0~2歳 負けず嫌いな私の話

初めまして。
私は1993年から人生を始めました。
忘れっぽい質なので備忘のためnoteに残していこうと思います。

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0~2歳の記憶は、ほとんど無い。
ただ、私は、人より少し怠けるのが好きで、
負けず嫌いな子どもだったのではないかと思う。

私は関東のごくごく普通の家庭で生まれて育った。
父親は自営業で、家の横にある倉庫のような場所で仕事をしていた。
母親は専業主婦で、おおらかな性格の人だった。
変わっていたことと言えば、
父親は髪や髭が長く、少し不潔な身なりをしていたことくらいだろうか。


0歳、私は誰かの生まれ変わりだった。
私が産まれる数時間前に、
父方の祖父母の家で飼っていた犬のタロウが息を引き取ったらしい。
そのため祖父母は私のことを「タロウの生まれ変わりだ」と信じている。
今でも、会いに行く度にその話ばかりされているので、
祖父母は多分、私のことをタロウだと思っている。

だけど、母親の祖父母(私にとっての曾祖母)が亡くなったのも、
私が産まれる数時間前のことだったらしい。
そのため、母方の祖父母からは、「曾祖母の生まれ変わりだ」と言われる。

そんな感じで、
「タロウの生まれ変わり説」
「曾祖母の生まれ変わり説」
が混在するタイミングで産まれてきたのが、私、emiです。


1歳、私は2歳年上の兄の後をずっとついて回る子だった。
兄が学習塾に通うと言えば「私も!」と言い、同じ学習塾に通った。
兄がピアノを習うと言えば「私も!」と言い、リトミックを習った。

両親が習い事を強制することはなかったが、
私は積極的に習い事に向き合い、どんどん吸収していった。
兄がやっていることは何でも真似したい、追いつきたい。
兄と並んで歩きたい、そういった気持ちがとても強かった。


2歳、私は負けず嫌いな子だった。
兄が幼稚園でひらがなを覚え始めると、私も真似して覚えた。
学習塾で国語を習っていたこともあり、
おかげで、早い時期から読みだけは完璧だった。
何事も、誰よりも早く自分が出来ないと気が済まなかった私は、
学習塾では自分の年齢よりも2、3学年先の学習を行っていた。

兄の真似をして習い始めたリトミックでは友達も出来て、
友達と一緒に歌を歌ったり
楽器を作ってリズムに合わせたりしていくうちに、
兄とは関係なく音楽が好きになっていった。


この頃、弟が生まれた。
「弟が初めて家に来た日、
ちょうど風邪をひいていた私は弟に向かって咳をかけてしまい、
弟はまたすぐに入院することになりとても大変な思いをした」
と後に両親から何度も聞かされることになるとは思いもしなかったし、
多分「弟」って何なのか良くわかってなかったと思う。


私の母親は人当たりが良いので、家には常に人がいた記憶がある。
時代のせいか、髪や髭の長いファンキーなおじさんや、
きつめのパーマがかかったやたらアイメイクの濃いおばさんが多く、
幼い私から見ると怖い見た目の人が多く家に出入りしていた。

そんな中、私は何かにすっぽり包まれていると安心出来たので、
大柄なおじさんに抱っこして貰うのが大好きだった。
母親がふくよかな体型をしていたのも関係あるのかもしれない。
家に遊びに来るおじさんやおばさんは例外なく優しかったけれど、
私はハッキリ区別していて、常に大柄なおじさんにだけ抱っこを許していた。

「大柄なひとが好き」
これは、本能的なものだったのかわからないけれど、
何歳になっても好みのタイプの根幹にずっと残っている。

幼稚園にあがる頃には自我もはっきりしてきていて、
大柄な人が好きで、人の真似をするのが好きで、
負けず嫌いな性格の私が出来上がってきていた。

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