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初恋相手は結婚相手かもしれない10

初めて留学を意識した14歳から7年後の2014年3月、私は日本を飛び出し、10ヶ月の留学が始まった。

留学先はアメリカ合衆国テネシー州にあるThe University of Tennessee at Martin(通称UTM)、テネシー大学の地方校であった。大学のあるMartinという町は、いわゆるcollage townで週末になると遠方出身で寮生活を送っている一部の学生を除きみんな実家に帰り、シーンとするような田舎町。
一番近くのWalmartまでは歩いて30分、町にあるのは小さな映画館と数件のレストラン、バー2件。頑張れば町の端から端まで歩けるようなそんなのんびりとした環境だった。

留学前から、留学中サポートをしてくれるチューターの学生と連絡を取り合っていたおかげで、そこまで不安は大きくなかった。日本語のマイナーがある大学で、日本語を勉強していた彼女は日本語の練習相手、私は英語のサポートを受けて今でも連絡を取り合うような友達になった。

ダラス経由でまずメンフィスの空港まで行き、そこで語学学校のスタッフにpick upしてもらう手配をしていた。
久しぶりのアメリカで、さらに長期滞在になるので入国審査でうまく話せるか不安だったがそこはクリア。問題はその後のトランジットだった。乗る予定の飛行機の到着が遅れ、出発が5時間も遅れるようだった。大学側にフライトナンバーは伝えていたものの、到着が20時をすぎる事が判明し(pick upは18時までに到着する人のみ利用できた)メンフィスに置いていかれる可能性が出てきたのだ。メンフィスからMartinまでは車で3時間、公共交通機関は存在しないため置いていかれた場合タクシーをチャーターするか、ヒッチハイクをするしかなかった。初っぱなからものすごい経験になるなと覚悟をした。

ご存知の方もいると思うが、メンフィスはアメリカでもかなり危険といわれる地域で(ものすごく大きな都会なのに!)、夜の一人歩きはもちろん、ショッピングモールのようなところを除けば、日中でも一人で歩く事は避けた方がいいようなところだ(これは半年後の一人旅で体験することになる...)。

大学に連絡を取ろうと試みたが、土曜日のためオフィスの電話には誰も出ない、メールをしてみてももちろん返信はない。空港に降り立つまで怖くてたまらなかったのをよく覚えている。

空港に降り立った時、私のネームボードを持ったサンタクロースのような大きい先生が笑顔で待っていた。
"Hi! Are you Sachey? Welcome to Tennessee. Aren't you tired?"
と優しく声をかけてくれた。

フライトのdelayは空港で確認してくれていたようで、心配してるんじゃないかと思ったよhahahaと笑顔で話してくれた。大型のvanには私のほかにも何人か生徒が乗り込み、Martinに向けて出発した。

疲れていた私はぐっすり眠り込み、気がついたら大学の寮に着いていた。
そこではチューターのクリスティンが待っていてくれて、大変だったねと声をかけてくれた。
寮へのcheck inを手伝ってくれて、部屋の案内、使い方を教えてくれまた明日くるよーと深夜に帰っていった。

いよいよアメリカでの生活が始まる。
ワクワクドキドキしてなかなか眠る事ができなかった。

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