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人生の運転席を取り戻すまで

 吾輩は名無し猫である。

 東京都では緊急事態宣言が解除されたが、いかがお過ごしであろうか。緊急事態宣言が解除されて、都内の飲食店では酒なる飲み物がまた提供されるようになった。吾輩も、日本のお父さんたちを前後不覚に愉快にさせるビールという飲み物をいつか試そうと主(エレン・チー)の隙を長いこと伺っていたのだが、昨年、赤ちゃんが主のお腹にやってきてからは、家からビールが消えてしまったのだ。

 主とその旦那さんには、今年のはじめに元気な男の子が生まれた。それでもって主が運営する会社は保育園が決まるまで休業となり、主は太郎君のお世話に邁進する日々を送っている。

「日本語もできないのに小さい子供に英語教育は必要ない!」

と言いながらアルファベットの歌を歌って聴かせているのであるから、邁進というより迷走という方が適切かもしれぬ。

 主の家は今、エアコンを眺めては喜んでいる太郎君や、太郎君の足をやたら舐めようとするキャバリア君の可笑しな行動で笑いに満ちているが、多くの人の人生が、他人には単純に見えても実は長く曲がりくねっているように、主もまたここに至るまでの道は平坦ではなかったらしい。  

 主は幼稚園から高校まで、所謂、"お嬢様学校”に通っていた。お嬢様学校といっても、登下校時に校門にロールスロイスが何台も止まり、「本日は結構な人ですこと!」などという会話が日常的になされる学校ではないし、お友達の邸宅の地下室で危険な遊びをしてしまう生徒もいない。

 この学校は町の喧噪から離れ、海の近く、山の中という自然に恵まれた場所にあり、世間知らずのお嬢さんを育てるのに絶好のロケーションにあった。生徒の両親は、コモンピープルに排他的になりがちな"金持ち"階級ではなく、お父さんがちょっといい企業に勤めているくらいの家庭が多く、総じて主の同級生達は、高慢でもないし、生活に困ったこともないゆえに、のほほんと素直に人に優しくできる子が多かったらしい。

 また、多くの場合、日本では生まれた瞬間から、「男の子だから」「女の子だから」と男女の役割を知らずと植え付けられて育つが、女子校であったため、「女の子だから男の子に譲らなければならない」「女の子は男の子を支えなければならない」という圧がなかったという。

 主はこの環境で、自分の好きな趣味を究めたりして少女時代を過ごし、素直に勉強して東京の大学に進学した。

 ここで初めて男子の方が多い環境になったわけだが、主の周りの男子も多様性に寛容で、人との競争に興味がない人が多く、ここでも主の人としての在り様は変わらず、「あるがまま」だったそうである。

「幸か不幸か」と主は語る。

 というのも、環境にフィットしないという、初めての挫折が就職してからやってきたのだという。

 世間知らずのまま、つつつーっと人生を歩んできた主、よくよく考えずに、大手の外資系コンサルティング企業に入社したのだった。今はかなり改善されたらしいが、当時はタクシー残業当たり前の、体力が物を言う男性主体の会社として有名だったらしい。それでも主は20代の体力があるうちは、若いながら大きい仕事を任されるを楽しんでいたのだが、30歳近くになり、体力が追いつかなくなると気力も下がり、「女性と話すのが苦手」とか言ってしまう中年男性のリーダーの下、20代の若い男子が先輩社員である自分を無視してチームミーティングを組んでしまう環境にも違和感を覚えるようになったという。その中で同期にも昇進で遅れを取るようになっていたのだ。

 そんなあるし日、主の脳内に、大学の授業で読んだ米国人作家フラナリー・オコナーの短編小説"A good man is hard to find(善人はなかなかいない)"に登場する主人公が自分を"The Misfit(フィットしない者、不適合者)"と呼んでいたことが突然フラッシュバックされたという。

「あたしももしかしてmisfit?」という大げさな考えが浮かんだそうだ。仕事の成果はクライアントにも信頼されて問題がないはずなのに、なぜか自分は社会のThe Misfitであると。当時の主は、その会社しかほとんど知らなかったため、「この会社には合わない」ではなく、「社会」に不適合なのだと思ったそうである。

 「これが失敗?」と訝った諸君、冗談もよしこさんなのだ。これは序章に過ぎず、主のトンデモ失敗はこれからである。

 「社会にフィットしない」と痛感した主は、30歳近くで大手金融機関に勤める男性と結婚し、寿退社して家庭に入るという「選択」をしたのだった。吾輩が察するに、どこかに、大手金融機関に勤める男性と結婚することで、自分を傷つけずに「社会適合者」の称号を取り戻した気分になっていたようにも思われる。人間の自尊心とは時として空しい行動を引き起こすのだ。

 すかす、この結婚生活はすぐに終焉を迎えた。当時の夫君が、洗濯機のボタンをポチするだけでドヤ顔をしたことが原因ではない。昼ドラでよく見るようなとんでもない事態があるし日突然発生したのだった。離婚に向けた話合いの時期には、夫君を懲らしめることに主は知能の全てを捧げ、糖分を脳内で大量消費していた主はランチにカツカレーメガ盛りを食べても体重が減っていく日々だったらしい。

 しかし、結局のところ根がポジティブな主。最初の衝撃が和らぐと、昼ドラのヒロインになってしまった自分に可笑しみを見いだすようになり、同時に、自分が人生の主体者であることを辞めてしまっていたことに気がついたという。自分は表舞台から主役を降り、人(夫)を支える人生を選び、結果、人に自分の人生の未来を変えられてしまったのだ、と。このことが本当の失敗だったと主は語る。

 ちょうどその頃、大学時代の親しい仲間で集まる機会があり、そこでは冗談半分に、あったらよいと思うビジネスをそれぞれ好き勝手にしゃべっていた。当時はシェアリングエコノミーやAIが流行りだした時で、そういった類の話だったらしい。その場での主は、"Misfit"を感じず、むしろ自分の価値観が受け入れられているように感じたという。この時から、主の脳内は夫を最大限に懲らしめる方法から新しいビジネスを想像することへとシフトしていく。

 この頃にも思い出した小説のフレーズがあると言う。自身も豊かな想像力がありながら、著名な米国人作家フランシス・スコット・フィッツジェラルドの妻として生きたゼルダ・セイヤーが、自作の小説『ワルツは私と』の中で、そのような女性の生き方を表現した「後部座席から人生についてあれこれ口を出す」というフレーズである。

 そうして三十代中盤に差しかかった主の心の中には、「この先、再婚できるか分からないし、子供も生涯持てないかもしれない。誰かの後部座席に座るだけの人生は辞めて、自信を持って自分の人生を自分でドライブしよう」という思いが湧いてきて、確かな信念となったらしい。今度は、人や社会が与える「選択肢」を選ぶのではなく、真っ白いキャンバスに自分で自由にお絵かきするのだ。

 こうして主は新しいビジネスに挑戦すべく、ベンチャーの経営に携わったり、自分の会社を設立するに至った。

 その後、再婚もして、太郎君が生まれたのは前述の通りである。育休が終わったら仕事を再開する予定であるが、とりあえず主の脳内は、今では太郎君を笑わせることで一杯であるのだから、ライフ・イズ・ビュ~ティフルと言えるであろう。

ありがたいありがたい。

話の長い主はさておき、吾輩とつれづれ語りたい諸君にサポートをお願い申し上げるのだ。