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人生の第二幕

 わたしは2007年の春に大学生になった。だから自分では、2007年が人生の第二幕の始まりだったと思っている。世界の広さも輝きも、そして生きにくさも全て、それまでの第一幕とまるで違うものだった。新たな章が始まった。人生が第何幕まであるのかは、正直なところまだわからない。ただ言えることは、まだ自分はいまきっと、第二幕の半ばを歩いている途中だろうということだ。

 2007年5月27日。
 まだ第二幕が始まったばかりで輝かしかった頃、当時一番大切な存在だったZARDの坂井泉水さんが亡くなった。それはあまりに突然のことだった。6限目の授業を受けていた月曜日の夕方、父から入ったメールで知った。なんのことだか分からなかった。当然授業は耳に入らない。当時まだスマホはないし、PCは自宅だった。自分で調べた情報でもないのに、どうしてそんなメール一本でそんな大切なことが本当だと信じたのだろう。途中駅まで友人が一緒だったが、ほとんど話さなかったと思う。そこから先は放心状態で電車に乗って帰った。ほとんどの記憶はない。ただ、最寄り駅から自宅への帰り道、ちょうどイヤホンから流れてきたのはマイフレンドの「涙が零れないように大きく息を吸った」という泉水さんの声だった。空を見上げて息を吸った。いつの間にか涙が滲んでいた。商店街のライトが滲み、その遠く先に紺色の空が見えた。デフォルメされた記憶かも知れないが、あの映像は多分記憶のそのままだったのだと思う。
 自宅に帰った途端泣き崩れた。母親が引いていたのを覚えている。テレビのニュースは、父からの情報が誤りではなかったことを証明していた。泉水さん、本当に亡くなったんだ・・

 そこから約一ヶ月、ほとんどの記憶がない。ただ、6月27日、青山葬儀場で泉水さんの音楽葬があった。その日は水曜日で、部活の初めてのレッスンの日だったのだが、そちらはすっぽかして泉水さんを選んだ。おかげでその後練習についていくのはかなり大変だったけれど、後悔はしていない。行ってよかった。あれはわたしの人生の中でも、かけがえのない一日だった。
 わたしが会場近くに到着したのは、夕方4時くらいだったのではないかと思う。覚えていないが、よく晴れた日で太陽はまだ高かった。スマホも地図もなく、どうやってあんな広い墓地を抜けて会場までたどり着いたのだろう。アナログ時代の記憶は曖昧だ。そこでは随分多くの人が泉水さんを忍んで列をなしていた。わたしも最後尾について並んだ。外だけで1時間くらいは並んだと思う。駐車場みたいなコンクリートの広場で延々並んだ後、次第に会場が近づいてきた。日除がある建物の外側だったか、臨時のテントが出ていたのかは覚えていない。
 もうその頃になると、涙が抑え切れなくなっていた。当時ZARDファンの知り合いはいなかったので、わたしはひとりだった。ひとりでよかった。連れ合いに気を使うことなく泣くことができたから。
 目の前には、お母さんに手を引かれた小学校に入る手前くらいの女の子がいて、こちらを振り向いた。わたしは涙でずぶ濡れだったので、思わず目を逸らした。その子はあんなに小さいのに、ここがとても哀しい場所だと知っているらしかった。泣いているわたしを見ても、母親になにか言ったりせずに、前を向いて大人しく並んでいた。それにわたしはとても救われた。
 会場の中は薄暗く、中央に泉水さんの写真が飾られていて、スタッフからカラーの花を一輪受け取って目の前の祭壇に供える形式だった。ほとんど覚えていないが、時間にしてとても一瞬だったし、涙で霞みすぎていてよく見えなかったような気がする。もっと泉水さんを忍んでいたかった。でも、後ろにもまだたくさんの人がいたから、一輪花を供えて一礼して終えた。出口近くにいたスタッフの女性が、頭を下げた。わたしも泣きながら頭を下げた。近くに泉水さんが生前使っていたマグカップや直筆の「負けないで」、My baby grandなどが置かれていた。じっくり見る余裕はなかったけれど。
 そこから先の記憶はない。どうやって帰ったのか覚えていない。ただ一つ心残りだったのは、たしかHPに「献花用の花は用意しているので、持参しないでください」的なことが書いてあって、わたしは素直に従ったのに、実際は花束を持ってきてしまった人のための献花台が外にあったことだ。わたしだってあの日、どうしても花束を持って行きたかった。我慢しなければよかったと、いまでも少し思っている。
 
 泉水さんが亡くなって、今日で十三年。泉水さんはいまでもとても大切な人だ。あれから十三年も、よく何事もなく生きてこられたと思う。
 2004年のただ一夜、彼女をこの目で見ただけだ。生前はとても露出の少ない人だった。ましてや今のようにインターネットで情報を24時間365日探せなかった時代で、彼女を最も愛していた頃、わたしはまだ子どもだった。アルバムの歌詞カードに映る儚げな横顔しか知らなかった泉水さんが、幻でも架空の人でもないことを、あの日一夜だけ、この目で確認しただけだ。そんな人がもういなくなったと突然言われたところで、信じろと言う方がおかしな話な気もする。
 実際、2007年のあの日から、ZARDの新曲はない。九月の武道館コンサートで、泉水さんのためのZARDのライブなのに、その特等席に彼女の姿はなかった。あれだけ五月に泣いたのに、その時になって初めて「もしかしたら本当にいなくなってしまったのかも知れない」と思った。多分あの場所にいた人はみな、そう感じたと思う。翌年も、そのまた翌年も、ZARDのライブに彼女の姿はなかった。それでもまだ、もしかしたらまだどこかで生きていてくれるかも知れない、と心のどこかで思っている。どこかで期待している。泉水さんはわたしたちにとって、近くて遠い人だ。遠い人だからこそ、そんな淡い期待を胸に、この先も生きていける。たとえ二度とこの世でお目にかかることはできなくても。

 十三年経っても、わたしの人生も第二幕はまだ道半ばだ。これから先もわたしはZARDを聴き続けるし、泉水さんの歌声はわたしを勇気づけ、癒し、時に泣かせるだろう。それらはどれも、とても心地よい時間だ。人生の最後の日、「揺れる想い」を聞いて終わりたいという願いはいまも変わらない。これからも泉水さんが大好きだし、ZARDが大好きだ。本当は、もう少し近かったら、もう少し早く生まれて、青春時代がZARDの全盛期だったらと思うことがある。それでもわたしは、泉水さんの同時代の日本人として生まれ、彼女の描く繊細な歌詞が理解できて、彼女の歌声と共に生きられた幸運に感謝している。こんなに幸せなことはない。

 今日も天国の泉水さんを想う。そして願う、この想いがどうか・・届きますようにと。

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