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三国志に学ぶビジネススキル~第1回 国家の大義と企業理念

吾輩は名無し猫である。
雨がじめじ~め、縁側で昼寝もできない今日この頃であるが、皆さんはいかがお過ごしであろうか。緊急事態の上にお天気も悪くて外出できないこの季節、コロナ太りには要注意なのだ。

吾輩の主(エレン・チー。吾輩は主が記事をアップするためにご飯をダシに語らされている身である)は近頃、育児の間に細々更新してきた創業ブログを整理しようとしている。なんでも、ブログのホストサービスが終わりそうな気配がするため、noteにお引っ越ししようという腹なのだ。今までも吾輩は主に「語り」という仕事を振られ、まさに振り回されてきたが、近頃は、夜中にフィーバーする赤ちゃんがその主を振り回し、主が引き続き吾輩を振り回すという構図(カオス)である。この、生後3ヶ月の赤ちゃんという生き物、おそるべしなのだ。夜中に目がらんらん、「頭が冴えました。何か面白いものを」とばかりに泣いて主を振り回しては、朝に「おはよう」と声をかけられると、"にこーっ"と何事もなかったかのような尊い笑顔を見せて大人の心を鷲づかみにしてしまう、最強の生き物なのだ。

このような次第で、今までのブログ記事から厳選したものをnotesに引っ越すと共に、新たな記事をアップしていく予定である。今回は、1回目の記事として、「三国志に学ぶビジネススキル」の記事を少々加筆しつつお引っ越しさせ、お披露目としたい。

3年ほど前の主は、吉川英治さんの『三国志』を熱読し、読み終えた後は三国志ロス状態が続くほどであった。自分の身近な生活に置き換えて解釈して綴った記事となっている。

まず吾輩からプロローグとして、解説しよう。

『三国志』(吉川英治さんの小説を主に指します)とは、場所は中国、時代は180~280年頃。後漢の力が弱まり、混乱の群雄割拠の時代から、次第に魏・蜀・呉による三国に統一され、三国が智謀戦略をめぐらして戦う様を描いた、明時代の時代小説『三国志演義』をベースにした物語である。
主君である魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権と、彼らに忠義を尽くした武将、政治家を中心に描かれるものである。大賢人・諸葛孔明が蜀についてからの後半は、孔明の手のひらの上で偉い人達が踊らされる物語といっても過言ではない。
映画レッドクリフは、三国志の中の有名な戦い、赤壁の戦いを描いたもので有名である。
諸葛孔明を金城武さんが演じた。
歴史に名を残す大賢人は、時が経つとイケメンになるのだ。
他社のゲームや小説の表紙でもイケメンである。

各国の主君については、主によると

・魏の曹操
⇒漢の丞相という立場を名目に、帝から実態の権限を奪う。名家出身でもなく、ほぼ自力で地位を手に入れた才能ある野心家。能ある武将をとりたてる。気に入らない人はすぐにあやめる残虐な一面も。わはははと笑う。年取ってからは、自ら帝位につく野望にとりつかれ、忠臣を死に追いやるなど、老害ぶりを発揮。
たたき上げで成り上がった新興のワンマン経営企業の社長っぽい、即決即断タイプ。

・蜀の劉備
⇒漢の王室の血を引き、漢王室への逆賊を討ち、道をただすため立ち上げる。貧しいながらも、川に高価なお茶っぱを投げ捨てる気位の高い母親に育てられ、人品ハンパない。義と徳を尊ぶ。その反動で、かなりの優柔不断であり、名だたる武将たちを配下にいれながら「土地を奪うなんて」と数十年間も支配地を持たず、のらくら。にもかかわらず、臣下に慕われ続け、諸葛孔明まで配下におさめ続けた人品は、やはりパないと言えるだろう。
穏和なものの、妻の愚痴を聞き流し、イライラされるタイプ。

・呉の孫権
⇒父と兄が強固にした支配地域の地盤が強く、臣下にも恵まれていたため、流れで帝位につく。国内ではよい帝であるが、吉川三国志では、臣下の周瑜とともに小賢しい心理的錯乱術を企んでは孔明に看破されて失敗する役回り。
はじめはいい夫風だけど、家族に内緒で変なことして熟年離婚されるタイプ。

偏見満載なのだ。ちなみに、「結婚するなら消去法で劉備」だそうだ。
さらに、主が続けて言うには、
「国家⇒企業、帝⇒社長、武将・政治家⇒社員 と読み替えれば、ビジネスに相通づるものが多い」
とのことである。
1回目のテーマは、各国の主君が掲げた、国家を立てることの大義である。これはそのまま、企業であることの意義、企業理念に読み替えることができる。

