【短編小説】こうして僕は小説家を辞めた。#1
もし、この命と引き換えに
『誰もが認める最高傑作』を書けるとしたら
僕は自分の命と作品のどちらを選ぶだろうか。
目の前に浮かぶ『この世のものではない何か』は
たった今、僕にその選択を迫っている。
なぜ、こんなことになっているのかはわからない。
わかっていたら、もっと面白くこの文章をかけると思う。
突然目の前に現れたその『何か』は
僕にもう一度、丁寧に、囁いた。
「命か作品、お前はどちらをとる?」
**********
僕の話をしよう。
別に、悪くはないペースだと思っていた。
自分には少しばかりの才能はあると思っていた。
小さな賞に引っかかって、
『もう少しだけ続けてもいいんだな』と思えた。
サイトに文章を載せたら
『次回作を楽しみにしています』と、コメントが来た。
誰かが、期待してくれている。
そう、思えた。
でも、現実はそんなに甘くはなくて、
出版社に作品を提出しては
いわゆる『お祈りメール』が帰ってくるばかり。
その度に夢を諦めたくなって、
でも、ここまできたら引き返すこともできなくて
ほぼフリーターの小説家になってしまった。
ほぼ、と言うか、フリーターだ。
僕は不幸な時に作品を書きたいと言う衝動に駆られる。
それはまるで延命治療のようで。
耐えがたい痛みを感じた時、
惨めな自分に嫌気が差した時、
それを体外に排出しないと
どうしようもなく息ができなくなるからだ。
その行為は命を削っているような感覚。
しかも幸せを感じる時には創作意欲が
全く沸かないのも困ったものだった。
本当に意志の弱い、惨めな人間だなと思う。
クソみたいな人間だ。
死にたくなる。
でも。
「……君の文章はなんと言うか、薄い」
文章を書くことが、僕の唯一の存在証明だった。
「説明台詞が多いんだよね」
物語の中の登場人物を僕に重ねると、
「ここの伏線も、正直最後まで引っ張る必要がないと言うか」
"最強"になれる気がして、
「インパクトもないし、波もないし」
この世界で生きててもいいんだ、と、思えるから。
「何より、登場人物がつまらないよね、つまらない」
この世界だけが、僕が僕でいられる場所だった。
******
死にたくなるほど綺麗な夕焼けに照らされながら
学生やら、サラリーマンやらの波に乗って
いそいそと改札を出る。
往復の交通費で700円。
それからフラッっと入ったカフェで300円。
原稿の印刷代が…と、ここまで計算して、
虚しくなってきたので辞めた。
否定されると、途端に死にたくなるのは
昔からの悪いくせだ。
強く叱責されると2,3日は食欲が落ちる。
端からみたら『ゆとり世代が』『さとり世代が』と
言われるのだろうけど、
きっとそんなことはなく
おそらく僕は『病気』なんだろうと思っている。
…正確には、『病気であって欲しい』と願っている。
いっそ、『あなたには精神疾患があります』と、
医者に直接言われたいとまで思う。
もし、本当にそう言われたら僕は
医者の腕を掴んでブンブン振り回し、
そのまま喜びの舞まで踊ってしまうだろうと思う。
でも、僕はかろうじて
社会に適合しているように見えているらしいし
端から見たら普通の人間で。
だから、その『病気』に逃げたら
それは『甘え』になるし、
本当に苦しんでいる人を侮辱していることになってしまう。
「……ああ、死にたいな」
口からこぼれる独り言は
誰かに聞こえたかもしれないし
聞こえてないかもしれない。
そもそも、本心で死にたいとも思ってない。
いつの間にか口癖になってしまった不謹慎な言葉だ。
人気のない川沿いの小道を右折して
コンビニの駐車場を突っ切る。
コンビニの入り口にはゴミ箱があった。
僕はおもむろにA4の茶封筒を引っ張り出す。
あの胡散臭いメガネのおっさん、
本当、気に食わなかったな。
どこぞのWebの編集者か知らないが
人のことを知ったようにぺらぺらと抜かして。
そもそも目が細くて白ブチのメガネをかけてるおっさんは
大体胡散臭いしナルシストなんだよな。
今日の打ち合わせも最後の方は
自分がいかに芸能人と仲が良いかの
話ばかりしていた。
テメェの話をしろ。
そもそもそんな安い依頼料でいい作品なんか書けるか。
心の中で今日あった"自称編集者"を
サンドバックにしながら、
茶封筒の中の原稿を引っ張り出す。
『タイトル『』』
と、書かれた紙切れ。
僕は昔からタイトルを考えるのが苦手だった。
だから適当につけた仮の表題が
そのまま作品のタイトルになったりする
今回の作品も例に違わずそんな調子で
タイトルが思い浮かばす、
とりあえず空欄にしとくか。
と、つけた『タイトル『』』が
個人的にしっくりきて、そのまま作品のタイトルになった。
あのおっさん、タイトルにもケチつけてたっけ。
そんなことを思いながら、
ゴミ箱に近づくと
『新型コロナウィルス感染予防のためゴミ箱の使用を禁止しております』
と、張り紙が貼ってあった。
……だったら置くな!
