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モリミュOp.5にお別れを言った日

私の部屋にはチケットをぎゅうぎゅうに詰め込んだファイルがある。数年前から密かに行っている趣味の一つで、映画や展覧会、ライブ、コンサート、そして演劇など、チケットと名のついたものはすべてそのファイルに突っ込むのだ。元々、何かの特典でもらったそのファイルは、ちょうど縦長の例の形のチケットが入るのにちょうど良い大きさをしている。(もしかしたらチケットファイルなる名前がついていたかもしれない)

師走も佳境に迫り、大掃除のついでに、と数年間突っ込むだけでまるで開けていなかったそのファイルをひっくり返した。色んな種類の色んな公演がごった返した記憶と共に机に散らばる。昔のものから順番に見て、半分くらいの所でモリミュのOp.4のチケットを見つけた。まだ半分なのにこんなに最近の公演なの?自分で行っておいて笑ってしまうくらい、今年はたくさんの演劇や映画を観ている。

2/9のマチネ、当日引換券の3階最後列。一般9000円。そういえばここから始まったんだよなーと感慨深くなった。サブスクで過去作が無料配信されていて、アニメと漫画は履修済みだったから、どうせなら見るか、で見始めた今年の一月下旬。初めはあんまりハマらなくて、歌は上手いけどビジュアルはパッとしないな、とか、眠くなったりもした。Op.1の1幕を観るのに3日かかったのは今だから言える話だ。

多分、明確にハマったのはOp.2から。最初はアイリーンに掴みどころがなくて、やっぱりそんなに合わないかもしれない、とか何とか思いながら朝の電車でぼんやり観てた。でも、I will / I hopeを聴いた時に、今までの眠気がブァンッ!て有り得ない速度で消えていって、役者さんの声に惹き付けられて、正直その後はよく覚えていない。カーテンコールに差し掛かると共に、最寄り駅についていて、私は慌てて車内を飛び出した。頭の中では、アイリーンの笑顔と音楽がぐるぐる鳴っていて、そのまま何処かに走っていきたくなるような高揚感に包まれていた。
いてもたってもいられなくて、勢いのままにOp.3を観た。実はOp.4の公演期間中だと知ったのはそのあとのことだ。

分からなくてTwitterに助けを求めたら、教えてくれる人がいた。優しい界隈だなと思った。
仲の良い観劇オタクの人に連絡した。3日後の公演行かない?って。彼女は二つ返事で了承してくれて、その日のために過去作も全部観てくれた。原作は読んでいたけど、半分くらい内容は忘れている。ドキドキしながら、劇場の一番遠い場所でモリミュを観た。映像に映っていた人たちが目の前にいて、歌がうまくて、お話が悲しくて、でも明るくて楽しいところもあって大好きになった。

千秋楽の配信を買った。リアルタイムでは観れなくて、あとから追っかけだった。上記の人と、私にモリミュを布教してくれた人と一緒に通話しながら観ようとして、まず最初に「次回作、楽しみですね」と言われた。
え?なんのこと?SNSをろくにチェックしていなかった私は、公式のアカウントを調べて悲鳴を上げた。

Op.5、最後の事件、夏。

嬉しかった。そして、不安だった。夏まで生きていられるかな。私は夏になったら何をしているんだろう?
ティザーに写るシャーロックとウィリアムは深刻な表情でお互いを見ている。割れた鏡、水飛沫。
これだけで、絶対面白いと思った。

