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子どもが苦手

 わたしは子どもが苦手だ。奇声を上げてあたりを駆け回り、いつぶつかって来るかも知れないから、小さなミサイルみたいで怖いし、話をしようと試みてみても、殆どの場合まるで会話にならず、居心地悪いことこの上ない。心の平穏のためには、なるべく同じ空間に存在しないことが望ましい。だから当然、自分からは関わらないようにしているし、必然的に距離を取るようにしている。

 思えば物心ついた幼少期から、子どもが嫌いな子どもだった(もちろん自分も子どもなのだが)。視界の中に、他の子どもがいるのが嫌というか、苦痛だった。幸い一人っ子だったので、家にいれば他の子どもと関わらずに済んだが、やれ近所の公園だの児童センターだの地元の祭りだの、余計なお世話とも言えるイベントが年中あり、その度に同世代の子どもと関わるのが幼心に負担だった。

 最も記憶に残っているのは、おそらく3−4歳の頃、夏祭りかなんかの神輿に知らない子ども大勢と一緒に乗せられ、町内を延々と練り歩いたことだ。わたしは端っこの手すりに捕まり、この不快なイベントが一分でも早く終わらないかと考えていた。隣に座っていた、顔も知らない同い年くらいの女の子に、話しかけられたのそうでなかったか、もはや記憶にはない。だが、肌と肌が触れ合うであろう距離にいた、その子の存在自体が疎ましかった記憶だけはある。向こうとしては知ったこっちゃないだろうし、甚だ失礼な話だろうが。

 今でも当時の写真には、非常につまらなそうな顔をしたわたしが写っている。後年、「わたしが子ども嫌いなのわかってるくせに、なんであんなのに乗せたの?」と母に聞いたら、「そうだったの?やりたいかと思って」という、なんとも間の抜けた答えが返ってきた。これはあくまで個人的見解だが、子どもが自ら「やりたい」と言ったこと以外の大抵は「やりたくない」と同義であると考えた方がいい。子どもは自己主張や意思疎通が大人ほどうまくできないのだ。まぁ、今となってはこうしてネタにできているので、あの神輿もとてもいい思い出なのだけれど。

 こんな調子だったから、否応なく他の子どもと過ごさねばならない幼稚園、小学校はいい思い出はまるでないし、言ってしまえば中学校もあまりない。中学生くらいまでの女子というのはまるで幼稚で、自分の縄張りを保とうとし、自分が気に入らない者、外部の者には執拗に攻撃しようとする。大人になってもそれが変わらない人は一定数いるが、自我をコントロールできるようになる中学生くらいまでは、そういう人口が圧倒的に多い。

 わたしが通ってきた道にも平均並みにそういう女子がいて、たとえ同じグループでなくとも、そのようなコミュニティに属するのが大変苦痛だった。とくに小学校は一クラスしかない小規模な学校で、必然的に同じメンバーと6年間一緒なわけであるから、その閉塞感は他所の学校以上だったと思う。なんでこんな幼稚な連中と同じクラスというだけで一緒にいなくてはならないのか、子ども心に甚だ疑問だった。でも、自分も所詮子どもだったので、学校やクラスという狭いコミュニティで、かつ子どもにとっては自分にとって簡単に逃げだすことの許されない環境であるがゆえ、それに対して何かアクションできることはなにもなく、ただただ「学校がなくなったらいいな」と思いながら毎日を過ごしていた。

 あの箱の中に閉じ込められた数年間は、今思い返しても二度と戻りたくない期間である。今覚えば、わたしなぞよりずっと素直で心根の優しい子はたくさんいて、きっと今会えば打ち解けあえるような人もたくさんいるのかもしれないが、今でも連絡を取るような友人は一人もいない。

  高校時代は幸いにも友人に恵まれ、大学以降は所属するコミュニティをある程度自分の裁量で選べるのもあって、あの頃感じていたフラストレーションは、子ども時代の遠い記憶の中の話になった。大人になるために誰しもが通る、ある種の通過儀礼のようなものなのだろうが、それが果たして人生において必須履修科目なのか?どうかは、大人になった今でも疑問が残る。ただ間違いないことは、あの面倒な子ども時代には決して戻りたくないし、「あの頃本当に嫌だったな」という今でも心の片隅に残る記憶を、できればなかったことにしたい、という事実だけである。

