見出し画像

「自分に飽きた」のつづきのつづき

もう自分に飽きてしまったよ…もういいよ…と思ったことはありますか?

先日、chieさんとみかづきさんの「自分に飽きた」エピソードを拝見して、私もすっかり忘れていた頃のことを思い出しました。


私の「自分に飽きてしまった」は、2013年の初夏のこと。

その2年前、私は生まれて初めて、一人暮らしをはじめました。
それまでは、20年間以上ずっと実家暮らし。一人暮らしはしてみたかったものの、家族と関係が悪い訳でもなく、お金もなく、きっかけがつかめないままでした。

それが、一人暮らしの友人に感化されて、さらに東日本大震災の直後で、何か「このままじゃいけない」とそわそわしていた勢いもあって。親に黙って内見をして物件を決め、「明日契約する」と宣言して一人暮らしをスタートしたのでした。

その一人暮らしが、ものすごく楽しかった。
とっても楽ちんだったのです。


たとえば、夕ごはんにチゲ鍋を作って、大量のマロニーを投入して麺のようにすすって、朝その残りにごはんと卵を入れて雑炊にして食べる…というのを1週間つづけても、誰にも何も言われないんですよ。知ってました?私はこのときまで知りませんでした。

あと、突然健康志向に目覚めて、グリーンスムージーを朝晩ミキサーで作って大量に飲む、他のものは昼ごはんのみ、砂糖抜き、みたいな生活に走っても、誰にも何も言われません。思いついたその日から実行できます。もちろんすぐに挫折しましたけど。

さらに、怪しげな「これで背筋まっすぐ!凛とした立ち姿でモテる女に!」みたいな健康器具を買って、一日中装着していても誰にも見られません。クーラーはもちろん自分のベストな温度設定、お風呂のあとは汗がひくまで裸でテレビ、朝起きてから会社に行くまでずっとムスッとしていても誰も気が付かない…。何もかもが感動の連続でした。

親戚には「お母さんのありがたみがわかるよ」なんて言われましたが、母に申し訳ないくらい、わかりませんでした。一人暮らしの家事なんてたかが知れているし、自分の好きな時間にやればいい。母のように家族のために家事をこなしているわけでも、家族の生活ペースに合わせているわけでもありません。


もちろん、仕事のストレスはありました。もう、イライラして、お風呂場で、「あーもう無理なんですけど!!」とか叫んだりしていました。
でも、一人暮らしだと、誰かに八つ当たりできないんですよね。これがとても良かった。実家暮らしのときは、母につい冷たい口調で当たってしまって、あとで落ち込んだりしていました。
でも、一人暮らしだと、どれだけイライラしても、明確に「このイライラは自分のもの」と線を引くことが出来たんです。


そのおかげで、一人で暮らしている間は「自分のイライラは自分で解消する」ということが習慣として身につきました。
自分の中のイライラの芽に敏感になって、早めに摘みに行く。もし大きなイライラがやってきても、うまいことだましながら消していく。そうやって、自分の機嫌を取る方法を覚えました。そのため、当時は精神的にとても安定していたと思います。


こうして、最高にハッピーな一人暮らし生活がつづきました。

それまで土日は、仕事の疲れを取るだけで精一杯だったのに、お出かけも出来るようになりました。昔からの友人に会ったり、読書会のようなイベントに行ったり、そこで新しい友人が出来たり…。
今でも、あの毎日は本当に楽しかったなぁと思います。


にもかかわらず。
そんな生活を2年近くつづけたある日、「ああ、もう飽きたかもしれない」と思ったんです。

自分のことを考えるのはもう飽きたのかもしれない、と。

きっかけは、親しい友人の一言でした。

「自分が元気なときに相手を思いやるのは簡単だけどさ、自分がしんどいときでも相手を思いやりたいんだよね。家族とか恋人とかって、そういうものだと思う」


これには、目からウロコが落ちました。

当時の私は、何より自分の気持ちを安定させるのが第一で、「自分が楽しい範囲で人と付き合う」ということを大切にしてきました。

家族とも友人とも、ほどよい距離で付き合う。自分が疲れすぎないように一人の時間をたくさん取る。もし誰かにイライラして疲れてしまうとしたら、それは距離を縮めすぎているからではないかしら。そんなの自分にも相手にもよくないことではないかと。

そんな私にとって、友人を思いやるということは、「自分に余裕があるときにすること」だったんです。

しかし、その友人の発言を聞いて、ふと思いました。 

挑戦してみてもいいかもしれない。

自分がイライラしてしまうくらい、誰かと関わってもいいかもしれない。


自分だけで完結する快適な生活は、それはもう最高なんだけれど、なんだかもう自分には飽きてしまった気がする。
「もう疲れた…しんどい…」と思ったときでも、隣にいる人のことを思いやる、そんなことに挑戦してみるのもいいかもしれない、と。

そう思ってから急に、自分のことを考えるのに飽きてしまいました。楽しかったはずの一人暮らしが、みるみる色褪せていきます。

とはいえ、当時の私には恋人なんておらず、この「誰かにもっと関わってみよう」「誰かにもっとやさしくしたい」という熱烈な気持ちを受け止めてくれる相手はなかなか見つかりませんでした。
あふれそうな思いを押しとどめながら毎日過ごしていました。


それからだいぶ時間が経ったころ、とても仕事に疲れている一人の男性と出会い、これはいいターゲットを見つけたとばかりに、どんなに自分が疲れていてもやさしく話を聞くぞ!と行き場のないやさしさを大放出しました。
その結果、なんとその人とお付き合いをすることになり、一人暮らしに終止符を打つことになりました。

残念ながら、二人暮らしになってから、私のやさしさは面白いように消え、今ではそれでも結婚してくれた夫に八つ当たりをする日々を過ごしています。ひどいですね。
あの「自分がしんどいときに人を思いやる」挑戦は、もっぱら息子に向けられていますが、なかなかハードで、とても達成できそうにありません。


ただ、あの一人暮らしの安定した日々があったおかげで、自分に少しだけ自信が生まれて、「誰かと一緒に暮らすと気持ちに波が起こるものなんだな」「100%安定して穏やかな毎日なんて無理だな」と思えるようになりました。

もし、あの期間がなかったら、夫に八つ当たりしたり息子にイライラしたりするたびに、自分は妻としても母親としても最低なんじゃないか…と落ち込みまくっていたと思います。(今でもたまにはちゃんと落ち込みますけど)

そんなこんなで、私の「自分に飽きた」瞬間からは、もう6年ほど経ちました。
もしかして、子供がもう少し大きくなったら、また自分自身にがっつり目を向けなければいけない日々が来るのではないか…。最近、子育ての諸先輩方の文章を読んで、そんなことに薄々気が付きはじめたところです。

そのときは、出来るだけ一人で完結するような形ではなく、家族や周りと関わる形で自分の安定を見つけたいなと。たまには気持ちを波立たせつつも、楽しくやっていきたいなと。今ではそんなふうに思っています。









この記事が参加している募集

#note感想文

10,722件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?