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初恋相手は結婚相手かもしれない6

初めての海外体験が終わり、私はより一層大学で留学する事を念頭に勉強をした。家庭の事情から、小学生の頃から母親に「大学に行きたいなら○○高校に行って○○大学よ。」と刷り込まれていたので、高校に進学した時から私の進路は一つに決まっていた。

しかし、高校側も進学の実績をあげたいから、合格の可能性のある生徒には県外の国立大学や有名私立大学を勧めてくる。私も例外なくターゲットにされ、進路にはかなり悩んだ。特に先生に推されたのと、自分で興味のあった隣の県の公立大学は全ての授業を英語で行う事で有名で、私はそこに行きたくなっていた。

でも。

今度ばかりは親の壁を越える事はできなかった。

それはそうだ。20万円程度の負担では無くなるのだから。4年間の授業料、それに一人暮らしの費用、留学の費用も。自分で奨学金を借りるだけではどうにもならない部分が出てくる。

それに子供は私だけではない。

人生の選択で悔やんでいたのはずっとここだった。なんであの時説得しなかったんだろうと大学に入学した後もしばらく思っていた。

今は違うけれど。

結果論でしかないが、地元の国立大学にしておいてよかったと思っている。

その話はまた追々するとして。

高校に入学した時から大学には推薦で入ると決めていたので、後はとにかく毎回の定期考査で1桁前半を維持して、部活と課外活動に明け暮れた。

残念な事に英語はそこそこしか本当に取れなくなっていて、地理・政治経済で点数は稼いでいた。

とにかく英文法が苦手で、過去分詞、大過去、過去完了、未来完了なんて全く違いがわかっていなかった。イディオムも苦手、将来絶対使わないであろう受験用単語も頭に入らず、これでいいのかとずっと悩んでいた。私は話したいだけなのに。

悩んでいても2年の時間はあっという間に過ぎて、3年前期には平均評定もクリアし学校の推薦も出て人よりも早く受験対策が始まった。

志望していた大学は文系学部の中に、国際政治や地域研究を行う学科があり、英語で行われる授業も、英語の授業も充実していて第一志望はこの学科だった。私の通っていた高校ではこの学科に進む人はほぼおらず、文系の英語好きの生徒はほとんどが英文科に進んでいた。そのため先生方になぜこの学科を志望するのかを何十回も説明する事になった。そんなに英語を話したいと思う生徒は珍しいのかと、悲しくなったのを覚えている。

更に言うと私は滑り止めの大学を受験しないと告げていたため、かなり面倒な生徒だと思われていた。

しかし、ここしか行くところがないと自分を追い込んだおかげもあって、人より早く大学が決まった。

2011年3月1日。私は高校を卒業した。

その10日後、震災が起きるなんてその時は知らなかった。

来月からの新生活に希望しか持っていなかった。


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