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教師の「理科に対する価値観」

 はじめまして。私は理科教育学を専攻している大学院生で,現在の研究は,科学的思考力の1つである仮説設定能力を中心に,理科の地球領域で,地球領域ならではの仮説設定能力(地球領域固有の仮説設定能力)を育成しよう,というようなことをやっております。

 今回この記事は,,Science Education Book Club in Japanの活動の一環として,オンライン読書会で読んだ本の内容と参加者による議論をまとめたものです。2020年の1冊目の本は,「Values in Science Education : The Shifting Sands」を読み進めています。

 私はこの読書会にて,課題図書「Values in Science Education : The Shifting Sands」のchapter4,「Exploring Values of Science Through Classroom Practice」を担当させていただきました。以下,本章に関する内容や,読書会で話題にあがった内容などをアウトプットさせていただきます。なお,以下に添付するスライドは,発表の際に私が作成したものになります。

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本章の概要

 本章は,大きく前半部分と後半部分に分けられます。大まかには,前半は John Loughranが,教師教育に関する「理科に対する価値観」の重要性を述べており,後半は Rebecca Cooperが自身の経験をふりかえりながら「理科に対する価値観」に関する実践の重要性を述べています。

 なお,「理科に対する価値観」というキーワードについては,原著では「values of science」という言葉で表現されています。この「science」については,自然科学,科学教育,理科など,様々な訳し方がありますが,今回,本章は教室内での授業実践に関する内容が中心であり,また,読書会に参加していただく方やこの記事を読んでくださる方の経験と結び付けていただきやすいよう,「理科」という言葉を用いています。

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*画像の出典
https://www.monash.edu/education/news-demo-temp/news/news/professor-john-loughran,-our-newly-appointed-sir-john-monash-distinguished-professor
https://research.monash.edu/en/persons/rebecca-cooper

 前半部分と後半部分では,書かれている内容は多少異なりますが,どちらの先生も,「教師の『理科に対する価値観』に基づいて行われる実践は重要だ!だから教師教育で大学生に「理科に対する価値観」に関する実践(研究)を行っていこう!」という思いは共通しているようです。また,どちらの先生も,「理科に対する価値観」として,「日常生活に直接つながる自然現象や科学に関する社会問題を扱う理科授業(i.e., 真正実践:実践的な文脈における学習)を行うべきだ」と考えられているようでした。したがって,本章ではそれらを前提にして論が展開されています。

 では,前半後半それぞれ順に,スライドを基にみていきましょう。

教師教育に関する「理科に対する価値観」

 まず,John Loughranが述べている前半部分からみていきます。

 Loughranは,先行研究を引用しながら,「教師が保有する価値観は,教室で起こることに大きな影響を与える」と述べており,教師が保有する価値観の中でも,とりわけ「なぜ教えるのか」に関する価値観が重要であると指摘しています。この「『なぜ教えるのか』ということに関する価値観」というのが,本章における「理科に対する価値観」であると捉えられます。では,理科をなぜ教えるのかということに関する教師の価値観は,具体的にどのように教室で起こることに影響を与えるのでしょうか。例えば,以下のスライドのようなことが考えられます。

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 上の図は,教師が「理科に対する価値観」として,「子供がペーパーテストの点をとるために授業をするべきだ」という価値観を持っている場合と,「子供が考える力をつけるために授業をするべきだ」という価値観を持っている場合を比較したものです。少し極端な表現かもしれませんが,一般的に,学校の先生方の授業づくりの方針を大別すると,このような2つの傾向がみられるのではないでしょうか。
 そして,これら両者の価値観に基づき授業を行った場合,前者では先生が黒板や穴抜きワークシートを用いてテストに出る用語を教える,いわゆる知識注入型の教え込みの授業が展開されやすくなると考えられます。また一方で,後者では,先生が授業のはじめに事象提示などを行うことで子供に疑問を見出させた後に,仮説設定,実験・観察計画の考案と実施,考察を行うといった,いわゆる知識創造型の問題解決型の授業が展開されやすくなるのではないでしょうか。
 以上のことから,やはり,教師の「理科に対する価値観」は,実践に大きな影響を与えると考えられ,ひいては対象となる子供の資質・能力の育成にも大きく関わってくることが想定されます。したがって,教師の「理科に対する価値観」は重要であり,教師教育という側面から大学生を対象に実践や研究を行っていこう,とLoughranは説くのです。

