見出し画像

#ゲームとことば Advent Calendar 2022 『Dark Souls』と私

やはり私の人生を変えたゲームといえば『Dark Souls』にほかならない。

私のゲーム業界キャリアは『Dark Souls』で始まった。そして『Dark Souls』はゲーマーとしても私の「人間性」を成長させてくれた作品だ。JRPG育ちでアクションが苦手だった私が、プレイ時間では180時間、実時間1年をかけて初めてクリアした3DアクションRPGが『Dark Souls』である。『Dark Souls』は私に教えてくれた。「戦略を持って、時間をかければ、たいていのことは達成できる」と。自分に自信を失いそうなとき、「『Dark Souls』をクリアしたんだ。お前ならできる!」と今でも結構本気で自分に言い聞かせている。

ゲームとことば Advent Calendar 2022」のお題は「ゲームと人生」ということで、このお題にかこつけて唐突に長い長い自分語りを始める。一応最後にこの話は『Dark Souls』へとつながるから、少しの間我慢してほしい。

今でこそ、ゲーム分野で日英翻訳・英日翻訳の仕事をしている私だが、十代の頃は自分が何に向いているか、将来何をすればいいのか分からず、ずっと悩んでいた。私は子供のころから凝り性で、根っからのオタク気質だ。漫画、小説、映画、ゲーム、声優、その時々であらゆるものにハマってきた(ちなみに人生初の推しジャンルはギリシア神話だ)。しかし、まさか自分がそういった分野の仕事につくとは思いもよらなかった。趣味は趣味、それを仕事にできるのは一部の天才に違いない、そういった「あきらめ」があった。しかし、今では考えが変わった。

人は技術や知識を教えられるが、好きなものを愛する気持ちは教えられない。何かを好きなこと、それ自体がすでに一つの才能なのだ。もし、今あなたがその貴重な才能に恵まれているなら、どうかその才能を大事にしてほしい。もちろん、それを仕事にするなら、それ相応の運と努力と戦略が必要だ。強敵は遠くから毒矢で倒してもいいし、初見のダンジョンが怖ければ「静かに眠る竜印の指輪」と「霧の指輪」を装備してステルスプレイしたっていい。もちろん誰かと協力プレイしたっていいのだけど。

子供の頃は何せ暇なので、小説や漫画を500冊くらいは読んでいた。特にスニーカー文庫、電撃文庫、富士見ファンタジア文庫などのファンタジー小説が大好きだった。 小学生の頃は友達が少なかったこともあり、そういった作品に一人で浸るしかなかった。

小学校四年生のころ、文化祭で自由研究の展示を行うことになった。当時、私はファンタジー小説『ロードス島戦記』の影響でTRPGに興味を持っていたので、「TRPGのリプレイ」を発表することにした。しかし普通TRPGにはプレイヤーが複数必要だ。だが、なにしろ友達がいなかったので、一人用の特別ルールでプレイした。たしか使ったゲームは『ダブルムーン伝説RPG』だ。

文化祭当日、私の展示の前で、ある青年が立ち止まり、「へえ、こんな小さい時からTRPGをやっているの? すごいな。こういうゲームは海外のものが多いから、英語の勉強にもなるよ」と声をかけてくれた。今思い返すと、この「伏線」は回収されることになる。

世界史が大好きで、とにかく一度は海外に住んでみたかった私は、高校卒業後アメリカに留学した。アメリカ留学時代は様々な失敗や挫折があった。四年制大学を卒業するのに8年もかけ、8年も住んでいたのに結局水が合わず、日本に戻った。しかし日本に戻ったら、英語が出来ても年相応の社会人経験がない私に世間は冷たかった。時はおりしも東日本大震災が起きた2011年春。日本経済の先行きは不透明で、新卒内定取り消しも話題になっていた。そんな中、誰が実務経験ゼロの28歳を雇うだろうか? 就職面接や説明会に行ってはお断りされた。

そんな時、友人から「知り合いの翻訳会社で、英語ができるオタクを探している」という話を聞いた。「英語ができるオタク、私では?!」と藁にもすがる思いで面接とトライアルテスト(翻訳の実力テスト)を受けた。試用期間ありだったが、結果的には採用された。前任者が退職したことによる欠員補充だったので、私はいきなり現場に参加することになった。『Dark Souls』の日英翻訳現場に。

まさか自分が、こんな大作ゲームに突然関わるとは思っていなかった。さすがに当初、私のした仕事は他のメンバーが必ずチェックする態勢になっていた。しかし、自分の入れた指摘で大きなミスを防げたことや、自分のアイデアが採用されることもあり、やりがいを感じた。ファンタジー小説を読み漁っていたおかげで、恐れ多くも『Dark Souls』開発者の宮崎氏と小説の話ができたこともあった。「世界中がこの作品を見る」という重圧に吐きそうになりながら、身体をボロボロにして修羅場をくぐりぬけたこともあった。その後も私はフロムソフトウェア作品の日英翻訳に約10年関わった(現在は退職ずみ)。

30年前の文化祭のことを思い出すと、スティーブ・ジョブズが言ったように、「点と点をつなぐ(connecting the dots)」が自分の人生にも起こったと感じる。私はよく頭の中で過去の「シナリオ分岐」を何度も想像するが、何度考えても、大学卒業は遅れるし、そのせいで普通の就職ルートには進めない。でもゲームの翻訳会社にたどりついて、『Dark Souls』に関わる、このルートを結局は選ぶだろう。

『Dark Souls』の発売から11年目の今年、本作が小説化されるというニュースを目にした。もともと日本人が作ったゲームだが、今や世界中にファンがいるため、米国の作家が英語で書いた小説が原作になるという。手探りのままに参加したあの『Dark Souls』が、本当に私たちの手を離れて世界的な作品になったことを実感した。さらに、日本版の小説には、日本のファンタジー分野の第一人者である翻訳家・小説家の安田均氏が携わると知った。私が子供時代に読んできた多くの作品にも関わっているあの安田氏が。

当然ながら、私と安田氏は、生まれた年代も、人生経験も、立場も何もかも違う。宮崎氏もそうだ。ただ、『Dark Souls』という作品や、ファンタジーフィクションという大きな枠組みの中で、私たちは遠くともつながった、そんな気がした。私一人の存在は小さい。しかし私は『Dark Souls』を通して、ファンタジーフィクションの歴史の一部になり、大いなる道を形成する舗道の石となれたのだ。

(本稿は、英日ゲーム翻訳者のReimondさん主催による「ゲームとことば2022」という企画向けに執筆したものです。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?