見出し画像

父について

父は11年前に亡くなりましたが、たくさんの愛情をもらいました。その記憶があるから、何かあっても立ち直れたのです。

父は一言でいうと、面白い人でした。私がまだ小学一年生ぐらいの時のことですが、時々お散歩に行こうと言ってきました。歩きでは遠くに行けないからと、バイクに乗せるのです。

小さなバイクで、ゆっくり田舎道を走ります。それだけならいいのですが、堤防に行ってそこから下るのです。怖いのでやめてほしかったのですが、父は絶対大丈夫だから、と楽しそうでした。さらに上手に転び、死んだふりをしたことが二回ぐらいあります。

簡単なおやつを作ってくれたりもしました。コーヒーの寒天とクリープの飲み物です。寒天はかなり固めのものでしたが、私はこの固めのゼリーが大好きでした。クリープの飲み物は、クリープに砂糖を入れただけですが、これがとても美味しいのです。今ならもっと手軽に美味しいものが手に入りますね。

遊園地には連れて行ってもらえなかったのですが、小学校の夏休みには二泊三日で旅行に行きました。あまり遠くだと疲れてしまうので、関東か東北です。鳴子、作並、蔵王、塩原などでした。塩原では馬車にも乗ることができて、うれしかったです。田沢湖にも行きましたが、あれは中学生のときかな。遠いなあと感じました。私は鳴子と塩原が好きです。また行ってみようかとも思います。

父は旅行が好きでしたから、家族で旅行に行くのは家族サービスだけではなく、楽しみでもあったのでしょう。毎年旅行の計画を立てるのはとても楽しかったです。大人になると予定が合わなくなり、なかなか行けなくなりましたが、私の就職後には仙台にも行きました。

私が結婚して家を出てからは、兄の車であちこち出かけていました。家にいるより外出するのが好きで、デパ地下には詳しかったです。

好奇心も旺盛でした。ワープロ全盛期に電気屋さんに寄ったら、もう、すぐに欲しくなり、その場にいた母や兄から持っているお金を全部集め、ワープロを買ったそうです。その日は夕飯を食べてから帰るつもりだったのに、コンビニで買って帰ったと母が言っていました。

元気に毎日を楽しんでいた父ですが、検診で病気が見つかり、治療の甲斐なく77歳で亡くなりました。父の父親と命日が同じです。迎えに来てくれたのかな。おそらくはいたずら坊主だった父。よく生き抜いたな、と言ってもらえたと思います。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?