 一方で,読書会では興味深い議論が行われましたので,ここで共有させていただきます。
 それは,「上の図のように比較されると,もちろん『考える力をつけさせたい』と考えて問題解決を実践する先生が望ましいのだけれど,現実的にずっと問題解決をさせることはさすがに難しい」ということでした。
 学校現場では,授業日数や,児童・生徒及び保護者からのテストの得点の期待,また受験などを無視することはできません。そして,これらの問題やニーズに応える上で,一貫して問題解決型の授業を行うことが難しい場合が往々にしてあるといえます。
 このため,重要なことは,「教師は授業に関して基盤となる価値観を持った上で,状況に合わせて柔軟に価値観あるいは授業形態を変化させること」であると,この議論は終着しました。みなさんはどう考えられるでしょうか。

 では話題を本章の内容に戻します。

 Loughranは,大学生(教員養成課程の学生)に対してどのように「理科に対する価値観」に関する実践をしていくべきかについては,「『理科に対する価値観』が学習指導に与える影響について考えるよう指導する必要がある」と述べています。

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 というのも,Loughranいわく,一般的な学生は先程述べた「なぜ教えるのか」という価値観(理科に対する価値観など)をあまり意識しておらず,それよりもただ単に「授業をうまくやる(こなす)コツ」を知ることに関心があるためであるとのことです。すなわち,学生は,大学で授業の「目的」ではなく,「方法」に関する内容を学ぶことを期待して入学してくるためであるということを述べています。
 確かに,「なぜ教えるのか」という哲学的な疑問を解決するために大学に入学した一部の大学生を除き,多くの学生は「教員免許取得」という目的で入学してくるように思います(私もそうでした)。そして,きっかけがなければ,「なんでこの単元を教えるのだろう」や「この授業で子供にどんな力をつけることができるのだろう」ということをあまり考えることなく,教育実習や教員採用試験の模擬授業対策などで,「実習先の先生や先輩にならって,とりあえずこんな授業をすればいいか」と「教えることに関するコツ」だけを学び,そのまま教師になると考えられます。
 
 このため,Loughranは,教師教育者は学生が意識的に,「理科に対する価値観」が授業(学習指導)に与える影響を考えるよう指導を行う必要があると指摘しているのです。
 また,指導の際には,学生に対して「➀どんな価値観を持っているのか」「➁その価値観が実践にどのような影響を与えるのか」「➂その実践が学習者にどのような影響を与えるのか」といった3点に着目した指導を行い,学生の授業実践を変容させることが重要であると述べています。

 ここまでが,おおまかではありますが本章の前半部分となります。それでは次から,Rebecca Cooperが執筆されている後半部分をみていきましょう。

「理科に対する価値観」に関する実践

  後半部分については,Rebeccaの実践に関する内容が記述されています。ここから,Rebeccaが教師教育者として,教員養成課程の学生に対して行った実践についてみていきましょう。

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*画像の出典:本文
the day we made pancakes at school(Doig & Adams, 1993)

 本章では,「The day we made pancakes at school」という,パンケーキ作りに関する化学反応に着目した課題を用いた実践が取り上げられています。「The day we made pancakes at school」という課題を用いた実践は,当初,配布物を使用して行われていました。配布物の内容についての詳細は明記されていませんが,おそらく上の図に少し描かれているように,パンケーキ作りを通して,日常生活でみられる自然事象がどのような科学的知識によって説明されるのか,ということを学習すると考えられます。
 このように「The day we made pancakes at school」という課題は当初,ただ配布物を使って行うだけの実践でした。しかし,「日常生活に直接つながる自然現象や科学に関する社会問題を扱う理科授業を行うべきだ」という価値観を持っているRebecca先生は,この実践を大きく変えました。どのように変えたのかというと,当初の「紙(配布物)の上」で自然事象を捉えさせるという実践から,「実際にパンケーキを作る」ことで自然事象を捉えさせるという実践に変えました。

 このように実践を変えることで,学生の活動はそれまでの「一貫して配布物を基に学習する」という流れから,「まずはパンケーキ作りを行い,その後配布物を用いてパンケーキ作りの中で自然事象と科学的知識を関連付ける」という流れに変わりました。
 Rebeccaいわく,この実践を行った際,パンケーキ作りをしながら「これが理科となんの関係があるの?」と言った学生の姿がみられたそうです。そして,彼女は学生が「日常でみられる自然事象と既に学んでいる科学的知識を,自発的につなげることができない」ということに大変驚いたそうです。しかし,そんな学生も,その後の配布物を用いた授業でパンケーキ作りの活動を振り返った際,「化学反応によって変化したのか!」や「パンケーキ作りを科学的な活動だと考えたことがなかった」など,パンケーキ作りと科学的知識を関連付ける様子がようやくみられたそうです。

