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繊細であることを恥じていたんだ (4日目)

私はセンスのあるネーミングができる人をとても尊敬しています。ユーモアなんかも交えつつ、万人に「アレ」だよねと思わせるセンス。憧れます。センスといえば昔から「お笑い」が大好きで、まさにダウンタウン世代。にもかかわらず、人を笑わせたいと思えば思うほど、場を白けさせてしまうスキルを習得してしまうとは。あぁ世知辛い。生まれが大阪で無かったのは幸いでした。

ネーミングセンスの話から始まりましたが、HSP(Highly Sensitive Person)の日本語訳は「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」とされることが多いですが、最近は「繊細さん」と表現され、目にする機会が多いです。

私のセンスだったら「敏感さん」とか、「ずっと思春期さん」とか、「羽二重餅さん」とか。そうはならずに「繊細さん」。まさに当意即妙だと思います。(私がHSPの研究者や訳者でなくて良かった。)

実は、この「繊細」という言葉を受け入れるのに一番苦労しました。これはHSPを語る上で外せない気質なのですが、とりわけ男性においては、この気質のために嫌な思いをしたことが多かったのではないでしょうか。

「繊細」=弱い・男らしくない

日本の社会において、少なからず「男子たるもの」文化というのは存在するのではないかと思います。私が子供時代だった1980年代を思い返すと、マンガしかり教育しかり、時代を遡ればのぼるほどに、その志向は強くなると思います。

男子がよく見ていたマンガでいえば、
・北斗の拳
・キン肉マン
・ドラゴンボール
・シティ・ハンターなどなど

格闘モノ、勝負モノが多く、「強いことがカッコいい」という価値観があって、実際自分もそうでした。令和の時代になっても、甥っ子と遊んでいるとそれは感じていて、「鬼滅の刃」で覚えた剣技をお見舞いされた私は「やられる素振りを見せる叔父さん」になる訳です。

また、親を含む大人からは
・男なら泣くな。男が泣くときは親が死んだときだけだ。
・黙ってないでなんとか言え
・女々しいぞ
(念のため、女性的な気質を軽視している意はありません。)

思春期以降、異性からは
・そんなことまで覚えてるの
・細かいね
・もっと心を広くもってよ
・ぐちぐち言わないで などなど

そう言われるたびにガラスのハートは崩れ去り、その繊細さゆえの行動をひとつひとつ隠して、分厚い鎧を心にまとって生きていくことになってしまいました。このとき「仕方ないじゃん、それが俺」と開き直った上で、うまくコミュニケーションをとれれば良かったと、今なら思えます。

どうやって受け入れられたのか

一番大きい要因は「もう抗うことを諦めちゃった」です。社会や他人が定めた基準に収めようとしても、あふれ出ちゃうんだから、それが自分なんだからどうしようもないよ。と思えたからです。そして、それが現実なのだから、その前提でどう生きていくかを考えればいいよね。と。

逆に繊細ゆえのメリットも享受していたことにも気づき、繊細であろうとしてもできずに苦しんでいる人もいることを知ると、

「繊細さを受け入れることが負けを意味するわけでない。ただの気質。じゃあどうするか?これをマイナスと考えて邪魔者とするか、強力な武器と考えて強みにしていくのは、自分次第だな。」と素直に思えました。

そうしたら、繊細であることを恥ずかしいと感じる必要はなくなりました。

実はこの繊細さは5つに分類できるそうで、その分類を考察して、より繊細さに興味と可能性を感じたのでした。明日(5日目)はその分類について紹介したいと思います。

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