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2020年4月22日 ぼくはパンケーキ、ママはおちゃづけ

息子と私の境界がどんどん曖昧になっていく。

自宅保育が始まって2週間。
我が家でも、仕事と家庭と自分の時間がごちゃごちゃになっている。そして息子と私の密着度が日に日に増している。

例えば夜中。これまではキックや頭突きが飛んできていたのが、最近は私の身体を探してさまようになった。私まで辿り着くと、全身で覆いかぶさり、頭からつま先まで可能な限りの表面積を密着させようとする。
砂浴びをする動物のように、私の身体の上で伸びをして、私の頭に自分の頭をごしごしと擦り付け、髪の毛を根元から引っ張る。痛い。そして重い。

しかし一緒にいると、しんどいなと思いながら、愛おしい気持ちも膨らんでいく。ああ、かわいい。ずっと抱きしめていたいなあ。彼の欲求すべてを満たしたい。

そして、私も、息子と自分の境界がよくわからなくなっていく。
朝、息子にねだられてパンケーキを焼きながら、あれ、私パンケーキ食べたいんだっけ、と我に返った。
息子の好きなものを作るのは楽しい。息子が喜ぶのも嬉しい。パンケーキを焼くのも面白い。
でも、私はそもそも、家で焼いたパンケーキの味、そこまで好きじゃなかったような。

一日三食を共にすると、食事も同じメニューになる。
そりゃそうだ。家族なんだから、同じものを同じ食卓で食べる。
そんなの当たり前だから、疑う必要はない。それこそ愛情のしるしだ。

いやいやいや、そんなわけないでしょう。
私は慌てて、息子のパンケーキをお皿によそってから、パックごはんをチンして、チャンジャを山盛りにのっけて、インスタントのお出汁をたっぷりかけて、海苔をのせる。
息子が不思議そうに、「ママごはん?」と聞く。
「そうだよ、あなたはパンケーキ、ママはお茶漬け」と返す。

これまでは、「家にいるときは子供との時間」というだけでよかった。目に見えるわかりやすいメリハリ。でも、今の生活では、そうはいかない。いくら夫と分担して一人の時間を設けても、その時間は仕事に消えていく。快適に過ごすための家事をする時間も限られる。だから、物理的な分離だけでなくて、「子供といても自分の時間」を探らないと、終わりの見えないこの生活はやっていけない。そんな予感がする。


今日も息子は、私の洋服の裾を引っ張っては、これをしようあれをしようとせがんでくる。
息子に向かって、「それ、ママとやりたいの?自分でしたいの?」と聞いてみた。すると、「ぼくとママでやるの」と返事が返ってくる。じゃあ、10分は一緒に思い切り遊ぼう、そのあとはママのやりたいことをやる!そう言って、まずは息子との遊びに没頭する。

息子のことは大好きだし、絵本を読むのは好きだし、たくさん抱きしめるけれど、24時間それは出来ないんだよ。だから息子の見たいテレビを見たら、今度は私の見たいテレビを見る。

こんなことしたって、日々上手くいくわけじゃない。でも、常に近くにいるからこそ、言葉に出して、主語をのせて、線を引いて、違う人間であることを確認する。要求を突き合わせ、妥協しながら、一緒の時間を過ごしていく。それを繰り返すことは、楽しくて平和な毎日を過ごす第一歩だ。罪悪感を持つ必要はないと信じている。

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