 以上の教員養成課程の学生に行った「The day we made pancakes at school」に関する実践を通して,Rebecca先生は,「学生は日常の自然事象を科学的に捉えていないこと」,「理科に対する価値観に基づく実践は,学生の持つ理科に対する価値観に影響を与えうること」,「日常の自然事象と科学的知識を関連付けさせることは困難であること」の3点を見出しました。

 最後に,Rebeccaは,教師の「理科に対する価値観」が依然として伝統的なもの(知識注入型であること)に触れ,この原因について述べることで担当部分をしめくくっています。その原因というのは

・学生は教師になった後,伝統的な価値観を保有している同僚の多い環境 に身を置くこと
・学生は自身がこれまで受けてきた理科授業の経験から,「こんな授業をすればいい」という固定的な価値観を持っていること

 であると指摘しています。みなさんはどのようにお考えでしょうか。

本章を読んで気になったこと

 これまで私が担当した本章の内容に関することについて述べてきました。読書会では最後に,私が本章を読んだ上で気になったことも発表しました。最後にそちらも共有させていただきたいと思います。

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 私が気になったことのまず1つに,「Rebeccaのパンケーキ実践は,Loughranが本章の前半で述べていた『理科に対する価値観』に基づく実践を行う際の3つの焦点をクリアできているのか」ということでした。
 おさらいしておくと,この3つの焦点というのは,「➀どんな価値観を持っているのか」「➁その価値観が実践にどのような影響を与えるのか」「➂その実践が学習者にどのような影響を与えるのか」ということであり,Loughranはこの3つに留意して実践することで,教員養成課程の学生の実践を変容させることが重要であると指摘していました。
 本章の後半部分のRebeccaが行った「The day we made pancakes at school」では,これら3つの焦点に関する詳細な記述はありませんでした。また,Rebeccaの後半部分を通して,実践に関する具体的な記述が乏しいように感じられました。
 少し本章に関するクレームのようになってしまいましたが(笑),これから本章を読まれる方は,このことに留意して読まれたほうがよいかもしれません。

 次に,私が気になったことは,「『理科に対する価値観』に基づく実践で教員養成課程の学生の価値観は本当に変わるのか」ということでした。このことに関して先程も述べたように,Rebeccaは,学生が持ち込む価値観は固定的であることや,教職に就いた後の同僚など職場環境が価値観の変容においては重要であると述べています。
 実は私自身も,数回の講義や実践によって学生の価値観が変容するのか非常に懐疑的であります(かく言う私も学生なのですが…)。周囲の学生や自分のことを振り返って考えてみると,やはり小学校,中学校,高校と長期的に形成されてきた価値観は,なかなか変わらないような印象があります。しかし,理科授業を行う上で重要な教師の「理科に対する価値観」は,やはり素朴に保有されているものよりも,洗練された学習者にとってよりよいものである方が望ましいと考えられます。

 ここで,少し私の「理科に対する価値観」のことについて書かせてください。私の「理科に対する価値観」の転換期は,理科教育学に出会った頃になります。私はそれまで,「理科は暗記すればいい」果ては「授業なんか学力形成(ペーパーテストの得点)に関係ない」といったような価値観でした(このことを人に話すと「よく教育学部に来たな」ということをよく言われましたが…)。しかし,科学的思考力ってなに?という疑問と,思考力のことを研究すれば自分の思考力も高まるんじゃないか?という浅はかな思いから理科教育学の門を叩きました。
 そこで,指導教員の先生から研究室に入るにあたって読んでおくようにと紹介された3冊の本を読み,衝撃を受けました。それらは,「科学的思考のレッスン ー学校で教えてくれないサイエンスー」「科学哲学の冒険 ーサイエンスの目的と方法をさぐるー」「新しい科学論 ー『事実』は理論をたおせるかー」といった,科学哲学という「科学についての哲学」に関する学問分野の3冊になります。

