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ZOOMもいいけど、MSNメッセンジャーもいいよね 2020年5月17日


ZOOM飲みがなんだかくすぐったい理由は、リビングのそこらじゅうに漂っている家族の気配にあるなぁと思う。もう隣の部屋で寝静まっているはずなのに、家族のいる空間で友人と会話をしている感覚から抜けられない。ちょっとした物音や、窓から入る涼しい風でさえ、夫や息子がひとつ屋根の下にいることを思い出させる。

誰もいないほうが気楽なんだけど、すごく嫌だなぁという感じでもない。なんだか懐かしい感じ。いったい何が懐かしいんだろう。悶々としながら思い当たったのは、実家のリビングの端っこだった。


高校生から大学生にかけて、リビングに置かれた家族共用のPCから、夜な夜なMSNメッセンジャーでのやり取りに励んでいた。メッセンジャーといえばMSN。これはゆずれない。誰にも何も言われないけど。メッセといえばメッセンジャー、メッセンジャーといえばMSN。

あのころ、母親がPCデスクの近くを通るたび、メッセンジャーの画面上に、ささっとマインスイーパの画面を重ねていた。上級編にしておかないと、画面が小さすぎて、メッセンジャーのやり取りがうまく隠れない。はー、母も父も早く寝てくれないかな。もう11時じゃん、なんでまだ起きてるの。そうやってリビングの空気を推しはかりながら、いろんな友人知人と、一対一で心の内を吐き出しまくっていた。

ZOOMの画面には、自分が感じる家族の気配がそのまま映りこむ気がするけれど、メッセンジャーの画面には、一切混ざってこない。リビングと画面の中は完全に分断されていて、スマスマが流れるその横で、人生の意味に戸惑う思春期のじっとりとした会話が繰り広げられていた。いまの思春期の少年少女は、あの会話をどこでやっているんだろう。リビングでくつろいだ顔を見せながら、手の中に収まったスマートフォンの画面では、熱を帯びた言葉を交わしあっているんだろうか。

あの、メッセンジャーの画面に並ぶ、オンラインとオフラインに分かれたアイコンもいとおしい。いま私と、日々の生きづらさについて語り合っているあなた、どうせ同じデスクトップの上で、この同じ瞬間に、他の女の子をデートに誘っているんでしょう。そうだよね、〇〇ちゃんも、△△ちゃんもオンラインなのに、私だけと会話しているはずないよねえ。いや、◇◇さんだって取り込み中になってるけど、絶対XXくんと会話しているはずだ。ううん、いいの、別にいいの、たとえ何番目だって、この会話が楽しければそれでいいじゃないか。

無機質なアイコンの一覧が、私に教えてくれた感情がたくさんある。自分と会話をしている相手は、他の人とも会話をしているであろうこと。本当は、他の誰かと会話できるのを待っているだけなのかもしれないこと。でも、どちらの事実も、いま私とその人が交わしている会話の面白みを損なうわけではないこと。まあちょっぴり強がりもあるけれど、でも本当にそうだと思っている。


それにしても、アイコンひとつで、「いま私に話しかけてもいいですよ」というサインをしれっと送り合えるなんて、まさにいまの私たちに必要な機能なんじゃあるまいか。しかしもうメッセンジャーは、私たちのもとから去ってしまった。だから、自分の力で、「私に話しかけてもいいですよ」のサインを出したり、受け取りに行ったりしなくてはいけないのだ。


そういえば10代の頃、メッセンジャーの自分の名前に@をつけて、自分の好きな歌詞を入れるのが流行っていた。そのうちのいくつかを覚えていて、それはもう恥ずかしくて顔から火が出そうなんだけど、ほら、たとえば、「エミコ@あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ」みたいな。うおー。いやー。やめてくれ。

10代の私よ、あの頃の未来では、新たなウイルスによって、多くの人が家に閉じ込められているよ。今こそメッセンジャーをオンラインにしたいのに、もうサービスはとっくに終了していて、代わりでも何でもないけどキムタクがインスタを始めて一週間が経った。漫画のキャラクターの絵を書いたり、びっくりマークに絵文字を使ったり、絶妙にイケてなくて悲しい一週間だったんだけど、若い子には「おじさんっぽくてかわいい」と評判らしいんだ。すべてが思うほどうまくはいかないけれど、思ったよりうまくいくこともたくさんあって、私はいまそれなりに幸せに過ごしているよ。


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