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春のこわいものを読んだ

春のはじまりは何かと体調を崩しやすい。急な温度変化や気圧の変動に身体が追いつけないのだろうなと思う。身体がしんどいと、気持ちも滅入ってきてしまう。気持ちが滅入ると身体がしんどいという連鎖。毎年、この季節の境目は何かが生まれようとしているんだと言い聞かせてやり過ごしてたんだけど、今年は割と酷かった。早く本格的に暖かくなってほしいな。

『春のこわいもの』という川上未映子さんの小説を読んだ。
私の大好きな作家さん。

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春のこわいもの 川上未映子

未映子さんの小説は本当にいつも素晴らしく、半端に向き合いたくないという気持ちがあったので、そのための時間を設けて一気に読んだ。
無理なんだけど一文字も逃したくない、とか、どんなものがこの先待っているんだろう、とか、この先を読んでしまうともう読む前には戻れないのでは、などと思うと緊張した。表紙を開くのにどきどきした。
未映子さんの久しぶりの小説。ここ最近生きもの系の本ばっかりだったので久しぶりに小説を読んだ。

全6編の短編集。
未映子さんの短編集は幻想的なものが多いイメージだったので、今回もそうなのかなと思ってたけど、今回は心情描写が主な感じだった。
ここ数年感じていた不穏さが凝縮されたような物語たち。『ヘブン』と近いテーマだと思った。春のはじまりの不安定さとも相まって、まさに「春のこわいもの詰め合わせ」という感じがした。

読み終わったあと、人の心の不安定さ、曖昧さ、潜んでいる暴力性について考えた。自分や他人の中にある、普段は見えない暴力性みたいなものと目が合ったとき、私はとてもこわいと感じる。
ちょっとしたことで他人が、無意識に刀の柄に手をかけるような瞬間を見逃せなかったりする。言葉の持つ力のこわさというか。自分の中にもその痕跡を感じる時、こわくなるし、嫌悪してしまう。
私には自分の中にも潜んでいる悪意や暴力性がとてもこわい。
いつそれがふわっと出てきてしまうのか、その悪意を大切な人たちに向けてしまわないか。

『六つの星星』での永井均さんとの『ヘブン』に関する対談や、未映子さんの講演会などでのお話をきっかけに、永井均さん著の『これがニーチェだ』、『倫理とは何か』、『翔太と猫のインサイトの夏休み』などなど読んだ。それらはどれも面白かったけど、当時の私には少々重たく、ショッキングだったりして落ち込んでた記憶。

昔はすべてがぼんやりしていて、世界の輪郭がはっきりしていなかった。
自分が何を考えていて、どう感じているのかもよくわからなかったと思う。
嫌だな、悲しいな、気持ち悪いなと感じたものをぼんやり抱えて、ただやり過ごしてきた。
未映子さんの作品には、私みたいな登場人物たちがよく出てくる。
そしていつもはっとさせる気づきをはらんでいる。今回の作品も。
『乳と卵』を読んだとき、『すべて真夜中の恋人たち』を読んだとき、忘れてたくらいの、遠い昔の些細なできごとの中の私が救われたような気持ちになった。
知ることは少しこわいけど、知りたいと思う。

今回の小説からもパワーみたいなものを感じた。
ちゃんとみて、考え続けろと言われているような。
私がブログをかくのは、私が感じていること、考えていることが上手く話せないから、自分がわかりたいから書いている。

いま振り返ると、いちばんはじめのお話「青かける青」は象徴的だった。
宛てられたお手紙の宛先は誰にでも当てはまるような気がする。

この本もまた、たくさんの人へ届いて欲しい。

エマル

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