行き場のない苛立ちを抑えながら
また仕方なく家路を急ぐ。
気がつけば、あたりはすっかり暗くなっていた。
築55年の、今にも死にそうなアパートの一階。
こんなボロ屋なのにそこそこの家賃が取られる。
気に食わない。東京め。
3年前からここが僕の家になった。
電気がついている。
きっと、仕事が早く終わったのだろう。
鍵の閉められていないドアを開けると
すぐそこに美里が立っていた。
「おかえり」
700円の鍋からはだしの匂いがした。
「ごめんね、今日牛肉売り切れてて牛すき丼作れなくて。だから、お鍋になっちゃった」
「うまそ〜」
靴を脱いでそのまま美里に抱きつくと、
美里は「やめてよ〜」と笑顔で制す。
「密です〜、先に手洗って〜」
「それ、もう古いから」
「わかってるよぉ」
美里は少し不機嫌に返す。
「で、先ご飯食べる?お風呂入る?」
美里と付き合うまでは
この「ご飯にする?お風呂にする?」と言うやりとりが
現実に行われるなんて思いもしなかったが、
晩ご飯を管理する女性にとっては
割と重要な質問であると言うことを最近知った。
「先に飯食うわ」
「ほーい」
美里は、そのまま鍋の火を止めると、
部屋の方へと歩き出した。
そのままとっちらかったテーブルを手際良く片付け始める。
「今日、どうだった?」
美里はウエットティッシュでテーブルを拭きながら
何気なく聞いてきた。
なんのことかはすぐに理解した。
「ダメそうかな〜」
なるべく悟られないように軽く返した。
「そっか」
美里はそれ以降その話をしなかった。
その優しさが余計に心に刺さった。
********
高校三年生の文化祭。
これでもクラスの割と中心的なポジションだった自分が
文化祭のクラス演劇ので
"モブ"の役をやらされた時、
自分の限界を突きつけられている気がして
しんどくなったことがあった。
それとほぼ同時に
自分が自分に期待していたことが
無性に恥ずかしくなった。
『登場人物がつまらないよね、つまらない』
脳内で言葉がループする。
息が、苦しくなる。
こう言う時に『死にたい』と呟きたくなるが、
横で美里が寝ているのでそんなこともできず、
盛大なため息をついて終わりにする。
「……りょうちゃんってさ、ため息大きいよね」
豆電球の下で美里は笑いながら呟いた。
「……そうかな」
「うん、なんか内臓まで出てきそう」
「……そんなにでかい?」
「うん」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「クセだね、きっと」
美里の手が後ろからぬぬぬーっと伸びてきて、包み込む。
「私、りょうちゃんの味方だからね」
美里は、そう言うと静かになった。
彼女は昔からとても優しい子だった。
だから、一緒にいるのであって、
でも、その優しさは時々、
僕を本当に死にたがりにさせる。
彼女の呼吸が深くなったのを確認して僕は
こっそり布団を抜け出して
もはやワープロと化しているPCの電源をいれた。
***********
気がつくと美里はいなくなっていた。
スマホの時計は15時を差している。
完全に昼夜逆転生活だ。
なるべく健康的な生活を送りたいなと
思う時期は定期的にやってくるのだけれど、
結局人間の生理的欲求に勝てず
夜明けに寝て、昼過ぎに起きると言う
怠惰な生活を送っている。
Gメールを確認したが、
あの胡散臭細目白メガネ野郎からの返事はない。
まぁ、無くてもいいのだが。
「あー、イライラする」
美里が家にいない時は
マイナスな言葉を口にしがちだ。
吐き出さないとやっていられないから。
別に美里に気を使っているわけではないのだけれど。
なんと言うか、
美里と僕は違う人種だなと思う時があるから。
美里はポジティブで友達も多いようで、
自分に自信があるタイプの人間だ。
だから、僕のような自信の少ない人間の気持ちが
理解し難いことが多々あるらしい。
彼女はそんな僕を『元気付けなきゃ』と言わんばかりに
応援してくれるが、
僕にとってはその応援すら"痛い"のである。
全く、自分勝手な話なのだが。
時々、彼女と別れようかなと
反射的に思ってしまうことがある。
彼女は魅力的だし、こんな金も自信もない男なんかより
もっといい男と付き合った方が
幸せになるんじゃないか。とか。
彼女の生活の邪魔を自分がしているのではないか。
とか、グルグルと考えてしまう。
今もそうだ。
……ああ、作品書かないと。
PCを立ち上げ、原稿のフォルダを開くと
書きかけの作品ばかりが並んでいた。
産声も上げてもいない作品群に一通り目を通して
新しくWordを立ち上げ、
新規の文章を書き始めた。
ああ、惨めだ。
作品が書けないのは本当に惨めだ。
ついでにあの白ブチ野郎の言葉も離れない。
気にしたくもないのに
気にしてばかりいる自分に嫌気がさす。
美里に心配される自分にも嫌気がさす。
ストーリーが思いつかない。
いい表現が降ってこない。
ああ僕の物語は本当に惨めだ。
惨めだ。
…………惨めだ。
僕はPCを閉じて
布団に横になった。
泣きたくもないのに
涙が出てくる。
男のくせに無くなんて本当に終わっていると
つくづく思う。
誰か僕のことを『病気』だと診断してくれないか。
そもそも何に泣いているんだろうか。
作品が書けないから?
白ブチメガネに蔑まれたから?
美里に優しくされたから?
わからない。
わからないのが余計に悲しい。
悲しいのかもわからない。
惨めだ。僕は。
「ああ、死にたい」
そして大きなため息をついた。
それから、布団を被った。
このまま、死ねたらいいのに……
つづく。