見出し画像

日記:2024年6月10日 晴れ

・まだ月初めだというのに可処分所得があまりにも乏しく、今後2週間は貧困に喘ぐ事になる見通しで朝から青色吐息だ。当然こんな調子で労働のモチベーションなど上がる訳もなく、半ばヤケクソ気味に月曜日の到来を報せる「チョコデート・サンデー」をリピートしながら朝シャンしてたら、園田智代子の事がちょっぴり苦手になってしまった。

・同じような失敗談として、学生の頃、所属していた演劇サークルの舞台作業で4徹に及んだ際、己の心を奮い立たせるべく通学の途に茅原実里の「向かい風に打たれながら」を流してたせいで、その後しばらく曲を聴くだに当時の記憶がフラッシュバックして吐きそうになっていた時期がある。よく新卒社員なんかが朝起きるのに目覚ましでご機嫌なミュージックを流す発想に至る様を見かけるが、大概1ヶ月も続けると曲がすっかり労働のルーティンと結びついて嫌いになるに相違ないので本当にやめた方がいいと思う。適応障害など患った暁には最悪、二度と聴けなくなるので……。

・昼は数年ぶりに労働者の憩い場こと「吉野家」へ。ここ数日、X(Twitter)のプロモーションでやたらと流れてくるのがつい気になって、金が無いと嘆きつつ、せめて人並みの物を食べようなどと思い至った結果である。そうでなくとも俺自身、とろろやオクラといった粘性のある食い物が好きなので遅かれ早かれといった気もするが。

牛皿麦とろ御膳 ¥767

・紅しょうがを山盛りにしたところで日頃の卑しさがバレるな……と思い、恥ずかしくなった。あと、海軍大将“吉牛”などというくだらないポストが思いのほかウケてご満悦。今でこそnoteの人みたいな扱いになっているし、次第にそのようにしか振る舞えなくなってきたが、本来はこういった誰に向けるでもない手慰みの如きツイートこそアカウントの本質だと自分では認識しているので、クソツイで喜ばれるのなら本望である。まぁ別に面白くはないけどメシの画像だからって反応の方が大きいとは思うけど。

・吉野家にしてはやたらと慈悲深く、このメニューに限り、ご飯の大盛りとおかわりは無料という殊勝な心がけに金欠が落涙。心底「狂四郎2030」のひと幕みたいな感じでおかわりに駆け込んだ。味も申し分無い。ただ肝心の牛皿もとろろも、俺が人並み以上の大食らいであることを差し引いたとしてもいまいち心許ない量であるため、それを誤魔化すための側面である事も否めないが。地味に嬉しかったのは、味噌汁に海苔が入っていたこと。そうそう、とろろには海苔なんだよな。カレーやシュクメルリにすら空気を読まずに付属する「松屋」の味噌汁に慣らされるせいで完全に見くびっていたから、余計に暖かな心遣いを感じた。

ただいまより毒ガス訓練を

・ところで周りのサラリーマンを見渡すと、意外にも付け合わせとしてサラダを頼む人が多かった。流行りの健康志向かと一瞬だけ思ったが、そうではなく、彼らの生活ではこういう時にでも無理して食べない限り、生存に必要な最低限度の野菜と接する機会さえないのだ。そもそも野菜が高いというのは今さら言うまでもないが、調理も保存も邪魔くさく、まして素人が触ったところで手間の割には味も……というのが正直なところで、コスパを鑑みるに難点ばかりの代物であるから、そのうち嫌気が差して外食に傾くのも無理からぬことと言える。ただ、一時期、糖質ダイエットに目覚めた父は外食を極端に避けるようになっていたが、その理由というのも、「その辺でふらっと立ち寄れるような飲食店には基本的に米か麺しか置いていない」というものであり、そう思って見ると確かに周囲はラーメンや丼で溢れ返っており、なるべく安く、早くをベースに巷で腹を満たす事を追求すると、炭水化物ありきになるのは当然の理であった。ファストフードとか言うまでもない。

・そんな訳で労働者階級に留め置かれる以上、毎食のようにあすけん女史の要求を満たすには、依然として高い壁がそびえ立っている。さらに身も蓋もないことを言えば、そもそも吉牛に入るような人間の中に好き好んで野菜食ってるやつなんて数パーセントだって居やしないはずだが、かといって全く食わないと病気になるし、最悪死ぬと彼らもわかっているのだ。病んで死ねば金を稼げない。必要だから食う、ただそれだけ。そうすると、つくづく牛丼チェーン店とは、そうした客の態度も含めた何もかもが労働効率の中にある業態だなと思えてきた。呆れるべきか感心すべきかは分からないが、少なくともデートの場所としては適当でないのは確かだろうと改めて感じた。


この記事が参加している募集

#振り返りnote

84,835件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?