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堀田量子はどんな教科書か

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量子ネイティブのための新しい教科書

 2021年の夏に、新しいタイプの量子力学の教科書が発売されて大きな話題となりました。量子ネイティブ世代のために、これまでと違ったアプローチでの教科書の形を提案するという野心的な試みです。

 量子ネイティブとは、生まれたときにはすでに量子技術を使ったデバイスが身の周りにあったというようなこれからの世代の人々を指す言葉です。今はまだですが、もうすぐそういう世代が誕生するでしょう。量子力学がもう不思議なものでもなんでもなく、ごく当たり前のものとして受け入れられているという世界が到来しつつあります。

 従来の教科書のように量子力学の非常識さを強調するのではなく、当たり前のものとして理路整然と説明していく態度が必要となっていくのかもしれません。

 さて、この本のどういう部分が新しいかと言いいますと、これまで人類が量子力学を理解してきた歴史の順序を完全に無視して、理論的基礎から組み上げていくという形式を取っているというところです。

 歴史的には人類は量子力学についての様々な誤解をしてきました。歴史順に学ぼうとすると、そういった誤解をも再び体験することになる可能性があります。あるいはそのような誤解を抱いたままになってしまうかもしれません。それが悪いことばかりでもないのですが、21世紀にふさわしい学習の道筋というのもそろそろ提案されてもいいのではないか、とも思うわけです。

 量子力学の公理を最初に挙げてそれを基にして議論を進めていくという形式の教科書ならすでにありましたが、この教科書はそれとも少し違っています。この教科書は「量子情報」の理論の観点から話をまとめてあります。

 この本の著者の思想は「この世界は情報のみから構成されている」というものです。この本の中にそれをはっきり書いているわけではありません。しかしそのことを意識して読むと、そのようなメッセージが強く込められているのが伝わってきます。果たしてそれは本当なのでしょうか。この本はそれを考える上で重要となる話題を提供してくれています。

構成の特徴

 この本の構成の特徴についてあらかじめ大雑把に知っておくと、この本を読んで理解する上で助けになると思います。対比するために、まずは従来の典型的な量子力学の説明から始めたいと思います。

従来の量子力学の説明順序

 従来の多くの教科書は人類がこれまでたどってきた理解の順に説明が進みます。ド・ブロイ波の話から始まり、ド・ブロイ波の振る舞いを表す微分方程式を作ります。その微分方程式とは、シュレーディンガー方程式です。その後は様々な問題に対してこの方程式を当てはめることで多くの現象を説明していきます。

 さらに先の段階として、行列のイメージの演算子と、量子状態を表すベクトルとを使った形式での理論が整理されていきます。電子のスピンは通常のシュレーディンガー方程式では理解が難しいのですが、ベクトル形式で表したシュレーディンガー方程式を使えば、共通の法則に従った現象であると理解できるようになります。つまり、粒子の位置や運動量は無限次元の状態ベクトルの問題ですが、スピンは有限次元の状態ベクトルの問題であることが分かります。

 そして、さらに次の段階があります。大抵は別の教科書になるのですが、量子力学的な現象を使った通信について論じる「量子情報理論」という分野があります。そこでは波動関数や状態ベクトルよりももっと広い状況を表すものとして、密度行列という概念が使われます。これは観測対象について得られている情報が十分でないような状況も表すことができるという優れたものです。

堀田量子の構成

 一方、この本ではおおよそこの逆に話が進みます。

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1,751字

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