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ばーばの大学院な日々〜それは突然に…

ばーばです。
後期の授業が終わりました。あとは課題がチラホラとあります。
後期に取っていた授業で、心理学実験があります。学部の授業で、後半は質的研究でした。
そもそも学部生の授業で、心理学ではいろいろな研究方法があるよーって内容のものだし、私の研究は量的でやろうとしているので、質的研究については、ほんの体験的なつもりで受けました。

質的研究はオムニバスで3人の先生の授業です。①フィールドワークしたものをKJ法を使ってのレポート作成。②インタビューを逐語に起こしてM -GTAで結果図とストーリーラインの作成。③エピソード記述でした。

どれも、まあ名前とやり方は知ってるけど、実際にやってみると、いろんなことを思ったりするものですねえ。
エピソード記述では、「これが研究になるとはどうしても思えないんです。」と、現象学の大家でもある偉い教授にぐずぐずと言う始末😅

なぜこれが研究になると思えないかというと…
①エピソードって、記憶を思い返すので、再構成(素敵なものとして)されてしまうんじゃないか。
②人との接面における関わり方などについて。
これまで「それって前田さんにしかできないことじゃん」と散々言われてきた私は、般化や汎化ができないことを「それでもコレがあってるんだ!」みたいに言えないし、それを言うために量的な研究をしようとしている訳でねぇ…

まあ、教授はそんな私の言葉くらいは想定済みのようで(他の授業も受けているので、私の背景を知っている)「前田さんこそエピソード記述がいいと思うんだけどねえニヤリ」と一蹴されました。

で結局、課題は課題なので、エピソードを記述して考察して…というのを繰り返してみると、それはそれで面白かったわ😅ということで収まるはずでした。
ところが、ここにきて、急にスポットライトがあたってしまいました(汗)
博士課程の先輩たちは、いつも優しくて、私のわからないことをたくさん教えてくれるし、私がもやっとしていることも相談にのってくれます。
何気なく授業の話をしているうちに、私の書いたエピソードが興味深い!と言ってくれて、コレとコレで〇〇ってテーマで(論文)1本いけるじゃん😆と盛り上がってくれます。

マジか?それはアリなのか?
と、なんだか私もすっかり舞い上がったんだけど、でもちょっと待て🫷落ち着け🫸
ここが私の全く乗り越えられない部分なのよ。さすがにちょっと冷静になって、その辺りはしばらく寝かせておこうと思いました。

その2日後に指導教員との面談で、量的・質的についての先生の考えを聞いて、そうなのそうなのよ〜😆とまた納得して、舞い上がった頭も落ち着きました。

とはいえ、そういう可能性もあるってことで、しばらく熟成させてみようと思った出来事でした。

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