そこからは必死に生きた。公演の情報が入る度に手が震えたし、最後の事件が舞台になるという事実を、私は結局初日の幕が開くまで受け止められないままだった。

ネタバレをされたくない一心で、大阪公演に行った。今思えば、普通に初日の配信を買っていればよかったのに、わざわざ飛行機に乗って、モリミュのために大阪に行った。一緒に着いてきてくれたのはOp.4の時の人だ。
ドキドキしながら席に座った。最速先行で取った席は、前とは比べ物にならないほど舞台と近かった。舞台セットすらネタバレされたくなかった私は、その日までありとあらゆる情報を遮断していた。あの布は何?坂は何?どこから落ちるんだろう?色んな可能性を考えて、これから迎える物語に息を詰まらせて、メルパルクホールの時計を忙しなく確認した。
一幕が終わり、私は何も言えなかった。まだ、何もモリミュのことを分かっていない気がした。良い舞台なのか、つまらない舞台なのか、それすらも判断できなくて、休憩時間中はずっとグミを食べて溜め息を吐いた。
二幕、一瞬で終わった。カーテンコールが始まり、役者さんたちが何度も挨拶をしてくれて、その時、やっとモリミュの5がそこに存在したことを自覚した。
終演のアナウンスが鳴り、ボロボロになりながら外に出て、ぐっしゃぐしゃの感想を吐いて、その場から30分くらい動けなくなった。

止まらない。

勢いのままに感想を書いた。このnoteに投稿したやつね。東京公演も2回行った。感動のあまり、オペラグラスをなくした。あと、現地の公演を全て観終わった翌日、プリンと炭酸水だけで丸1日過ごして、モリミュのことだけを考えていたら熱が出た。千秋楽の配信は友人と観た。彼女はお酒を飲んでいるのに冷静で、ジュースしか飲んでいない私は公演が終わったあと2時間くらい横になってグズグズと言葉を吐いていた。

そこまでの記憶を辿って、ふと思い出した。実はOp.5のチケットは、まだ私の鞄の貴重品入れにしまったままだ。チャックを開けて、色々な公演のブロマイドを隙間を掻き分けると、あった。出てきたのは少し拠れたチケットたち。

ファイルに入れたら、モリミュは終わってしまう。9月の自分は、そんな寂しさを抱いていた気がする。

でも、ここ数日で私のモリミュに対する感情はかなり変わった。コンサートの発表や、サブスク解禁など、モリミュに大きな動きがあった。まだ終わらないかもしれない。期待が持てた。

すぐ近くの本棚にしまっておいたパラパラとOp.5のパンフレットを開いてみた。全員集合のビジュアル。役者さんごとのインタビュー。それらを読んでいる時、購入当初の喜びと寂しさが入り交じった気持ちから、過去の公演を懐かしむ気持ちに自分の感情が変化していることに気づいた。

あ、今ならできるな。って直感した。ほとんど衝動のままに、鞄からチケットを取り出した。8/26、マチネ、S席12000円。9/5、ソワレ、S席12000円。9/6、ソワレ、A席9000円。

日付と共に、全部の記憶が蘇ってきそうで、うるっとした。あまりに文字を見ると泣いてしまうから、少し目を逸らしながら、チケットファイルにそのチケット数枚を突っ込んだ。

突っ込んでいる最中に、ロラン・バルトは写真を「それは=かつて=あった」と表現した、という話を思い出した。
多分、私にとってのチケットも同じだ。
演劇は生物というけれど、だとしたら、このチケットの山は遺体の在処を示した記録だ。もう、メルパルクホールにモリミュはない。銀河劇場にもモリミュはない。モリミュがかつてあった、確かな証拠として残ったのは、僅かなグッズと紙切れ数枚だけ。そして、そのチケットをファイルにしまうことは、私にとってその公演が過去の記録になることを意味する。他の有象無象のチケットの山に、モリミュのチケットが埋もれていった。

ふぅっと大きく息を吐いた。
公演が終わってから4ヶ月、やっと私のモリミュが終わった。私にとってのお葬式。お別れを言うのに、随分と時間をかけてしまった。

もう、鈴木勝吾がウィリアムの姿で歌うことはないのかもしれない。平野良のシャーロックが見れることはないのかもしれない。

だから、消えゆく舞台に、薄れゆく記憶に、せめて何か抗いたくて、ファイルにチケットを記録する。

ありがとう、またね!って。

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