雨が降ってみれば、僕は僕がナルシストじゃないことを思い出せる。

7月14日、天気は雨。

僕は雨が好きだ。と言うと、「雨が好きな自分が好きなだけだろ。」と言われる。そんな哀しいことを言うお前に何か言ってやれることがあるとしたら、「それでいいだろ別に。」ぐらいだ。指摘の通り、そんな自分に酔っている側面はあるだろう。ただそれの何がいけないのか、僕には分からない。いいだろう別に。

基本的に自己評価低くマイナスの感情が強くはたらいてしまう性分なので、雨の音は僕にとって大事な癒しだ。雑念も雨にかき消されて、僕は真っ直ぐに僕と向き合える。だから雨の日は基本的にコンディションが良い。パフォーマンスが向上する。結局、雨が降っているという状態よりはそれによってもたらされる自分への影響が好ましい。そして雨に良い影響を受けた自分を肯定する。これを「雨が好きな自分が好き」と言われたら、それはそうだと思う。
そのうえで、それの何が悪いのかが分からない。雨に良い影響を受けることが悪いのか?そんなのは人の勝手だろう、放っておいてくれ。コンディションが良い自分を肯定するのが悪いのか?常に他人を気にして不満を垂らしているお前よりはよっぽど良いだろう。考えるに、後者の部分において『ナルシズム』を感じ、それを毛嫌いしているのではないだろうか。ナルシストは嫌われる。僕も嫌いなのでその心理には大いに共感できる。社会の真ん中、人通りの多い場所で自分のことばかり考えて良い気分になっている奴がいたらとても邪魔だ。鬱陶しい。だが「雨が好きだ。」程度の人に対してそんなことを感じるのは行き過ぎではないだろうか。僕は別に、雨降る歩道で傘をさしたまま立ち止まって空を見上げ物思いに耽るなんてことはしない。ただちょっと、今日は調子がいいなと気分を良くするだけのことだ。こんな僕さえもナルシストなのか。

お前お前と言ってきたが、別に誰かにこんなことを言われたというわけではないし、今日の僕は全くやさぐれでもない。
ただ少し、今日は雨が強すぎる。傘をさせば問題なく外を歩ける小雨に留めてもらいたい。

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