大学1年生の冬にカナダで1ヶ月ホームステイをし、 大学2年生の秋からまた同じところで1年間ホームステイをした。 冬休みの間はバンクーバーで1ヶ月、別の家庭でホームステイをした。 いつか、私もホストファミリーをやってみたいと思っていて、今般それが叶うこととなった。 夢って叶うんだなーと、また思った次第です。
暫くぶりに、自分のnoteを読み返してみたら、大体同じことで悩み、 考えていた。でもきっとそれはそういうもので、人生はらせん階段を上っていくようなものであると聞くので、同じことで悩み、考えていても、今は何周か上にいるのだと信じたい。 noteを書いていた時、3歳くらいだった娘は、もう7歳になった。やっぱりかわいくて、彼女が笑いながら駆けてくる来るときは、私の全ての過去が間違っていなかったと思える。そして感謝する。 先日は、急に、10年前、私を離した元恋人に対してありがとう
・ぼんやりと見ていた夢は叶っている ・いつか夢は叶うものだから、常にいい夢を見続けていようと思った ・最後に苺をトッピングするのは自分だということ ・既に苺も手にしている 若かりし頃、欧米の(豪邸ではなく道に面した小さな)お家を見て歩くのが好きだった。窓が特に。そして1番はフラワーボックスにお花がある家が好きだった。 いつかそういう家に住みたいなと思っていた。 そんなことを考えていたこともすっかり忘れていた何年も後に家を建てることになった。 設計士さんが最初に見
180センチサイズのクリスマスツリーを独身時代から持っている。 その後家庭を持ち、3年前に新築した時には、ツリー のためにスペースと配線を取り、照明も配置した。 今日、何気なくAmazonプライムでlove actuallyを見始めた。 この映画は大学生のころ、留学先のカナダの映画館で観た。わたしより少し年上の韓国人とタイ人のクラスメイトと。 彼女たちは、国に居る家族や彼を思って涙していた。わたしは家族のことは大事だけれど、loveとはあまり結びつかないし、恋愛の経験
この本を読んで私もこんな風に服を買いたいと思った。 隠れ家的なお店に出向いて、すでにいくつかにセレクトされた服の中から、さらに店員さんの手を借りて私の1着をセレクトしたい。 宇宙的に膨大な数の服の中から選んだ気になって、中間のコスト分、値引きされたようなお得さ、好きな時に気軽に買えるネット通販は便利だ。 しかし先日、片づけの模様を書いたようにここ数年の間に買った服は、躊躇なくゴミ箱行きになった。それは単に値段が安かったからではないと思う。買い物にストーリーがなさすぎたか
娘と姪、ともに3歳5ヶ月。 彼女たちの急速な成長を喜ぶというより、 私の油断を懺悔します。 今日、虫取り網を買って、初めての蟬とりをしました。 場所は神社、ここ数日、鯉にパンをあげているところ。 蟬とりを楽しんだ後、池を覗く彼女らに、今日はパン持って来てないよと言ったら、一目散に自宅を目指して走り出した。 家に帰って、ひと息ついてまた付き合うかと思ったら、2人はもういない。 パンを持って、自分たちで靴を履き、裏口から出て神社に向かっていた。 大人は私、母、
子どもが 私の作った 小さなバッグを下げている。 これは私の もののあはれ。 はぎれのバッグに、食べ残しのパンのミミを入れて、神社の池を目指している。 田舎暮らしでの彼女の日課。 ハンドメイドなんて、数年前は、いや、つい最近までだって私にとってはそぞろごとだった。 家事育児、手仕事は人生のあらゆるフェーズでその比率は変動させたらいいと思う。 はなからやらないと決めるのはもったいないし、全てをやると決めるのもいきぐるしい。 この田舎道を娘がこんなふうに駆けるのも期間
仕舞い込むことなく、年中使うか、部屋に飾り、ときに撫で、ブラシで手入れし、飴色に育てていく鞄、山葡萄のかごバッグのことを思っています。 山葡萄の蔓で編まれた、職人技の美しい鞄、どうやら寒い地方で盛んだった手仕事のようです。今は純国産となると価値が高く、有名な方の作品は特になかなか手に入らないようです。外国産でも結構値段は高いです。 手仕事にきちんと価値が置かれることは賛成です。大事に使えば100年以上、三代にわたり使えるというところにも魅力を感じます。 この鞄、最初欲し