 さて、話の焦点を子どもに戻そう。幼い頃から積み上げてきた子ども嫌いは、大人になって治るどころか、残念ながらもう自分のパーソナリティの一片となっている。

 この年頃になると、Facebookなどでも結婚・出産・子育てのニュースが多く、とくに子どもに関するくだらない報告や日記のような投稿が目障りで、開かなくなって数年が経つ。Facebookなど苗字が変われば誰だったか思い出せないような繋がりの人もいて、見なくなったところで日常生活に差し障りはないのだが、それでも数少ないLINEなどで繋がっている友人や知り合いから、ちらほら子どもが生まれたという報告が入ることがある。こんなわたしにまでわざわざご丁寧に、と深謝申し上げるとともに、残念ながら今後の交流はなくなるだろうな、と思いながら「Happy Birthday!」「おめでとう!」といったありきたりなメッセージやスタンプを送っている。この年頃の女子にありがちな、羨ましいとか、妬みの感情は一切ない。ただ単に、お互いに住む世界が違うのだ。その生まれた子どもが相当大きくなるまで、わたしたちに共通の話題はほぼないだろう。一緒に出かけられる場所も、もう殆どないだろう。だから、それが日頃からよく会ったり、交流していた友人だと、身勝手ながらとても淋しい気持ちになる。似たような目線で世界を見たり、話し合える日は多分もう来ないのだ、わたしが同じ立場にならない限り。そしてその可能性は残念ながら一ミリもない。

 こうして消去法的に友人が減っていくので、必然的に周りは「おひとりさま」ばかりになる。ここでも身勝手ながら、彼らがこれからも同じ「おひとりさま」で、くだらないことで笑い合ったり、一緒に旅に出たり、楽しい時間を過ごせたらいいと切に願っている。

 そんなわたしにも、子どもが生まれても奇跡的に疎遠にならなかった、貴重な友人が一人だけいる。彼女は中学時代の部活の友人で、当時のほとんどの時間をともに過ごしていたが、わたしが中三で引退したこともあって(中高一貫校だったので、高校卒業まで続ける人が多かった。彼女も6年間続けていた、立派だ)高校時代は疎遠になった。大学時代も遊びに出掛けたのは一度だけだったが、社会人になってしばらくして、ひょんなことから連絡を取り、食事に行った。その時彼女はもう結婚が決まっていて、式はまだ先だったが「ずっと会ってなかったけど、Adelaideだけは絶対に呼ぼうと思ってた」と言ってくれた。毎日会っていた頃から随分と年月が経ち、一度しか遊びに行かなかったような仲だったのに、わたしはとても嬉しかった。そんな彼女は、頼んでもいないのに(おい)、子どもが生まれるたびに報告をしてくれる。驚くことに、今では三人の子持ちだ。わたしとはまるで住む世界が違うのだ。けれど、彼女は子どもが生まれて会いに行った、唯一の友人でもある。

 わたしは子どもが苦手なので、仮に生まれた報告をもらっても、基本的に会いに行くということはしない。わざわざ貴重な休日の昼間に家まで会いに行き、自分では想像もつかない出産や子育ての話に相槌をうち、どんなに頑張ってみても可愛いとは思えないその小さな赤ん坊に「可愛いねぇ」と声をかける・・ざっとみても、特に得るものはなさそうである。それだけならばこちらが少しの時間我慢するだけで済むが、もし促されるまま抱っこでもして、落っことして割ってしまいでもしたら大変だ。そんなこんなで、子どもに会いにいくのは最大限避けている。

