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名残のリボン

次回のえぬたん、大森静佳さんのテーマは「名残」である(4月1日締め切り)。名残、なごり、何かあるかなあと考えつつ、いつもの散歩に出た時、何本かの木の枝にリボンが残っていることに気がついた。これは、たぶん2020年のコロナ禍の名残。

2020年は大変すぎて、記憶がだいぶ飛んでいる。トイレットペーパーや小麦粉という生活に必要なものが手に入らなくなったのも、家族以外の人とスクリーンを通してしか話せなくなったのも初めてだった。最低限の買い物を週に1度。帰ったら即シャワーを浴びて、持ち帰ったものを全部消毒する。洗えないものはガレージに2,3日置いておくといい。全てのものにウィルスがついているように感じていたし、わたしも穢いもののように扱われた。マイノリティであることをあまり意識せず暮らせるこの地域でさえもアジア人への目が厳しくなり、"Covid killer!”と罵られたこともあった。

そんな中、散歩の時間だけは綺麗な空気を吸える気がしていた。うちはアパートや、タウンハウスと呼ばれる長屋、小さめの一戸建てが集まったエリアにある。自宅にエクササイズマシンがばばんと一式揃っている豪邸は少なくて、すぐ側の大きな公園と、ぐるっと一回りすると5000歩ぐらいになる散歩コースを利用する人たちが多い。あの頃は特にリモート勤務やオンライン授業の息抜きに、家族連れで散歩に出る人が多かった。でも、外でもマスクをしていたし、勿論近所の人と立ち話はできなかった。向こうから人が歩いてくるのに気づいたら、目で挨拶してさっと道の反対側に移動するのが暗黙のマナーになった。

誰が始めたのか分からないが、木にリボンが結ばれるようになった。調べると、木に結んだ白いリボンは医療従事者への感謝を表す、青いリボンは希望を表す、など色々意味があるようだが、近所のリボンは赤も黄色も紫もあってカラフルだった。小さい子たちがリボンを数えたり、「また紫のリボン見つけた!」と親に報告したりして、同じコースを毎日ぐるぐる歩く時の、良いアクセントになっているようだった。楽しい色のリボンがお互いがんばろうね、という挨拶になっているような気がして嬉しかった。少しずつリボンは増えていって(といっても20ぐらい)、コロナ禍の収束と共に消えた。

あれから4年たって、残っているリボンは色が分からないぐらいぼろぼろになっている。木のためにも外したほうがいいんだろうな。明日は散歩に鋏を持って行って、切ってしまおうと思う。そんなことを考えながら歩いていたので、短歌はできなかった。




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