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過去の自分を赦して前を向いて歩んでいこう(15日目)

2月25日(22時13分ごろ)に金星が魚座に入るそうです。愛を司る金星が、すべてを包み込む無償の愛をテーマとする魚座に入ることは、「光と闇」や「善と悪」をまるごと受け入れる異次元の愛が訪れるサインでもあるとの事、ふと過去のある出来事を見つめなおす機会なのかなと感じたのです。

※死に関するエピソードがありますので、不快に感じられる方はここで閉じてください。

HSS型HSPがもつ「はみ出した感受性」

時田ひさ子さんの『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』のなかに、この「はみ出した感受性」について書かれています。簡単に説明しますと、HSS型HSP気質を持っている人は下記のような極端な善悪の感覚をもっているということです。

良すぎる感覚
・表裏をつくりたくない
・公平でありたい
・人と調和して生きていきたい など

悪すぎる感覚
・ネガティブ
・人の欠点を見抜くのに黙っている
・邪悪 など

本当に「こういった感情を持たない人がいるのだろうか」とにわかに信じられませんでしたが、同時にフッと気持ちが軽くなり、スッと許された感覚になったことを覚えています。というのもこの「悪すぎる感覚」。心に深く罪悪感を感じた出来事があったからです。

不謹慎な感情を抱いた大切な人の死

もう20年も前になりますが、大好きな祖母が急な事故で亡くなりました。風習を大切にする祖母で、歴史がある家系ではないですが、本家の長男で初孫ということもあって、言葉通りわたしを溺愛してくれました。ただその分、母との関係は悪くて、子供ながらに祖母と母の顔色を見て、どちらも悲しませないように対応、返答をしていました。(今でもあの頃を思い出すと胸が苦しくなります。)

そして、私が大学生の時に祖母が亡くなりました。バイト仲間との旅行中に訃報が届き、帰りの車中で声を殺して泣いていました。急いで祖母の家に戻ったときには、いつも元気に抱きしめてくれた祖母の姿はなく、喪失感が現実になってしまい、涙が止まりませんでした。

事件が起きたのは、お通夜、葬式が終わり、火葬を待っていたときでした。涙も枯れてもう出なくなっていました。ふと外に出ると、季節は初冬、でも陽の温かさがありました。

そこで、ホッとしてしまった。(すみません、これ以上の気持ちは文字にできそうにないです。)あれほど自分を愛して大切にしてくれた人の死に対して、悲しくて仕方がないのに、こんな感情を抱いたことに驚き、そして母との確執から来ているんだと納得し、でも最後に強い罪悪感が残り、自分を責めました。

こんなこと絶対に誰にも話せない。なんて薄情な人間だ。死を何だと思っているんだ。死者を侮辱するのか。狂ってる。こんな自分は受け入れられない。こんな自分は生きる価値がない。。。もう自分がわからない。

当時の自分には、どうにも理解できないこの事を自分のこころ奥深くにしまうことしかできなったです。その数年後、宗派が違うのに祖母が深く信心していた高野山に登りました。自分なりの償い、整理をつけたかったから。祖母は喜んでくれているように感じました。

自分を赦すことが愛することへの第一歩

そして、祖母の死から20年経ち「はみ出した感受性」を知り、自分の感受性は、異常さをもって正常であるということを理解し、「もう赦してあげても良いかな」と思えたのでした。

きっと当時の感情は、極端な悪の感情(ホッとした)を抱いたことを、極端に善の感情(死者への冒涜は許されない)が認められなかったんだと思います。片方だけでは罪悪感は抱かなかったと思います。

もし、天使のように清廉であることを自分に課し、そうでない自分を恥じて苦しんでいるとしたら、今の金星が魚座にいる期間は、自分の善悪をまるっと受け入れて愛すことができる期間かもしれない。そう思ったのでした。


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