 ぶっちゃけた話、はじめは彼女の子どもにも会いにいく気はなかった。けれど、毎年子供の写真入りの年賀状をくれ(それをわかっているのに、わたしは毎年受け取ってから返事を書いている。ごめん。でも、心を込めた手書きだから許してほしい)、出産報告をくれ、そして時々「会いたい」と言ってきてくれる。なんという貴重な人だ。年に数回会っていたような友人でも、出産報告どころか結婚報告もしない無礼な輩がちらほらいるのに(この話はいずれ)、本当にありがたい。

 ということで、はじめは気乗りしなかったのだが、流石に一度は子どもたちにも会っておいたほうがいいだろうと、昨年の春にお花見がてら久々の再会をした。彼女の結婚式の後に一度会って以来、4年ぶりの再会である。子どもが苦手なわたしは、正直かなりビビっており、事前に「わたし子ども苦手だから何もできないと思う。最初に謝っとく、ごめん」と断りを入れており、彼女の合意も得ていたのだが、まるで杞憂に終わった。上の娘(Yちゃんとしておく)が3歳、下の息子くんが1歳になったばかりのタイミングだったのだが、下の子はほとんど喋ったり歩いたりできないからそこにいるだけだったし(お人形みたいで可愛かった)、逆にYちゃんは「え。子どもって普通こんななの?」と思うほど人懐こく、子ども初心者のわたしにもよく懐いてくれた。おかげで「うわー・・話すことが何もねぇ」という微妙な間は生まれなかった。とはいえ3歳なので、会話をするという感じでもなかったけれど、ほとんどの時間は遊び回る子どもたちと、その相手をしている彼女を芝生の上から眺め(とてもお手伝いなどできない偏差値のため)、その様子をカメラに収めたり、時々一緒に芝生で遊んだりした。想像していた以上に楽しい時間だった。

 帰り道、話しながら歩く我々大人二人に、Yちゃんが遅れがちに後ろからついてきていた(下の子はベビーカー)。友人は毎回振り返り、何度か声を掛けていたのだが、彼女はベビーカーで手が塞がっていたので、手ぶらだったわたしはふと「Yちゃん、手繋ぐ?」と申し出てみた。自分でも驚くべき申し出であるが、その時は自然にそういう気持ちになったのだ。そうしたらYちゃんは照れたような、それでいてとても嬉しそうな表情をし、友人も「わぁ、嬉しいねぇ!」と、まさかわたしが手を繋いでくれるとは夢にも思っていなかったのだろう、とても嬉しそうにYちゃんに声を掛けた。その時初めて、自分が何かすることで、この人たちに喜んでもらえることがあるのだ、と知り、わたしも嬉しくなった。

 得てしてYちゃんと手をつないで歩くことになったのだが、お察しの通り、子どもと手を繋ぐなど人生初体験である。そもそも繋ぎ方もわからなかったのだが、こんな小さな手でも子どもからしたら大きいらしく(余談だが、わたしは時折手の小さそうな友人を狙って、どちらの手が大きいか合わせてみてもらうのだが、この方一度も勝ったことはない)、中指と人差し指だけ掴んでくるので、そのまま歩いた。友人に「えっ、これでいいのかな?」と聞いてしまったが、多分あれでよかったのだろう。

 わたしは子どもが嫌いなので(耳タコ)、自分の子どもを持つことは終ぞない予定なのだが、そのとき「他人の子でもこんなに可愛いのだから、自分の子どもなら本当に可愛いのだろうな」と思った。思ったというのは、頭で思ったのではなく、心で思ったのである。それを家に帰ってから、毎日LINEをしている別の友人に話したら「おー、ついに母性目覚めた?( ˙-˙ )」と言われた。残念ながら母性は目覚めなかったが(目覚めなかったんかい)、これまでの人生にはなかった貴重な体験ができた。貴重な一日だった。

 さて、年初に彼女に三人目の子が生まれたのもあり、お花見がてら一年ぶりにピクニックをする予定だったのだが(勘の良い方はお気づきだろうが、わたしの「仲良い人」=年に1−2回、定期的に会う人、なのである。この話もいずれ)、残念ながらコロナのせいで流れてしまった。来年こそは、四人でお花見をしたいと思う。


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