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車の運転

車の運転が苦手になってしまった。

わたしの実家には車がない。祖父がバイク乗りだったそうだが、交通事故で若くして死んでしまった。それからは祖母が絶対に身内には車の免許は取らせない!主義になったので、わたしは車に関する知識が全くないまま育った。家族の中では、弟が運転免許第一号、わたしが第二号ということになる。

自家用車を知らずに育ったということは、免許を取る際には結構なハンデだ。シートベルトがどこから出てくるのかも知らなかったし、ウィンカーは何度もつけていいものだということも知らなかった。ハンドルを回すとウィンカーが消えてしまうので、「先生!ウィンカーが消えました…!」とパニックになって、自動車学校の教官を驚かせたことがあった。絶望的な運動神経だったこともあり、当然規定時間オーバーの劣等生だった。今日もはんこがもらえなかった…と落ち込むわたしを見かねた送迎バスの運転手さんたちが、ボランティアで縦列駐車の特訓などをしてくれた。T自動車学校のドライバーさんたち、あの時は本当にお世話になりました。

その後、かなりの田舎で働くことになって、高速もぶんぶん走れるようになったし、アメリカの郊外に引っ越してからは、最寄のスーパーまで徒歩30分、子どもの学校まで徒歩40分という環境なので毎日車に乗っていた。運転が得意だと思ったことはないが、自転車に乗るのと同じぐらいの自然さで車を運転していた。

ある日、夫と自動車の修理工場に車を取りに行った時、駐車場に停まっていた車が勢いよくバックしてきて、何のためらいもなくわたしの車にぶつかった。嫌な音と衝撃に振り返ったら、その車もびっくりしたのか、直後ものすごいロケットスタートをかまして、一瞬のうちに斜め前方の2台の車を破壊して、停まった。のだと思う。これを読んでいる人は「さっぱり分からん」と思うかもしれないが、わたしも、たぶんその運転手も「さっぱり分からん」状況だった。あさっての方向に事故車のバンパーが転がっていて、一番ダメージが大きかった車の運転席ドアは大きくめり込んでいた。人が乗っていなくて本当によかった。大きな音に飛び出してきた工場のオーナーもwhat the heck…?と唖然としていた。

とりあえず誰も怪我がなくて何よりだったのだが、事故を起こしたインド系のおばちゃんが「私の人生こんなことばっかりだ!いいことなんかなかった!」と大声で泣き始めた。ほどなく警察が来て、事情聴取が始まった。わたしは目撃者としてこの場にとどまった方がいいのかしら…とちょっと震える脚でカクカクうろうろしていたが、工場のオーナーさんが「あの人、あなたのせいにしようとしているよ。うまく言っておくから帰りなさい」とこそっと言ってくれたので、修理が終わったほうの車に乗って帰った。

あり得ないような事故を見てから、あのあり得ないことが自分にも起きてしまうんじゃないかと怖くなって、もう車に乗りたくないと思うようになった。考えてみたら、車を運転するって、仕組みも分からない機械がいつも同じように動くはず、周囲の人たちの機械も同じように動くはず、みんなが決まりを守ってくれるはず、わたしが出した左折ウィンカーをみんなが見てくれているはず、という頼りない「はず」の連続を信じていることじゃないか。あの事故みたいに何かが大きくずれたりしないなんて、もう信じることができない。小さい頃苦手だった大縄跳びを思い出す。同じリズムで縄がまわり続けることを信じてえいっと飛び込まないとひっかかる。世界に疑いを持ってしまったらひっかかる。

そういうわけで、今は子どもの送迎とか、よく知っている場所とか、本当に限られたところまでしか運転しなくなってしまった。特に高速は合流するところ、大縄感が強くてなるべくやりたくない。この国で車を運転しないというのはまっとうな大人ではありません、と言っているようなものだが、もう自分には「はず」の魔法が効かなくなってしまったような気がしてならない。

ひとがすき、ひとがこわい、山姥と茸を焼いて語り明かした/毛糸




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