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善き羊飼いの教会 #4-2 木曜日

〈柊シュリ〉


     *

 知らぬ間に目覚ましをとめてしまったらしく、慌ててベッドからでて、服を着替えた。
 リビングに行くとネコさんが足元にまとわりついてきたので、カリカリをお皿に入れて、かつおぶしを振りかけてあげた。すでに陽は高かった。家の中にはわたしとネコさんしかいなくて、家族はみなでかけたあとだった。

 聴取で呼ばれていた筒鳥署に到着したのは午前十一時少し前で、約束の時間は十一時だったから遅刻はしなかったのだけれども――現在の時刻は十一時十五分。わたしは筒鳥署一階で森村刑事の到着を待っている。応対してくれた署員さんが、「森村は呼びだしに応じませんねえ」といったので、もしや森村刑事、約束を忘れているのではないかとの考えがよぎったが待つほかない。椅子に腰掛けて、じっと。
「少し時間をおいて呼びだしてみますよ」
 そういってくれた署員さんをチラチラ見ていると、正面を横切った若い女性が微笑みながら会釈してきた。わたしも会釈を返す。見知らぬ女性だったが、どうして会釈されたのか想像つく。案の定、少し離れた場所に腰掛けた女性は首を傾げて、わたしの顔を覗き見した。
 外出するとたまに知人と間違われて挨拶されることがある。実際は初対面で、顔も名前も知らないのに知っているような気がするのは、テレビや雑誌で見かけたアカリの面影をわたしに見てしまうからだろう。
 ――あ、知ってる。でも誰だったっけ。
 ――とりあえず会釈しておこうか。
 心の中の声は、おそらくそんな感じだ。幸いにも会釈した女性はそれっきり、わたしが誰であるかの詮索をやめてスマホを弄(いじ)りはじめた。
 わたしも女性を倣ってスマホを弄ることにした。不在着信を見る。昨日電話できなかった黄山さんに連絡しなければいけないが、正午すぎでなければ繋がらないといわれているので、まだかけられない。先にメッセージを送信しておこうか。そう思ったところへ着信音が鳴り響いた。わたしのスマホではなく、少し離れたところに座っている女性のスマホの着信音が。
「もしもしィ? ちょうどよかった、キョウコ。ねえ聞いてよ、またメッセージ届いたのよ。昨日からしつこいんだから。冗談じゃないわよ、まるでわたしが悪者みたいにさァ。どうしてわたしが警察に呼びだされて……そうよ、警察よ。筒鳥警察署。せっかくの休みなのに、台無しよ。こんなことになるってわかってたら、仲介役なんかしなかったのに。ホント、迷惑してるし、あいつしつこくて、マジきもいんだけど。バイト? 辞めるわよ、辞めるに決まってるじゃない。週末しか行ってなかったし、もっと条件のいいところはいくらでもあるしね。それにあいつとの縁切りたいしさ。も、ホント、スマホの番号教えなくて正解だったよ。昨日から何件メッセージ送られてきたと思う? 返信してないんだから気づけって話よ。あ、ごめん、キョウコ、ちょっと待ってくれる?」
 女性が顔をあげた。わたしが聞き耳をたてていることに気がついて顔をあげたのかと思ったが、そうではなく、女性は階段のほうから姿を現した男性署員へ顔を向けて唇を尖らせた。
「生田(いくた)さん? 生田楓乃(かの)さん?」男性署員が問う。
「はい。わたしです」さっきまで電話で話していた声とはまるで違う、甘ったるい声で答えて、「ごめんね、キョウコ。また電話する」女性は電話を切って立ちあがり、広告モデルのような笑みをみせた。
「すみません、生田さん。ご足労いただきまして」
「いいえ、ぜんぜん。ぜんぜん平気ですよ。ご足労だなんて」
 ヒールの音が遠ざかる。わたしは顎を下げて、手にもっていたスマホを鞄の中へしまった。目をあげると同時に、女性の背中は通路の陰へと隠れた。
「いたいた」
 待ち望んでいた人物の声が背後から聞こえたので振り返る。
 森村刑事が右手をあげていた。こっちにこいと手招きされた。
「聴取は延期だ。車に乗れ」
「え!」驚いたのは森村刑事の言葉に対してではなく、
「一緒に乗って」
「黄山さん?」森村刑事の隣に、黄山さんが立っていたからだ。「黄山さんが、え? どうして?」
「え、え、えって、いい加減、直せよ、その癖」森村刑事が呆れたようにいって、雑に手招きする。「早くこい。車に乗れ!」
 わたしは立ちあがり、なにがなんだかわからないまま指示に従って受付前を駆けた。

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