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大都会に住み続けるには欲望が必要だ

海外ドラマ「ザモーニングショー」を見終わった。
ジェニファーアニンストンとリースウェザースプーンが演じる女性キャスター二人による朝の国民的ニュース番組、ザモーニングショー。
大都会ニューヨークが舞台のドラマだ。
シーズン1はセクハラで番組から追放された男性キャスターがからんで
メディア世界の裏側の闇を描いていた。

ドラマの感想はまた別で書きたいがこのドラマをみて最初に思ったのは、

大都会に住むにはとんでもないパワーがいる、ということ。

ニューヨーク、マンハッタンなんてそりゃトップクラスの大都会なわけだけど、
日本だって、東京の中心部も同じといえそうだ。
物価高や生活費がかかるというのはもちろんそう思う理由の一つだが、
それ以前にそもそもその土地のエネルギーに負けない、選ばれし勇者のみ、都会で生きることを許されているような気がするのだ。

私は現在、地方住みだが、人生で2度東京で生活していた頃がある。
最初は20代前半のころ3年ほど、そして1度地元に戻り、
2回目は20代後半から40代初めまで14年ほど住んだ。

でも、今はもう都会に釣り合うだけのエネルギーを持ち合わせていないとはっきりわかる。
時代が変わったし、東京も大きく様変わりしたし、住みたいとも思わない。
そして、今東京に住んでいないということは、そもそも選ばれし勇者ではなかったということかもしれない。

それでも東京にいたあの頃の私と今の私、何が違うのか?
それは「欲望があるか?ないか?」だと思った
若い頃は夢があって、都会ならなんでも叶うような気がしていた。
だからこそ都会に負けまいとする底力がでていたのかもしれない。

フィクションであるドラマの第一線で働くキャラクターたちと比べるのもナンセンスだが、彼らを突き動かしていたのも欲望だ。
言い換えると「欲望」がないなら大都会に住む必要はないのだと思う。

同じニューヨークを舞台で大ヒットしたセッスクアンドザシティでも欲望をもった女性4人の生き様を観るのが楽しかった。
でも欲望の象徴であったサマンサがその続編、アンドジャストライクザットでは抜けた。

これはリアルにサマンサ役のキムキャトラルとキャリー役のサラジェシカパーカーの仲違いという話があるが、
私はサマンサが抜けた方が、むしろリアルだなと感じた。
ニューヨークを離れ、ロンドンで仕事してるという設定だが、
サマンサも60代近くになり、欲望が減ったのでは?と勝手に想像する。
もちろんロンドンも大都会だが、ニューヨークや東京のエネルギーとはまた違う土地だ。
ドラマフリークならわかると思うが、4人の中で一番繊細だったのは実はサマンサだ。あくまで出演者不在の演出上仕方ないものだが、
繊細なサマンサが歳を重ねてニューヨークを離れたと考えると私はしっくりくる。

都会に住み続けるには欲望がいる。
では、そこで生まれ育った人はどうなの?と思うが、もうそれは魂の上での欲望だと思う。
あくまで私の考えだが、たとえ欲望とは無縁に見えるような人でも都会という土地のエネルギーの上で生き続けるというには何かしら「欲望」があるように思える。
そこをもっと掘り下げたら面白いかもしれない。









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