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距離感のあれこれ。


 はじめに、わたしは遠距離恋愛の経験はない。
    これまで、物理的に一番離れていた恋愛は専門学生の時。それは、高校生の時にスタートした恋愛で、わたしの進学を機に車で1時間くらいの距離になった。免許は持っていても、マイカーを持っていなかった、当時のわたしたちにとっては、十分に遠距離だった。デートは、月に1度実家に帰ったときか、部活のない週末に彼がバスでアパートに遊びに来てくれるか、そんな感じだった。
 実家も車で1時間くらい。毎月1度は帰省する。これに関しては、遠いとも近いとも思っていない。適切な距離感だ。でも、当時の彼との車で1時間という距離に関しては、遠いと感じていた。



 そもそも、遠距離ってどこからが遠距離なんだろう。こんな話題になったときの答えは決まっている、なんなら高校生くらいから変わっていない。

 ”会いたい人と、会いたいときに会えないのなら、隣に住んでいてもそれは遠距離

 口に出すと、シンプルに重たすぎる。おいしい漬物を漬けられるくらいには重たい。そして、極端で思考が偏りすぎている。こんなことを言っても、やっぱりエマちゃんはおもしろいなぁと笑ってくれる友人ばかりなので助かる。
 仮に、恋人と隣の家に住んでいたとして、「きょうは会えないから遠距離だね。」なんて、メッセージが届いたとしよう。戦慄案件だ。さらに、(いずれできる予定の)恋人との同棲が始まって、きょうは別々に寝ようなんて日があろうものなら、「遠距離恋愛無理なんですけど!」と、130㏈は余裕だ。ちなみに、これは、ドラムやジェットエンジンと同じくらいの騒音。家の中でジェット機を飛ばされた日には、恋人の鼓膜も心配になる。ご近所トラブルのもとにもなりそう。

 これまでの発言で、お気づきの方も多いと思うが、わたしは恋愛をすると病的にその人のことが好きになるタイプ。この世に存在するすべての生命体の中でその人がトップになり、恋人の限界オタクと化す。オタ活なるものと、恋愛の平行はできないので、オタ活中は基本的に恋愛をしていないし、なんならオタク先のリアコだ。現在、恋人がいないところから考えて、どちらなのかはお察しください。



 恋人とどうなのよに対して「安定で、この世に存在するすべての生命体の中で一番好きですよ。」の返答が定番すぎて、わたしの周りにはこれに慣れた人が多すぎる。みんな優しいので、「そんなに好かれてたら恋人も幸せだろうね。」と、笑ってくれる。「ですよね!わたしもそう思います!わたしが男なら、わたしみたいに一途な女に鬼ほど愛でられて、甘やかされていたいです!」と、食い気味に心の中で返答。現実は全く甘くない。
 好き同士で恋人になったはずなのに、好きの熱量が違いすぎて、お互いに苦しくなることが多かった。相手にとってはわたしからの好きが重たいと感じられ、わたしは相手に気持ちを軽視されているように感じる

 あのぅ、、、わたしのこと好きなんですよね?たまには、言葉にして好きって伝えてみてほしいんですけど。心の中で呟くことにとどめられず、声に出した日には、「言葉にしないと、好きが伝わらないの?そういうの、たくさん言うと、言葉の重みが無くなっちゃうし、特別な日のために取っておきたいんだよね。」と、ありがちな言葉でかわされる。

  好きは好きでも、言葉にすると軽くなる好きってな~んだ?なぞなぞしてる?
 あなたの言ってる、特別な日っていつ来るの?お母さんの誕生日とか?

 わたしに絶対的な安心を与えてくれて、好きの熱量が同じ人でなければ、恋人のことを病的に好きになりがちで、超絶恋愛体質のわたしが健全に恋愛を楽しみ、遠距離を乗り越えるのは難しそうだ。見えない距離で絶対的に信頼しあえる関係って、とっても素敵だし、そうなりたい。物理的距離が近いことは安心材料にならないと、これまでの恋愛で十二分に体感した。
 未来の恋人へ。病的にわたしを好いて、限界オタクをしてください。よろしくお願いします。


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 言葉はいくらでも取り繕うことができる。言葉と行動の違和感に、気づいたときには手遅れなことが多くて、大事にされていないなと思ったときには、もう抜け出せなくなっていることがほとんどだ。自分のことは自分で守ろうね。

 きょうも読んでくれてありがとうございます。またね。



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