子どもの描く絵で、お顔から手足が出ているのを頭足人と呼ぶんだと最近知った。 3歳くらいでそういう絵を描くようになるらしくて、いつかな、いつかな、もう直ぐかなと私は楽しみにしていた。 3歳4ヶ月の娘は10日ほど前はしきりにダンゴムシを描いていた。 その後もちょくちょく描く絵にもだいたい触角があった。 しかし、 昨日突然出てきた。 ねぇ、頭足人は?頭足人を経由しないパターンもあるの?頭足人に戻るパターンはないのかな? 頭足人、会いたかったな。
こんまりさんのメソッドに沿って服を片付けた。 手持ちの中で、各季節を過ごせるベストメンバーをミニマムスタッフィングで選出すること。 と私は理解した。 一か所に集めるともう全部捨てて新しくしたい衝動に駆られる。全部捨てたら着る服がなくなる。裸ではいられないから、何か買わなくてはならなくなる。それで素敵なものが買えるわけない。予算も時間も確保できないし、今はどこのブランドが好きかとか、体型や年齢、立場の変化にうまく合わせたファッションがわからないのだし。 こんまりさんの畳
私は20代の頃、国際線のCAだった。 それは子どもの頃からの夢だったし、それを叶えられたという自信とか、その職業に就いている間に経験したことや学んだこと、楽しかった思い出や今でもすごく仲の良い同期たち、色々なことに恵まれたと思う。 なぜ急にこんな事を書くのかと言うと、今こんまりさんの片づけをやっていて、その時のモノが捨てられないから。 キラキラした20代の思い出にすがって生きているのかなとか思ってしまう。 例えば、服。その頃お給料のかなりの部分をワンピース に費やして
先日、スープ作家 有賀薫さんの人参とお塩とオリーブオイルだけのスープを作ってみたらとても(とても!)美味しかったからです。 とても!という感激の大部分は、こんな簡単で単純な工程で素材の味が最大限に引き出せるんだ、変わるんだ、という衝撃。 もう一つの理由として、3歳の娘もスープで野菜を摂れたらいいなと思ったこともあります。 4月以降、娘の栄養管理が、100%私にかかっていることについて、頑張るぞ!という気持ちが強いけど、前みたいに保育園の給食で野菜もちゃんと食べてるからい
幼稚園は今も分散登園のため隔日で、年少の娘はお昼前に降園する。 半分くらい自粛気分のままだし、ゆっくりゆっくりな幼稚園生活への慣らしだど思う。 私はこういうやり方になったのは、コロナ中の幸いだと思っているけど、もし、今まで通りだったらとっくに慣れて、午後までの私のおひとりさま時間が確保されてたのかなと、今となってはあり得ない7月の様子を想像したりもする。 とはいえ子どもともっと過ごしたいと思っていたかつての私の願いが2倍3倍増しに叶えられているのはやっぱり有り難い。
Kindleは1.2年前に通勤の友として購入したが、あまり良い関係を築けていなかった。 本は紙!と思ったわけでもないけどなんとなく。しかし、今わたしの中で電子書籍ブームが到来。 読みかけの本が一つになってるっていい! 昨夜、Amazonのprime readingのなかに金子みすゞさんの詩集を見つけた。 え、これ無料なの?(会費は払ってるけど) ずっと前に知った有名な詩も含めて、今のわたしには多くの詩が心に滲むインクのように思えた。 子どもとの時間がメインになって
毎週生協で、県内産の野菜の詰め合わせをお願いしている。 今週とってもおいしいトマトに当たった。 お塩を少しかけながら丸かじりした。 昔、子どもの頃母と古い家の台所でやった食べ方とその味だ。 母は私の弟を妊娠中トマトをよく丸かじりしていた。だから弟は今でもトマトが嫌い。 このことを思い出した。 丸かじりの記憶は、母の妊娠中、つまり私が3歳の頃の記憶なのかと一瞬思う。 多分違う。弟のトマト嫌いのエピソードとしてこういう話をもっと大きくなってから何度も聞いたと思うから
私の夫は歳の離れた兄姉がいる末っ子で、 母からとびきりに愛を与えられて育ったようだ。 彼は33の時に私と出会い、翌年に結婚した。それまではずっと実家にいた。 私は30だったので、相手がマザコンだとかはあまり気にしなかったし、 自分の実家が遠方なので、敢えて彼の実家の近くににアパートを借りることを提案し、新婚生活を始めた。 お義母さんは私に対しても愛を与えてくれる人だったので仲良くしていた。しかし結婚から1年も経たずして急逝した。 そういうこともあり、夫にとって母は尊い