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日記:2024年6月22日 曇りのち雨

・不健康にすり減らす時代は終わった。これからは早寝早起きの時代が来る。長らく不眠だけがアイデンティティの拠り所であったが、近ごろは服薬と自助努力で他人の3倍近いコストを掛ける事により、ついに擬似的にそれっぽい睡眠リズムを作り出すことに成功。かれこれ2週間ほどは安定した入眠と起床を保てている。なんなら夜1時を過ぎての就寝が心底堪えるようになってきたほどに。

・それはあらゆる面において善い事でしかないはずだが、真人間に近付く事への喜びよりも切なさや哀しみがやや上回っている。ひとつに老いを痛感すること。これは「自他ともに若さを認められなくなった」という方が適切か。加齢に伴う身体機能の低下は言うまでもないが、この上いよいよ齢30にも届こうという人間が今までのように不健康メンヘラアピールに及んだとして、世間の目はツンドラよりもますます冷たくなる一方だ。それこそ若い時期であればむしろステータスとして箔が付くような事でも、評価の軸はあくまでも若さそのものであるから、いつかは“卒業”すべきと見なされる。望んで入門した訳でもないのに卒業も何もあったものではないが、ともかく若者の居場所に老害が座る席などないのである。

・そしてもう一つには、社会に対する反発心が未だに消えないまま、体だけがそこに順応を示しつつある事へのギャップである。これも一般的には若気ゆえの葛藤として、いずれは克服すべきとされる。まして俺のようにアラサーも過ぎてなお悩んでいるようだと、もはや「社不」の烙印すら押される事なく、単に“ヤバいやつ”として無視されるようになり、周りから忽然と人が消えていく。これにて「無敵の人」のいっちょう上がりという訳である。これも別になりたくてそうなっているのではないはずだが、いずれにせよ共同体にとっては存在そのものが有害でしかないために排斥される、哀しいまでに当然の摂理である。

・今はどれほどに病んでいても、身も心も健全化した暁には、コミュニティは笑顔と拍手で以て温かく迎えてくれるに違いない。しかし俺はその事に堪えられそうにない。帰属したくない。隷属したくない。俺が俺である事を捨ててまで社会に帰順するのは、これまでの半生に対する致命の裏切りであり、矜恃がそれを許さないであろう!……

・個々の尊厳より以前に人間を「市場価値」の単位で計るおぞましい世界が憎い。かといって共産思想にもいまいち共感できない。第一、俺は別に万人の平等を心から願っている訳ではないのだ。では何かと言えばつまるところ、適応能力に欠けるあまり、社会の上澄みから溢れ落ちた事に対する僻みでしかないのだろう。人としての器が矮小? 結構な事だ。せめてものやっかみに、これからも拝ませてやるぜ。卑屈な人間にしか書けない本物のテキストってやつをよォ……。


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