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創作講座での小川哲氏の発言の記録

某創作講座の小川哲先生からの講評において気になったところが複数あり、個人の感想として聞き流すにはより構造的な問題を抱えたものと感じましたので記録したいと思います。
講評対象の小説はこれです。https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14113654

まず大前提としてアマチュアである私の創作に対する講評であり、技術的にこちらに拙い点や至らない点は十分にあります。(そちらのまっとうな指摘については下記では記載していませんので全体としてはもっと違う印象になりえます)
また本文章は私の記憶に基づくものであり、正確でない可能性がありますし、当然ながら文責は私にあります。

・ケータイ小説のようだ、という表現
蔑視ではなく、というエクスキューズはありましたが客観的に考えて、人の小説を評して「ケータイ小説のようだ」と評するのはマイナス表現です。
私の技術が至らないという点についても考慮が必要でしょうが、外形的に見て私の小説がケータイ小説に似ている点は多くありません。「女の視点で書かれた幼稚な小説」という侮りが見えると感じました。

・フェミニズム小説ではない、という断言
「女性が能動的に戦って何かを得る物語ではないのでフェミニズム小説ではない」という旨の発言がありました。
女性が能動的に戦うことがフェミニズムのすべてではないはずですし、フェミニズムに対してどのような立場を取られて「フェミニズムではない」と断言されたのか理解に苦しみます。

・感情移入できる男性登場人物がほしい旨の発言
自分は男性なので、男性として感情移入できる登場人物がほしい旨の発言がありました。
古来、男性登場人物が悩み苦悩する小説はいくらでもありますが、女性読者が「女性の視点が欲しい」とそれに訴えることはほとんどないと思います。
男性の視点からの男性の悩み=人間の苦悩、女性の視点からの女性の悩み=女性の苦悩、という見方がそこにはないでしょうか。
もちろん魅力的な男性が描けるとしたらよりベターではありますが、本作は短編であり、主眼はそこにありません。BLM運動をしている人に「白人の辛さも表現するべき」と言うごとき無理解だと感じました。

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女性だけが「女性としての」という有徴性を追わされ、男性=無色とする見方は残念ながらこの社会ではよくあるものではありますが、創作の場においても同じなのだな、という絶望を感じる出来事でした。
この文章の目的は記録であり、何かを求めたりするものでもありません。
私ももちろん勉強不足、技術不足だとは感じていますし、これまで以上に精進していきたいと思います。

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