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日記:2024年7月8日 晴れ

・ついにセミが鳴き始めた。立夏や梅雨明けなど人によってサマーシーズンの到来を感じる瞬間はそれぞれであろうが、個人的にいちばん夏の訪れを感じる瞬間がこのタイミングだ。ゆえにそこそこの関心事であり、X(Twitter)を遡ると律儀にも毎年シーズン初のセミの鳴き声観測記録を付けている格好となった。年々勢いを増すばかりの酷暑に人間の方はすっかり音を上げているが、彼らの生態に限って言えば今年も概ね例年通りであるらしい。

・我ながら結構、可愛い趣味じゃないですか?

・今日はとりわけ暇な一日だったので、片手間に二窓でpixivを開き、“ぼ喜多”の小説をちくちくと書き進めていた。毎日すごい量のテキストを書いているが誰にも見せるつもりはない。といっても年末年始に九割方書き終えていたものの上手くオチに着地出来ず、そのまま時期を逃してお蔵入りしていたという代物なのだが。

・生まれてこの方、文才以外にほぼほぼ他人から褒められた事がないため、最近はその一点に関してのみ自分でも誇りに思うようにしている。しかし、だからと言って、それは必ずしも小説が書けるという事を意味しない。実のところ文章が書ける事と作劇の能力はスキルツリー上の相関があまり無く、実は系統樹からして別物なのではないかとすら思えるほどに手応えを感じていない。

・かつて一度だけ「リコリス・リコイル」の“ちさたき”をテーマに短編を放出した事があったが、いまにして思えば、あれもいまいち百合カップリングとしては振り切れず、結果、無難な体裁でお茶を濁す格好となってしまったことを大いに反省している。それ以前に出力フォーマットが異なるままプラットフォームに投稿したため、極めて視認性の低い状態で長らく置かれていたというのも問題だった。

・「唯一性」という意味でのオリジナリティなど創作物が氾濫した昨今においては、もはや幻想の類であるとは思うものの、それにしたって自分の描くものは何から何まで陳腐な事この上ない様に思えてならない。それも二次創作ありきでこのザマであるから、一から何かを生み出すなどという芸当は到底不可能だろう。つくづく商業でやってるクリエイター各位には頭が上がらない。仮に異世界転生のような、ごくありふれた題材に則ったとしても、今の俺には一文字とて描ける気がしない。

・加えて二次創作ならではの悩みというのもある。それは書き進めるにつれて、今書いているこれは“小説”なのかどうかが曖昧になってくる事である。読み手にとってはいわゆるSS(ショートストーリー)だろうが小説だろうが、文字数の違いによる取っ付きやすさの程度しか変わる所がないとしても、書く側としてはその点が曖昧だとさながら刀を納める鞘の寸尺に悩むがごとしとなる。最終的にはどちらでもいいように一人称視点で書く意識はしているのだが……どの辺りが定義の境界なんだ?

・一応これに関しては「事前にプロットを組む」など明確な対策はあるのだが、どうにも感覚派なのが否めず、良くも悪くも思いつくがままに筆を走らせる方が性に合っているため採用しづらい。メソッドを試験的に採用した事もあるにはあるのだが、結果、プロットを組み終えるとともに満足してしまい、出力まで行かずに終わるという致命的な欠陥が浮き彫りになって座礁した。編集みたく対話したり、ケツ叩いてくれる相手も居らんからね……。

・泣き言ばかり言っても始まらんので、せめていま手をつけている作品に関しては、いずれ仕上げて支部に送り出そうとは思う。なんだかんだ劇場版のおかげで熱は取り戻しているし。しかしそもそも「百合」ってのが難しンだよな……。俺は今回こそは素直に“ぼ喜多”をちゅっちゅさせて付き合わせようと模索しているが、上辺だけであれば何もその二人である必要はないというジレンマは絶えず抱えている。あまつさえ真面目に原作読んでるとそういう解釈にはならないと冷静に判じている自分もいて、つくづく二次創作とは大変な作業であるなと思った。でも楽しいのは本当。ままならないね。


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