTubeには溢れかえっている。

哲学者の東浩紀さんがPIVOTの動画で話していたが、ネットメディアは稼ぐために、利用者に考えさせる時間を与えない。これまで触れてきたタイプの動画も視聴者に考えさせる時間を与えない。

これがこの時代の情報収集の難しさを表していると思う。

YouTubeでばかり情報を集めると、魅せ方が上手い動画に煽動されてしまう。
魅せ方が上手い動画とは情報の編集が上手い動画である。情報の編集とはつまり、色々な事実をどう繋げるかである。
上手い情報の編集は、さまざまな事実を視聴者がおもしろいと思う形に繋げる。人のアテンションを掴む物語を構築するということだ。

そして魅せ方が上手い動画は、上述した通り演出の仕方が上手い動画でもある。
最適化された演出によって、人のアテンションをギュッと掴む。

つまり、魅せ方が上手い動画とは、人がおもしろいと思う物語をおもしろい演出で見せる動画のことである。

危機感ニキとネットで呼ばれているこのジョージという人の動画はまさに魅せ方が上手い動画だ。
彼はほとんどデマに近いストーリーを世間(特にネット)である程度共有されているスティグマをもとに作る。そのストーリーを上手な表情の作り方、間の取り方、抑揚の付け方で伝える。
ひろゆきの切り取り動画もひろゆきの語りとそれを切り抜き形式で字幕などを付け、より見やすい形にして作られている。

こうしたタイプの動画に総じて言えるのは、ただの個人の感想レベルの内容だとしても、何か物凄い真理(もしくはとんでもなく有害な言説)に見えてしまうことによって、上手く動画の内容を処理できない(考えられない)ことだ。
ゆっくり温めるように考えるのではなく、激烈に賛成するか、猛烈に怒るかの二択がメインの選択肢になってしまう。(とはいえネットのおもちゃにされているけど)

これはやばい。

これは動画だけの問題ではない。Xでもストーリーと演出のうまさによって、人を煽動するようなポストが万バズしているし、ビジネス書だってそういう性格を持っているだろう。

これまで見てきた魅せるのが上手い情報を継続的に見続けると、自分の思想や考えが、あるインフルエンサーの意見と別のインフルエンサーの意見を行ったり来たりし、さらに万バズしているXにも影響を受ける、といったかなり不安定かつ浅慮の状態にはまってしまい、自律的にものを考えることができなくなるのではないかと思う。

この状態に慣れきってしまい、自分の頭で考えることを放棄してしまうと、正解を探すようになってしまう。
「あのインフルエンサーが言っていたことも、あのポストの内容も、あのビジネス書の内容も、どれも試してみたが上手くいかなかった。じゃあどうすれば私は幸せになれるんだろう」と思い続け、彷徨うようになる。

だからヤバい。


インターネットに溢れかえっている無数の魅せるのが上手い情報に影響されていると、自分で考えることそして自分の言葉で自分の状態を語ることができなくなっていく。

考えることは非生産的で、何も考えずに正解を信じて行動しろというメッセージは強く流れているし、自分の言葉で自分のことを語れば、「自分語り乙」「お気持ち表明プギャー」と(特にインターネット空間では)言われる。

今年の芥川賞を受賞した『東京都同情塔』にこんな一節がある。

かわいそうだ、と思っていた。他人の言葉を継ぎ接ぎしてつくる文章が何を意味し、誰に伝わっているかも知らないまま、お仕着せの文字をひたすら並べ続けなければならない人生というのは、とても空虚で苦しいものなんじゃないかと同情したのだ。

p86

これは作中に出てくるAIに対しての言葉だが、インターネット的な語彙に支配され、そうした語彙でしか考えられない人たちにも言えることだと思う。自分の言葉が他人の言葉に支配され、お仕着せの言葉のまま、ただひたすら文字に反応し文字を並べるXにいる人たち。

僕は彼らに自分で自分のことを語るための言葉を獲得してほしいと思うし、僕はこれまでインターネット的な語彙にかなり支配されていたので、これ以上支配されたくないと思う。

この記事もネット上で見た現象や動画、ポストを切り取り、組み合わせてストーリーを作っているし、説得力のある形にしようと演出している。ヤバいという言葉を使って危機感を煽ろうともしてしまっている。
それが上手くいっているかは分からないけれど、この記事を書いている僕自身もストーリー語りと演出をやっているし、何かを伝える時には基本的に皆やっていることだ。

だからこそ、古今東西のストーリーと演出に過度に影響されずに、ゆっくりちゃんと考えることが重要だ。そして、その考えを自分の言葉で語ることもまた重要だ。

自分の頭で考えないとお前の人生やばいぞ、終わるぞ、と言いたいわけではない。僕自身も様々なストーリーと演出(例えばDaiGoの動画)に影響されてきたから、一人でもそんな人を減らしたいし、自分自身も煽動から抜け出したいからこれを書いた。

これからの時代はAIがより進化し、それに伴い正解を求める心は加速するだろうが、ちゃんと自分の頭で考えることをやめないでいたい。


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