カレー哲学

僕は三度の飯よりカレーが好きである。それならば3食すべてカレーにすれば良いのではという話なのだが、現実的にそうはいかないものである。
もう1ヶ月くらいになるだろうか、セブンイレブンが現在、カレーフェスなるものを展開している。数々の名店とコラボした商品を期間限定で発売しており、今店舗では複数種類のカレーがひしめくようにして並んでいる。
コラボメニューなだけあり、コンビニのカレーにしては具や味が本格的であり、その分ちょっぴり値段が張る。これをちょっとした贅沢だと思い、いつの間にかセブンイレブンのカレーを制覇してしまった。一度コンビニに寄るだけで5種類ぐらいのカレーを目にすることになるので、朝カレーパン昼カレーうどん夜カレーライスと、1日がありえないと思っていた3食カレーデーになることもあった。

フェスのものを制覇したとなれば、順位付けをするのが自然な流れのように思える。実際友人に「どれが良かった?」と聞かれたりもした。しかし僕は順位付けするどころか、どのカレーがどんな味だったかを鮮明に記憶してすらいない。「好き」と「詳しい」は全く別だと思うわけである。
僕はあまり自分の舌に自信が無い。いわゆるソムリエのような味覚の鋭さは持ち合わせておらず、むしろ鈍感な方で、料理を口にしてもそこに何の調味料が含まれているのかを言い当てることが出来ない(自炊をするようになって経験則で分かることも増えてきたが)。自分の味蕾が美味いと感じるか否か、自分にとって料理とはたったそれだけの単純なものであり、そこに対して細かなロジックを持ち併せてはいない。カレーは数十種類のスパイスが組み合わさって出来たものであるから、呆然と口にしている時はそれが合わさって1つの味として僕の頭は理解するが、舌に生え揃った芽吹くことのない蕾たちがそれぞれ味を認識しており、その複雑さを僕は何となく味わっている。カレーが好きというのはそういうことなのだろう。色々な味を何となく感じていて、結果それをひとつの味として認識する。単純なようで複雑なような味覚体験がそこにはあるから、とても刺激的なわけではなく、かと言って退屈なわけでもない、ちょうど良い刺激を受けられるから僕はカレーが好きなのかもしれない。
カレーの中でも、甘口でも辛口でもなく、中辛が好きなのはそういう所に由来するのだろう。甘さが前面に押し出されるとそれ以外の味を感じられなくなるし、反対に辛すぎてもそうだ。複雑さをバランスよく味わえるのが中辛であり、だから一番好きなのだと思う。一般に中辛は、辛さが中程度だから万人受けするのだと思っていたが、比較的辛いのが好きではあるがカレーにあまり辛さを求めない結果中辛を好む僕みたいな人も少なからずいるのかもしれない。
そんなわけで、僕は中辛のカレーであれば基本何でも好きだし、セブンイレブンのカレーはどれも僕のこの甘々ラインを悠々と超えていた。だから順位付けをすることもなく、「美味しかったよ、どれも。」と全商品制覇したとか言った割に浅い感想しか口に出来ないのだ。

三度の飯よりカレーが好きなのに、そのカレーへの愛は大したことがなかった。そもそも僕は食べることにそれほど関心が無い。生きる上で食べる必要が無いのならわざわざ金を払ってまで何かを食べようとは思わない。ただカレーだけは時々食べたくなる。ただ、上述の通り大したこだわりは無く、思い入れも無い。好きなはずなのに、こだわりや思い入れが無い。不思議なのかそういうものなのか、今の僕には分からない。この距離感は他に見当たらない。これが僕のカレー哲学である。

この記事が参加している募集

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?