2022年8月23日

大人になるって色々あるけど、僕の場合はスピッツを聞けるようになったことだと思う。
常習的にJ-Popを聞くようになったのは中学3年生の頃。この世には[Alexandros]、RADWIMPS、BUMP OF CHICKEN、SEKAI NO OWARIやbacknumberがあるということを教えてくれた。歌番組を観ないで育ったから流行りの邦楽に疎く、その時のカルチャーショックを今でも覚えている。その時周りで流行っていたのは邦ロックと呼ばれるジャンル。兎にも角にも、ガチャガチャとエネルギッシュなパフォーマンスを見て聞いた。多感な中学生だった僕はそのトゲトゲしさに生命力を感じて憧れた。今でもドロスやラッドは耳に入れるし、当時好きだった曲の好みは人格レベルで僕に影響している。
スピッツという存在はもっと昔から知っていた。空も飛べるはず、チェリー、ロビンソン、楓.......曲名は知らないが聞いたことはある、程度の認識だが、テレビを観ない僕ですらこれぐらいは知っていた。ただ中3の自分はスピッツを好きにはなれなかった。もっと元気な、テンポの速い、カッコイイ曲が聞きたいと思って敬遠していた。「不朽のアーティストだか何だか知らないが、今はもう時代が違う。邦ロックの時代だ。スピッツなんてこれから先聞くことは無いだろう。」と思ってALXDを聞いていた。
スピッツの良さに気づくのにそこから6年ほど要した。草野マサムネの声の通りの良さ、それを支える楽器隊のバランス感。どう聞いたって美しいし、時代を経て懐かしさが色を与える。今だって別にスピッツをよく聞くという訳ではないが、昔は表層的な良ささえ理解出来なかった。感受性が幼すぎたのだろう。子どもだったなぁと思う。水溜まりに降り落ちた雪が溶けていくような、夜になって昼の熱気が空へ逃げていくような、そういう透明感を良いと感じられるほどの余裕が出来た。やわらかさを備えた。大人しくなった、に近い感覚だ。「大人しい」は「大人」に形容詞として「しい」がくっついている。大人しくなる、大人びる。落ち着きを得ることが大人になるということなのかもしれないと思う。

「自分はもう大人だ。」と言っているうちはまだまだ子どもなのかもしれないとも思う。だが、明確に年々大人の階段を上りつつあるのは疑いようもない。振り返れば、その年好きだった音楽の変容が僕の成長としてプレイリストに残されている。

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