厨二病には欠かせないチェスというボードゲーム
自称厨二病学の権威としては、チェスは厨二文化には外せないジャンルだと確信している。
しかしここ最近、この流れも変わっていて今のリアル中学生世代になってくるともうそこまでチェスに関心がある子が少なくなっているというか、そもそもチェスに触れる機会が無いように感じる。
もうそもそもリアルタイムで放送されているアニメがネットで大々的に話題にされる時代ではないし、ユーチューバーとかゲーム配信、ソシャゲの時代になってそもそもチェスがかっこいいと思うきっかけがないのではないか。
よしんばボードゲームに興味を持ったとしても、今はもう完全に将棋ブームで「同世代の活躍」として藤井聡太に憧れる子の方が多い。仮に今自分がリアル中学生世代だったならば、「頭脳キャラの藤井君かっけえええ!」となっていたはずだ。
当時はまだ将棋は中高年男性の物というイメージが強く、今の様にネット配信やまとめサイトなどが充実しておらず、対戦サイトが主流だった。
テレビや新聞で報道されていてもそれは若者の関心を誘う物ではなく、これはスージョとか言われる前の相撲とか、プ女子とか言われ出す前のプロレスのような状況に近かった。
そこから若者が気軽に入っていけるものとしてニコニコ動画を重視し始めたり、まとめサイトが充実しだしたりしてカジュアルなコミュニティが確立された。
これは野球がなんJによってにわかでも語れるようになり、逆にJリーグがコア化したことと似ている。つまりかつては若者向けであったJリーグがコア化したのと同じように、今はチェスが厨二病の王道という時代ではなくなり、若者は将棋やソシャゲに行っているという状況だ。
この状況を変えるには将棋に対抗するというよりも、あまりボードゲームに関心が無いファン層を取り入れることであるように思うが、そういった新規の入りやすさも将棋の方が勝っている。観戦オンリーの将棋や、有名棋士のキャラクター性でワイワイと盛り上がれるのは将棋だし、リアルで競技仲間を見つけやすいのも将棋の方だ。
チェスを日本で盛り上げるとすれば、それこそJリーグが開幕する以前にセルジオ越後が全国でサッカースクールを開催するというような草の根運動をするしかないが、そんなプレイヤーはいないし、そもそも日本チェス協会にそんな意志など微塵たりともない。
スラムダンクが流行ったときにバスケ協会が積極的に流行に乗るべきだったのに、それを突っぱねた結果日本バスケはそこまで強化されず最近までリーグが分裂していたというエピソードの様に、要は協会がそこまでやる気がないのである。
これではなかなかチェスも盛り上がっていかないし、チェスを題材にしたアニメがあるわけでもない。麻雀だったらまだ『アカギ』や『咲-saki-』といったこれさえあれば「なんかその競技を知った気になれる」という作品があるの。
しかしチェスの場合はいかんせん「小道具」や「インテリア」として出てくるぐらいで、キャラクターの頭を良さそうに見せるツールでしかない。
そんなこと言いながら自分もコードギアスのルルーシュに憧れて、頭脳キャラ気取るためにチェスを始めた立場なのだが、ようするに本格的にチェスを題材にした作品が無いのだ。
ただアイシールドでアメフトをやる人が増えたかといえばそうではないし、五郎丸ブームでそこまでラグビーの競技人口が増えたわけではない。野球もなんJまとめやプロ野球は盛り上がっているが、実際子供がやるかといえば競技人口の増加につながっているわけではない。
逆にサッカーの場合習い事として全国津々浦々にスクールを普及させているし、テニスも錦織圭きっかけで始めた子供たちの受け皿があった。
アタックNo1.や東洋の魔女の影響で全国にバレー少女が増えるというような昭和の時代とは違っていて、漫画で流行れば実際のプレイヤーが増えるという単純な時代ではなくなっている。
将棋の場合は世間の流行に加え、全国に道場があったり日本人ならある程度ルールを知っていて身近に対局ができる人がいるという土壌があった。
「ちょっと将棋やろうぜ」というのが成り立つことの意味は大きい。
つまり本当の競技人口を増やすという意味ではプレーできる環境が場所という意味でもコミュニティという意味でも必要になる。
環境というのは例えばオンライン対戦サイトであったり、習い事スクールであったりし、コミュニティというのはその競技について語らい合える競技者の存在自体やファン文化が根付いている空間のことだ。
そういう文化を作るとするならば、まずは末端のプレイヤーがレベルに関係なく「プレーして楽しんでいる雰囲気」というのを作ることが大事な一歩だと考える。
「頭をよくみせる飾り」ではなく、実際にプレーして楽しむものというゲームとしての側面はこれまであまり取り上げられてこなかった。レベルといってもそもそもチェスのルールを覚えているだけで、日本人の人口の上位1%以内に入れる。仮に覚えていたとしてもそこまで戦術書を読み込んで定石を研究している人など少なく、大抵が自分のようにファッションプレイヤーだ。
大学の第二外国語でフランス語を専攻していた人が、一般の人と比較するとそれだけである程度フランス語ができる部類になるのと似ている。
「キャスリング」と「アンパッサン」という例外的な2つの特殊ルールまで覚えれば、もうその時点で中級者になれるという意味では新規には優しいというかもう新規しかいない。
歴史上有名なチェスの名プレイヤーなどwikiを調べて数人覚えればもうその時点でチェス通である。現代チェスの革新者といわれるボビー・フィッシャーというアメリカ人は晩年日本に来たことがあり、それまでの波乱万丈な人生も含めて面白いので、まずはこの人から調べるのがお勧めだ。
ちなみに自分はそのライバルとなって負けるのだが、同じく海外に亡命したソ連のボリス・スパスキーのほうが親近感を覚えるのでスパスキー派だ。
一見ふざけているように思えるかもしれないが、「フィッシャー×スパスキー」みたいなBLカップリングをはじめるところから、チェス文化の隆盛が始まるのではないか。
将棋はそういったカジュアルな文化が発達しているので、コンテンツとして活気づいている。一方でチェスはどこか敷居が高い。
プレーする文化と語る文化、この2つが競技コミュニティには欠かせない。こういった地道な草の根活動から初めて連帯を気付きあげていかない限り日本におけるチェス文化の発展は見えてこないだろう。
もうその競技を題材にした作品が流行れば、その競技も流行るという古典的な手段は通じなくなっており実体的な文化が求められる。現に将棋は特別何かの作品が流行ったわけではないし、アニメやドラマでもこれといった代表作はない。つまり代表作などなくとも実態があれば成り立つ、むしろその実態の方が重要な時代だ。
チェスの場合ファッションアイテムであることから脱却する必要があるのか、それともその要素が入口になるのかはわからない。結局人間が何を感じるかというのは予想がつかないことだ。
しかしよく考えてみれば自分はファッションから入った立場だ。
もういっそのことファッションアイテムとして開き直って、なんとなく厨二的でかっこいいというストロングポイントを突き詰めるのはありかもしれない。ただこれはもちろん、そうして入った新規ファンの長期的な受け皿があってという前提だ。
このご時世にわざわざチェスに興味を持つ気概があるファンならばその受け皿自体を作る活動にも興味を持つかもしれない。それこそJリーグ開幕以前からサッカーの育成に取り組んでいた人々の様に。
そんなことを思いながら自分は時々こうしてチェスについて語るのである。人がいなければ文化としては成り立たないのだから。
面白いとおもたら銭投げてけや