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日記:2024年6月4日 曇りのち晴れ

・季節外れに暑い日が続いたが、今日は適度に涼しかった。ずっとこの気温なら言う事ないけど、きっと長くは続かないだろう。一つ楽があれば、三つほどの苦で報いるのがこの世の仕組みだと思う。ややネガティブな物の見方だが、もとより生物にとっての苦界を何らかのエネルギーを消費して切り開く事で世界というものが成り立っているのであり、熱力学的にも掛かるコスト、負債の方が大きくなるのは自明の理である。「強欲な壺」の1:2交換は確かに理想的だが、それを皆が行うと全体のバランスを保てなくなるため許されない、そのような理屈である。なんの話をしてたっけ。

・連休明けからひたすらに文書を作成する羽目に陥ったが、逐一、異なるフォーマットを要求されるので精神的にも激甚な負荷が掛かった。今日はその事で文句を付けようと日記を開いたのだが、後述する出来事も含めて家に帰ってご飯食べたら全部どうでもよくなっちゃった。「創作をするにはハングリー精神が必要である」と宣うクリエイターは少なくないが、実際、その原動力たる社会に抱える鬱屈や怒りといったものは己が満たされていない状態、すなわち飢餓の中からこそ生まれるものであって、大抵の事は寝食さえ事足りれば、どんなに深遠なテーマであっても忽ち取るに足りない瑣末事でしかなくなってしまう。現に俺が今日まで日記を続けていられるのも、明日どうなっているとも知れぬ不安をそのまま文字として出力しているからに他ならない。要約すればたったひと言、「ままならない」で終わってしまう話ばかりである。

・一時間以上にも渡る面談を経てついに、かねてより不満を抱いていた担当スタッフの変更が承認された。別に人事異動等は伴わず、単に仕事上のパートナー関係が解消されるというだけの事であるため、言うほど大きな変化ではないが、苦手なタイプと一蓮托生というのは長期的に見ると相当な負担ではあったため、ようやく一歩前進したと言える。

・言うなればようやく悲願が叶ったとも言えるのだが、しかし実際に胸中に渡来した感情は喜びではなく、圧倒的に虚しさが勝った。確かに彼とは大小さまざまな面で意見が合わずに反目していたが、それはあくまで仕事上の話であり、私人としては苦手に思いつつ、嫌悪を抱いていた訳ではなかったつもりだ。ただし俺自身、まこと反省すべき点ではあるし自覚もあるのだが、どうにも日頃から苦手に思った相手に対する態度や反応が露骨過ぎるきらいがある。その点に関して別段、他人から指摘を受けた訳ではないのだが、おそらく雰囲気で察せられているな……と感じる所は大であり、”理想的な社会人像”に照らせば甚だ落第という他ない。今さら利口ぶって完璧な大人になどなれないと分かってはいるが、どうにもその辺りが心に出来たささくれじみて気になる。今回もなんなら彼には気の毒であった、と罪悪感にも似た後味の悪さだけが残った。まぁそれすらも飯食ったら全部どうでもよくなってしまったけれど。喜びも悲しみも虚しいだけ。


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