2022年7月11日

今年の『セブンイレブン』の日だ。別に何がある訳ではない。強いて言えば主要コンビニの中ではセブンイレブンが一番好きだというくらいだ。僕も7時起き11時就寝の生活をしたい。今朝は5時起き、寝られるのは日を跨いでからだろう。まぁセブンイレブンは名に体を表すのを辞めて24時間頑張っているのだから文句は言えない。今日も頑張ろうと思う。


友達にエントリーシートの添削を依頼されることが度々ある。こんなこと言いたくないが、読むに堪えない文章が送り付けられてくる。一度でも目を通したのか疑いたくなるレベルだ。
おおまかに文章の善し悪しを決定するのは構成だ。段落分けが適切か、論と例が対応して並んでいるか、全体に通底するメッセージが最初と最後に端的に書かれているか。短めの文章なら大抵それだけ意識するだけで読めるものにはなると思う。ただその人は、構成のことを深く考えずとりあえず書き出してから付け足したり削ったりして字数を合わせるようなことをしているのだろう。つまり骨組みが頭の中にないのに書き始めてしまっているということだ。僕は自分の文章が上手いと思っているわけではないが、ありがたいことに、文章力があると時々人に褒められることがある。それはおそらく、構成に最低限の注意を払った文章を苦労なく量産出来るからなのだろう。
あとは語彙だ。語彙は難しい。特にエントリーシートに書くような文は自己満足を目指すものではないが、確かにそこに知性をねじ込んで好感度を狙いたくなる。自分がすごい人間だということをアピールするために歪な言葉の使い方をしてしまう。背伸びをしたい気持ちは分かるし、僕も当事者ならそういうイキリ方をしてしまいそうな気がする。だがそれは危険だということを他人の文章を読んで理解した。使い慣れていない語彙をねじ込んでくると、その経験の浅さがいとも簡単に読み手に伝わる。これは難しい語彙を使いこなせていないからとかそういう話ではなく、ほぼ直感で「あー、なんか違うなーここ。」と察してしまうのだ。面白いなと思った。僕は語彙力に自信があるわけではないから、添削する時は諦めて背伸びしない平易な語彙に書き換えたものを渡す。大抵不服そうな顔をされるが、君が無理につま先立ちしているのが足元を見ずとも丸わかりなのだ。
他人の文章を読むと粗がすぐ見つかる。ちゃんと読まずにザッと目を通しただけでも500字程度の文なら善し悪しが雰囲気で分かってしまう。エントリーシートを読む人がどう読んでどう評価しているのかは知らないが、もしも僕がその人なら、、、と想像しないではいられない。僕は院進する気満々なので、まだ就活の段階ではない(はず)。だから依頼される添削前のエントリーシートを見て面白がる余裕がある。そして毎日こんな日記を書いていられる余裕がある。ひとつでも多くの文章の読み手になって、人に爪痕を残せる文章を書けるように精進せねばと感じた。
これを読んでいる僕以外の読者がいるとしたら、あなたは僕の文章をどうお感じになりますでしょうか。


積読癖がある。
頻繁に大型書店に行っては、タイトルに惹かれた本を手に取ってしまう。手に取った本をすぐに読めばそれでいい話だが、僕の場合は積んでしまう。上半期は10冊とか15冊とか、ノンフィクション系を中心に買っていた訳だが、実際に通しで読んだのはまだ2冊程度だ。読まないなら買うのをやめてしまえという当たり前の意見が僕の中にもある。ただそういうわけにもいかないというか、積むことに意義を感じている。
『あなたがあなたであることの科学』デイヴィッド・J・リンデンという本を今朝読み始めた。まだ序章くらいしか読めていないが、タイトルと序章から察するに「個性とは科学的にはどのように決定されるのか。」というジェネティック、エピジェネティックな制御についての解説を書いたものなんじゃないかと予想している。これは春先に買って積んでいたもので、なぜ今になって読み始めたかと言うと昨日「自己肯定感が低いの、良くないよ。」と言われて日記を書いたことでこの本の存在を思い出したからだ。その時の気分に合った本を自室の本棚から取り出して飽きるまで読む。それが僕にとってはちょうど良く、そのために頻繁に本を積んでいる。テーマ自体にはそれとなく興味があっても、「今が読むべき時だ。」みたいなビビっと来るタイミングでしか僕は本を読むことが出来ない。
そういう意味で、僕は小説を読むのが苦手だ。ノンフィクション系なら、たとえば個性とはなにかについて考え込んだ時にそれに対応する本を選ぶことが出来るが、伊坂幸太郎の小説を積んだところで「今が読むべき時だ!」とはなかなかならない。死生観強めな感覚ならそういう方向の哲学の本を読むし、恋愛感情に振れていたら単純なエッセイとか歌集に手を伸ばしてしまう。純粋にお話を楽しみたい、みたいな感覚ではなかなか本を開けない程度に、僕は活字がそんなに得意ではない。
だから僕の家の本棚には小説や漫画が少ない。少年漫画には大変示唆に富んでいて人生観を豊かにしうるものが多いというのはネットで出回る名シーンの画像などを見れば充分に伝わるから価値があるのは分かっているが、自分にはなかなか向かない。だからインプット量が人に比べて格段に少ない。これは僕が感じている課題のひとつだ。アウトプット(この日記とか。)の質に直結する。
漫画や小説が苦手ゆえにインプット量が少ない僕にとっては、積読はやはり欠かせないものになる。積めば積むほど、瞬間の感覚に合う本が本棚から見つけられる。その蓄積でインプット量は自然に増えていくだろう。本を読むきっかけが受動的なのは如何なものかと思うが、積まない読まないよりはずっと良いと思う。3週間ほどしたら夏休みが来る。それまでは正直そんなに暇ではないので、インプットは夏休みに託す。それまで、感情が瞬間的に消えてしまわないようにこうして書き残して見返せるようにしないといけない。本だけじゃなく、感情も積んでおくということだ。

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