マンハッタン、最先端の沈みゆく豪華客船
マンハッタンは豪華客船のよう。
小さな細長い島にこれでもかとこの世の全てが詰まっている。
最新のエンタメ、最先端のファッション、世界中の食、世界を動かすビジネス、世界中のカルチャー、世界的セレブの家、貴重な絵画や彫刻、多様なライフスタイル…大自然以外の全てがここにある。"小自然"くらいならセントラルパークが担っている。
ニューヨーク・ブルックリンに住み始めて4ヶ月、引っ越すことになった。
できることならもう少しニューヨークにいたかったが、同時に離れることにどこか安堵してもいた。
他の異国の地とは比べ物にならないほど、日本と同様に日本のものがなんでも手に入るあまりにも便利な街だった。
その上、ドラマや教科書でしか見たことのなかった、旅行の目当てになるようなものたちが隣人となるような生活だった。
地下鉄に乗ればMETに行くことが出来て、ゴシップ・ガールで有名なあの階段に座ることもできるし、MoMAではゴッホの星月夜が見られる。街中のアパートの外観はドラマ『フレンズ』で何度も見た姿そのまま。
文字に起こすととんでもない生活だった。
マンハッタンは巨大な豪華客船のようだ、とイーストリバーを隔てたブルックリンから思う。
高く高く伸びゆくタワーマンションが群生しているマンハッタンにおいて、低層マンションしかないエリアがある。高層を建てて部屋数を増やした方がいいはずだ。世界中からニューヨークに住むことを憧れる人が来るのだから。
しかし、そこは地盤が緩いために高層マンションは建てられないのだそうだ。
その話を聞いた時、なんて煌めく泥舟なんだろうと思った。
すでにニューヨークは毎年少しずつ沈んでいる。気候変動による海面上昇は世界中で起きているが、ニューヨークの場合は密集した高層ビル群の重さによって海面上昇で予測されているより早いペースで沈んでいるらしい。
2050年には、BrooklynにあるIKEAが水没するほどに水位が上がるというニュースが配信された。
たしかに川沿いにあるけれど、ちょっと背中を押せば落ちるような水際ギリッギリにあるわけでもない。
IKEAは世界中どこも似た作りのようなので、日本のIKEAに行ったことがある方はわかるはずだが、じゅうぶんに天井が高い建物だ。あれがまるごと沈むの?まじで言ってる?それとも床上浸水くらいのこと?
そんなことを考えていたら先月、大雨によってニューヨーク中の道路が冠水し、空港から何からあらゆる施設が浸水し、それはそれは大変なことになった。
今回は水位上昇が理由の冠水ではなく、記録的な大雨と排水能力の低さによるものであったが、それでもやはり先日のニュースが頭をよぎる。
ニューヨークとその他の都市では別の国ってくらい何もかもが違う、と聞いていたけれど、引っ越してやっとよくわかった。
アメリカから東京に帰った時、ああ日本だ、ここはアメリカじゃないんだと思い出すようにじわじわと染み渡るように感じた。ニューヨークとその他の都市でも似た感情が起きる。
まるで別の国のようなのだ。今住んでいる田舎町のIKEAはきっと2050年に水没することはないだろう。
ニューヨークに暮らし、物価と家賃の高騰には苦しめられたが、多少の辛酸しか舐めていないと思う。楽しく観光客気分で過ごした思い出や、新しい出会いに心躍ったことばかりが印象に残っている。
10年住んで初めて本物のニューヨーカーだと聞いたことがある。
10年どころか4ヶ月だけだったし、今後住む可能性は極めて低い。
正直もう住みたいとはあまり思わない。世界一物価が高く治安が悪く空気が臭いことは、生きていく上で重要な問題だった。
地下鉄で簡単に移動可能な、物語の主人公のような街で、METの隣人であることよりも。
ニューヨークで暮らした日々は文字通り「いい思い出」になった。
図らずも「ニューヨークをすぐに去る友人」となってしまったが、出会った人とものはずっと大切で、かけがえない。
遠くから眺めている豪華客船のような街。
どうか美しいままで、何年後でも遊びに行ける姿であってほしい。