#1 ハン・ガン「菜食主義者」 肉食主義者たちの世界にいかに抵抗するか の感想

※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です

今回の本

今回のキーワード

  • (韓国では)激しく肉を食べ、激しく酒を飲み、激しく喋っている

  • 日本の小説と感覚がすごく近い

  • いわゆる不条理小説「朝起きたら妻が菜食主義者になっていた」

  • 肉食は文化的刷り込み?動物に対する迫害を正当化している。(家族、男女間の支配、被支配の関係につながる)

  • 不条理はそのまま受け取れない。ユーモアは対象と距離を取る方法

  • ユーモアを感じない(カフカとの違い)しんどい

  • 切迫した語り口は作者の意図。ユーモアなんか言うとる場合ちゃうぞ、と

  • 北から吹いてくる乾いた冷たい風が吹き抜ける寒々しい読後感

  • 三篇合わせ読むのがおすすめ(干場さん)

ヨンヘの夫

 劣等感を隠し持ちながらヨンヘをを下に見ているのが冒頭から伝わってくる。社長夫婦たちとの食事会に行く前に「化粧、やり直して」という場面。こんな状態で食事会なんかに連れて行ったら駄目だろ・・・と思うが、恐らくずっとこの調子でヨンヘに対して思いやりとか愛情がなかったんだろう。
 彼女が読んでいる本にも興味を示さず、明らかに精神的に破綻しつつあるのに心配しているというより世間体のために、自分の平穏な生活のために「やり過ごそう」としている。後々離婚することになるがここは致し方ないと思う。元々愛情のある夫婦関係でも大変だろうから、このふたりでは続けていけるわけがないのだから。
 この夫、ヨンヘに愛情はないのに肉体関係は強要し、そればかりか抵抗されて興奮している場面が絶望的だ。
 ところでヨンヘがブラジャーを嫌う気持ちは十分わかるので、せめてニプレスをしていればなぁ……と思った。(そういう問題ではないだろうが)

ヨンヘの父

 大東先生がこの小説を「ユーモアがない」と言っていたが、ヨンヘの実家はユーモアなんか生まれ得ない家庭だったんだと思う。この父親が原因で!
ベトナム戦争に従事していてベトコンを云々、というエピソードを自慢気に話すところから既にいやーな感じがする。
 この父親を最も象徴しているのがヨンヘの姉のマンションでの食事会での場面。嫌がるヨンヘに無理やり肉を食べさせる際に「今の世の中で肉を食べずに生きている人間がどこにいると言うんだ!」って言うんだよね。このお父さん。いや、いっぱいいるでしょ。でもいないんだよね。このお父さんの世界には。
 それよりもぞっとしたのがヨンヘの回想シーン。ヨンヘが9歳のころに犬に足を噛まれた。その犬をバイクにつないで引きずり回す父親。その後はっきり書いてはいないけど、鍋にして食べさせてる。こんなのトラウマでしょう。映画『ブリキの太鼓』で海辺にあがった馬の頭からうなぎがはいでてくるシーンがあったけど、それを見たお母さんが狂っちゃうんだよね。それに近いものがある。
 父親の権威、というものを韓国ドラマや映画を見るたびに考えるが、たぶん一昔前の日本みたいな感じなのかと。映画『パラサイト』でもお兄ちゃんは父親に常に敬語だったし。

ヨンヘの母

「肉を食べずにそんな顔をしていたら、世間の笑いものになっちゃうわよ」

本文より

 このお母さんも上記のお父さんにずっと忍従しているうちに、子どもが父親の言うことをきかない、という状態を受け入れられないんだろうなぁ。

その他の収録作品

「蒙古斑」
 ヨンヘの義兄(姉インへの夫)から見たヨンヘ。ヨンヘに蒙古斑がある、というインへの言葉からインスピレーションと性的興奮を覚えてしまい、最終的にヨンへと肉体関係に陥ってしまう。これインへからすると、単純に肉体関係を結んだことが許せなかったんじゃないと思う。もしヨンヘの精神が壊れていない状態だったら、ここまでこじれなかったと思う。
 『お互いの身体に花の絵を描いて交わる』という「わけのわからない行為」を交わしたことが許せないし悲しいんだと思う。自分は仕事と子育てで疲れ果ててるのに、夫(と妹)は厳しい現実社会からぶっ飛んだ世界にいたんだから、そりゃインへ絶望するわ。

「木の花火」
 みんなが見放した妹・ヨンヘに付きそう姉インへ。自分が長女(妹ひとり)のせいか、私は一番インへに共感した。
 幼い頃、父親の暴力からうまく逃れられなかった妹を思うインへ。

今になってみれば彼女はわかる。あのとき、長女として行った自分の従順さは、早熟ではなく卑怯だったことを。ただ、生存の一方法にすぎなかったことを。

本文より

インへ何もわるくないよ……、と泣きそうになる。彼女は彼女で精一杯だったはずだ。悪いのは父親だ!!山で道に迷った幼い頃のヨンヘが「わたしたち、このまま帰らないようにしよう」と言う。子どもにとって家は一番安全でなくてはいけないはずなのに。
 すべてを引き受けてきた姉のインへが「貧乏くじ」をひいていることに、その責任感に長子の性みたいなのを感じて切なくなる。

実は、あの子をひそかに恨んでいたことを。この泥沼のような人生を彼女に残して、一人だけ境界の向こうに行ってしまった妹の精神を、その無責任が赦せなかったことを。

本文より

妹が先に境界の向こうに行ってしまったから自分はここに留まらなくてはいけない、自分には子どももいる、と崖っぷちのぎりぎりでぐらぐらと揺れているインへ。
 この先どうなるのかはまったくわからないけど、少しでもインへに安らかな日々が来るといいなと思う。

まとめ

 結局、ヨンヘがなぜ菜食主義者になったのか、明確な理由は示されない。昔読んだ本で田辺聖子さんが「自殺は身体を用いた最後の口答えである」みたいなことを書いていたように記憶しているんだけど、ヨンヘの場合もそれに近いのかな。
 私も人間社会嫌になって植物とか動物になりたいな……と思うことがしばしばあるので、植物になりたがったヨンヘの気持ちがほんの少しわかるような気がした。








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