主はなにやら長々語ったが、だいたい以下のようなことらしい。

三国志の時代には、天下を取るために兵士は命がけで戦う。
大いなる理想がなかったとしても、兵士がいなければ天下を取ることはできない。
命に値する大義が必要となってくる。
大義は、統治される民の愛国心・納税意欲にも影響する。
劉備は漢室の正当性を訴え、
曹操は、「私は漢室の代弁者です」という建前を使っている。
(呉は開き直って大義なし。痛快)

企業でも同様である。どの企業も美しき企業理念を掲げているが、
実態が伴う伴わずに関わらず、お客様への説明、社員の勤労意欲、ブランディングに大義は必要となる。
「儲かるから、商売してます」だけでは人がついてこない。
特に資金力や企業名のブランド力が大手に劣る中小企業にはなおさら必要であり、採用や雇用への影響は甚大である。
「お給料は少なくても働く価値がある」と思われるには、社会貢献など美しい理想が必要となる。
しかも、賢い人ほどスピリットを大切にするのであるから、
優秀な人を雇いたければなおさらである。
日本ではスキルアップのための転職という概念はまだまだ浸透していなく、
今の時代、終身雇用とまでは考えていなくても、
一度職についたら長期的に働く気持ちでいる人が多数であるから、
実利だけではなく、「社会的に意義のあることを」というスピリットを重んじるという点もあるかもしれない。

しかし、この大義という形のないもの、厄介である。
ビジョンがあり、理想を掲げて、起業する人はもちろんいる。
しかし、お金と権力が好きなだけで大義を後からつける人の方が沢山いる。曹操のように。
会社経営者やえらめの人がメディアで語るビジョン、
「自由な働き方?あなたパワハラで有名でしたけど!?」などと突っ込みだしたら日が暮れるのだ。
よく、採用の面接で理念についてあれこれ質問する人がいるが、
企業HPに書かれる企業理念は本気にしない方がよいであろう。

曹操タイプの方が多いというのも、一理あり、
コスト意識に甘く、理想にどんどん投資してしまう企業はうまくいかず、
生き残るのが曹操タイプ、ということかもしれない。

本当の理念がある企業にとっても、ここにジレンマがある。
社会に一方的に奉仕することと、取引きによる売上げで企業としてやっていくことは別物だからである。
理念に掲げている救うべき社会・集団にはお金はない。
理念と利益を両立させるビジネススキームはそうそうない。
企業は社員を養う必要があり、大義に沿わないが収入源となる事業をする局面がでてくる。
(諸葛孔明も、兵糧を稼ぐために、戦意の高い兵士に屯田させている。)
で、こっちが大当たりして、株主からもこちらの事業を拡大するように、と言われると、
そっちの事業が拡大して、理念事業は名前だけあるのみの状態となり、
しばらくすると企業HPの理念自体が変わっている。
理想に偏った若者などは、採用面接で聞いた素晴らしい理念事業以外に配置されただけで、もう失望して転職してしまうのだ。

これは難しい問題であるが、諸葛孔明や龐統が、劉備に説いた言葉が正解であると思う。
魏に攻め入られている国を援軍し、救っては、君主から「土地を譲りうけてほしい」と言われても、
「そんな下品なことできません」と断り続けた劉備。
そのため、兵士は流浪を続け、辞退した国が不幸に見舞われてしまう。
結局、蜀の土地を分捕る決意をさせたのが、孔明や龐統の、
「小さな徳に拘って、大きい徳を見失っている」という言葉であった。
この言葉は、「大義を全うするには、一見そう見えない仕事をして稼ぐことは悪ではない」ということと、
「でも大義は見失ってはならない」という二つの意味が読める。
将来的にしたい事業と、目の前の事業と、常にマップを開いて、
位置づけを確認していくしかない。
NPOではなく民間企業を選んだのに、協力を厭う夢見心地な社員には、
現実を知ってほしいし、
企業は、採用面談で美辞麗句をならべず、事業の位置づけを社員に正直に説明するとよいのだ。

いかがだったであろうか?語りの長さ、湿度の高さと相まって吾輩は息切れ切れである。

次回は「人たぶらかしの術」だそうだ。
異論は吾輩ではなく主までお願いするのだ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

話の長い主はさておき、吾輩とつれづれ語りたい諸君にサポートをお願い申し上げるのだ。