 とりわけ「科学的思考のレッスン」を読んだときの衝撃はすさまじいものでした。大昔の科学者の功績から,「この世は絶対に地動説だ」と信じて疑わなかった私でしたが,この本を読み「いや1回予言を的中させただけで天動説より地動説の方が有利になったってだけなのかよ!そんで結局どっちなのかはっきり断言できるわけじゃねえのかよ!」と雷に打たれたように驚きました。その他にも,エーテル理論やフロギストン説など,現在の自然科学では支持されていないものの,かつてはその存在が信じられていたものが数多く存在するということに目玉が飛び出るほど仰天しました。
 すなわち,科学で提唱される知識は,「結局人によって創られるものであり間違えうる(あるいは変わりうる)」ということを初めて知ったのでした。それまで私は「科学は絶対だ」と思い込んでいましたので,まさに青天のへきれき,「科学的思考のレッスン」以前と以後で,科学の捉え方が一変したのでした。
 そして,これに伴い,私の「理科に対する価値観」も大きく変わりました。理科の親学問である自然科学でさえ,知識は自然から直接的に発見されるのではなく人が創り出すものであり間違うことのあるものだ,と考えれば,一体教科書に書かれている知識をただ暗記させることにどれだけの価値があるのでしょうか。テストに出るからと言って覚えたところで,今後変わりうる知識をひたすら穴抜きワークシートに書かせることが本当に授業で行うべきことなのでしょうか。形だけの実験をさせて思い通りの数値や結果がでなかったときに「本当はこうなるんだけどね」と丸め込むことが,果たして理科なのでしょうか。このような背景から,私は現在,「理科は,思考をはたらかせて知識創造の過程を経験させるもの」といった価値観のもと,研究や授業づくりに取り組んでいます。

 ここまで,科学哲学に出会って「理科に対する価値観」が変容したという私のことを書かせていただきました。では,すべての学生が科学哲学の本を読めば私のように価値観が変わるのでしょうか。
 それは違うと私は考えます。私の研究室の学生ももちろん,同じように先程紹介した3冊の本を読むのですが,ほとんどの学生にとっては特に内容が刺さることはないようです。
 一体どうすればいいのでしょうか。1つ私が考えている仮説は,「授業に不満を感じた経験の有無」が価値観の変容に影響に与えるのではないか,ということです。実は私は,小学校や中学校のとき理科が嫌いでした(これを言うと「よく理科教育学に来たな」と言われるのですが…)。というのも,基本的に教え込みの授業だったため,おもしろくもなんともなかったからです。そのくせ,たまにやる実験では,最初に「こうなるよ」と実験結果を教えられた上で「じゃあ本当にそうなるのか確かめてみようか」とよくわからない指示をされてこの実験やる必要あるか?と小学校のとき本気で思っていたのです。さっき答え教えてくれたやん,と。挙句の果ては実験結果が予定されたものでなければお前の実験操作,手順に問題があった,と理不尽に咎められたこともあります。このような不満を感じた経験から,私は「はいはいどうせ最後はテストで点取れたらええんやろ」と卑屈な価値観を形成していったように思います(笑)一方で,私の周囲の先輩,同期,後輩にこのことを話すとよく「そんなこと考えたことない」と言われます。また彼ら彼女らにどんな授業を受けてきたのかと聞くと,大体「私が受けてきた授業と同じ」か「覚えていない」と答えるのでした。したがって,私のように理科授業に不満を受けた経験がほとんどないように感じられるのです。また,私のように授業に不満を感じた経験がある学生は少数派なのではないかと思うのです。

 長々と私見を述べてしまいました。とにかく,本章でも指摘されているように,「理科に対する価値観」を変えることは非常に難しいのだなと,私自身の経験等を振り返ってみて強く思ったのでした。

まとめ

 今回の記事は,私がScience Education Book Club in Japanに参加・担当させていただき発表した,課題図書「Values in Science Education : The Shifting Sands」のchapter4,「Exploring Values of Science Through Classroom Practice」に関する内容でした。
 本章は,教師の「理科に対する価値観」は授業実践において重要であることから,教師教育の観点に基づき,教員養成課程の学生に対して「理科に対する価値観」の変容を促す実践に関する知見が述べられていました。
 記事の最後には,私が気になったこととして私見をつらつらと書いておりますが,あくまで個人の感想や思想であるので,その点についてはご了承ください。

Acknowledgement

 最後に,私の拙い発表にもかかわらず,様々なご意見や議論を投げかけてくださった,中村大輝さん,雲財寛先生,小林和雄先生,西内舞さん,ありがとうございました。



 


 



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