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一人ひとりの「合理性」を理解する――「地元を生きる 沖縄的共同性の社会学」を読む

待望の本が出たぞと手に取ったはいいけれど、予想以上に分厚くて重たくて、今はちょっと…と本棚に押し込んだ。


週末、改めて手に取って、ページをめくってみる。第一章で数字やグラフが並んでいるのを素通りし、さらに進むと、打越正行さんの著書「ヤンキーと地元」に登場した名前をいくつも発見した。

それは、30代になっても、地元の建設会社で働き、何人もの先輩に深夜呼び出され、送迎をさせられる毎日を送る男性の生活史。共同体から排除され、また共同体に拘束される人たちと、著者自身が何年も生活を共にした記録。そこからは貪るように、第四章→第五章→第二章→第三章と読み進めた。

そして最後、第一章に戻ってきたとき、初めは単なる数字や図にしか見えなかった記述が、本書に登場する人たちの土台にある、ものすごく重要な情報なんだとわかった。



「本書ではまず何よりも、「さまざまである」ことを書きたいと思う。そのために階層という視点を取り入れた。」



岸政彦さんは序章で、「さまざまであること」「この階層だからこういう人生と言いたいわけではない」と念を押す。

人生はさまざまであって、同じものは一つもない。しかし、「さまざまですね」 で終わりにするのではなく、彼らがどのような状況の中で生きているのかを理解しようとしたい。そのために、一人ひとりがどんな条件の元で生きているのか、なぜその選択肢を取るのか、そこにはどんな社会があるのかを見つめている。


初めにこの本のエピソードを耳にしたときは、少し不思議に思った。私は、著者である岸政彦さん・上間陽子さん・打越正行さんの本がとても好きだったので、単著がこんなに面白いのに、何故わざわざ共同で本を出すのか、よくわからなかったのだ。
研究というものに詳しくない身からすると、それぞれの聞き取りや参与観察の記録を、なぜわざわざ一冊にまとめるんだろうか、と思っていた。


しかし、読み進めていくうちに、これまでの単著とはまったく違う、ということがよく分かった。

この本で取り上げられる一人ひとりは、同じ時間に同じ沖縄で生きていて、どこかですれ違っているかもしれなくて、同じお店でお酒を飲んでいるかもしれなくて、しかしその物語はまったくと言っていいほど混じり合わない。

その、彼らの人生が混じり合わずに進んでいく感じと、しかしその一人ひとりの物語が同じ産業構造に大きく根付いている現実が、同時にじわじわと浮かび上がってくる。これまでにない、なんとも奇妙で不思議な感覚。新たな読書体験をしてしまった、と思った。


私たちは、一人ひとりの物語が、同じ地域で同じ時間を生きていても、圧倒的に混じり合わないことを、すでに事実として知っている。

ただ、それは混じり合わないものだから、その「混じり合わなさ」を目撃して、実感できる機会はほとんどない。せいぜいスクランブル交差点で、「みんなそれぞれ生きてるんだなあ」と、一瞬だけ思いを馳せる程度だ。その「それぞれ」をリアルに知ることはきわめて少ない。


それが、この本では、目撃してしまった、という感覚になる。見えるはずのないものが、可視化されてしまった感じ。すごい読み応えだった。



この本では、第二章以降で一人ひとりの物語が描かれる一方で、第一章で、彼らが生きる沖縄の産業構造や経済史を説明している。この章が本当に興味深い。

私だって、沖縄の平均賃金が全国最低であることくらいは知っていた。しかし、賃金が安くても物価が安いわけではない、ということは知らなかった。

そして、現在の沖縄の産業構造が、戦後の占領期に大きく形作られたことも知らなかった。当時、日本が1ドル=360円の円安で輸出型の経済を確立し、大規模な工業国になったことは知っていたのに。そのとき、沖縄が1ドル=120B円に設定され、大規模な工業化がなされず、日本からの輸入依存かつ零細企業による構造が作り上げられたことは知らなかったのだ。


これは、ちゃんと教科書に載せたほうがいいと思う。もしかして自分が真面目に読んでなかっただけで、載っていたんだろうか。沖縄を知ることはもちろん、歴史によっていびつな構造が形成され、自分はそれを知らずに生きているという事実に、ちゃんと後ろめたくなっておいたほうがいい。

私たちは、自分の知らない加害性を指摘されると、そんなの私のせいじゃないし…と居心地が悪くなるけれど、その居心地の悪さこそ、社会全体の居心地の良さをつくる第一歩なんだと思う。



こうやって私たちは、著者それぞれの身を切るような調査を、ほんの少しのお金を払って読ませてもらう。そして、社会構造の大きな話をされると、そこに生きる一人ひとりの話を聞きたいと言う。今度は一人ひとりの話をされると、土台にある社会構造を知りたいと言う。そして、その両方が結び付けられて語られると、やれこじつけだ無理やりだ、と言いたくなる。なんてわがままなんだ。びっくりしてしまう。

しかし、そんなわがままに対するひとつの答えが、本書にあるような気がする。

私たちは、たとえ理解しあえなくても、それぞれが自分の合理性を持って生きている。そしてそれは、社会によって大きく規定されている。






*生活史インタビューの本を作りました*


https://mogurakai.thebase.in/items/43789667





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