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善き羊飼いの教会 #3-6 水曜日

〈柊シュリ〉


     *

 ピースマークらの乗った車は大型トラックと接触したのちに、数メートル先の電柱にぶつかってとまった。車体は大破し、電柱は大きく傾いて、以後国道は片側通行止めになった。
『近づくなッ。さがってろ。車には近づくな!』
 わたしは森村刑事に怒鳴られたので事故車には近寄っていないが、乗車していたピースマークらの状態は容易に想像できた。
『柊さん、こっちへ』
 息を切らしながら駆けつけた長栖さんに腕を引かれて、交差点の横断歩道あたりまで移動したとき、車のまわりには十数名もの通行人が集まって車内の様子を窺っていた。傾いた電柱が倒れてくるのではないかと心配しながら、おずおずと。
『一旦、離れたほうがいいかもね。離れて、身を隠したほうがいいかも。柊さんとの接触を図って、彼らは待ち伏せしていたわけだから。ほかにもまだ〈イロドリ〉のメンバーが近くに潜んでいるかもしれないし』
 長栖さんはわたしの身に起こった出来事や、置かれている状態をよく把握している様子だった。事故発生から三十分ほどが経過した現在――わたしは樫緒科学捜査研究所のラボにて、事故現場に残って交通整理を行った(多くの緊急車両が駆けつけたので、すでに誰かと交代しているかもしれない)森村刑事がくるのを待っている。
 ラボにいるのはわたしと長栖さんのふたりだけで、長栖さんは作業台の上に並べられた品を興味深げに観察している。わたしは椅子に腰掛けて、そんな長栖さんを見つめている。そわそわ落ち着かない膝の上に載せた手で、何度も何度も撫でているのは、アカリのDVDだ。一時はピースマークに奪われてしまったが、交差点そばの植えこみに落ちているのを森村刑事が見つけてくれて、いま、またこうしてわたしの手に戻ってきている。ケースは傷ついてしまったけれども、ディスク自体は無事だった。
「ねえ、柊さん。これってなに? いま、どういった調査をしてるの?」
 聖句の入った額を手にもって、長栖さんが尋ねた。
 わたしは作業台へ近づいて答えた。まだ興奮がさめていなかったから上手く喋れなかったけれども、時間をかけて、丁寧に。
 調査内容は金子さんの甥から依頼された人探しであること。行方不明になっている筒鳥大の学生三人については、交友関係も含めて詳しく説明した。作業台に並んでいる品々は幽霊屋敷からもちだしたものであると正直に話し、話したからには必然的に、スルガさんがたてた推理を思いだせる範囲内で語らざるを得なくなった。
 ――学生三人は何者かに襲われた可能性がある。
 ――襲われて、拉致もしくは殺害された可能性を否定できない。
「その話、森村には聞かせたの?」
「ウィルソンさんとの接点について訊かれたときに話しましたけど、幽霊屋敷に関することは――」さほど詳しく話さなかったように思う。
「日が沈んでしまう前に、一度見に行ってみたほうがいいかもね、その、幽霊屋敷。場所はどのあたり?」
「佐棟町の北の外れです。車で三十分くらいかかります」
「だったら急がなきゃ。案内してくれるかな。せっかくだから、屋敷内の調査もやってくれる?」
「え」
「三人の学生は屋内で襲われたかもしれないんでしょ?」
「あ、はあ。え? わたしが調査をするんですか。警察の鑑識の人は?」
「今日一日で、どれだけの事件が起こったと思ってるの」
「どれだけ……」鑑識も人手不足ということだろうか。「わたしは採取したことありませんし、普段は分析を手伝っているだけで、あの、そもそも、うちの研究所の専門は化学科ですから、ですからあの」
「科学捜査用のライト、使えるんでしょう?」
「えぇ」ALSライトならば使える。
「だったらお願い。血液や指紋の検出は、柊さんでもできるのよね?」
「できます……けど、わたしが、ですか」
ほかに誰がいるの
「…………」樫緒科学捜査研究所の所員ではあるけれども、わたしは調査員というわけではなくて……いや、駄目だ。そんなことをいっていては駄目だ。
「柊さん?」
 姿勢を正す。奥歯を噛みあわせる。
 ほかに誰がいる
 わたししかいないのに。
「わかりました。やります。やってみます。検出だけでいいというのであれば、やってみます」
「早速準備して。森村がきたら事情を説明して、すぐにでかけるから」
「急いで準備します」
 作業台の上に置きっぱなしになっていたライトとランプヘッドを手に取ってキャリングケースへ詰めこむ。フィルターやゴーグルも忘れないよう一緒に。手袋や靴カバーも用意しておいたほうがいいだろうか。普段のスルガさんの行動を思いだしながら、必要なものをかき集める。
「本当はゆっくり休んでいたいところだろうけど、力を貸してね。屋敷の調査は、結果的に柊さんの安全にもつながるはずだから」
「……?」安全?
 長栖さんがポケットの中に手を入れて一枚の紙切れを取りだす。紙には〈イロドリ〉に所属している者の名前と住所が記されていた。
「薬物中毒で入院している板倉って子から手に入れたリストよ。彼の話によると、〈イロドリ〉はここに記された五人――尾野、遊川、速見、坂井、東条の許可なく活動することは許されていなかったらしいの。尾野と遊川の二人は、事故を起こした車に乗っていたのを森村が確認した。耳に大きなピアスをつけていたのが――」
「ピースマークですか」
「彼が遊川。ハンドルを握っていたのが尾野だったそうよ。速見と坂井の二人は、昨夜緊急搬送された中にいたので、〈イロドリ〉の中心人物は東条しか残っていないの。だから、とりあえず柊さんへの接触は今後断たれるように思うけど、東条の行方がつかめない限りは安心できない。というわけで、東条を見つけだすことが急務」
「そ、そういうことでしたら――」一刻も早く東条さんを見つけださなきゃ。「急ぎます。急いで準備します」
 かき集めた調査道具を鞄に押しこめつつ、わたしは確信する。長栖さんと森村刑事が駐車したまま立ち去らずにいたのは、わたしの身を案じてくれていたからのようだ。はじめから筒鳥大学に行くつもりなどなくて、〈イロドリ〉のメンバーとの接触を予見してわたしを尾行していたところへ、あの騒ぎが起こったに違いない。
 筒鳥大学へ赴いて東条さんのことを尋ねたから、わたしは〈イロドリ〉のメンバーに目をつけられてしまった。名刺のコピーが拡散されていたのは、標的対象として扱われていたからのようだ――とはいえ、いまは警察という強い味方がそばにいるので恐れることはない。いますべきことと、向かうべき方向もハッキリわかっているし、迷うことはない。
「柊さん?」
 心配されているように名を呼ばれたけれども応じずに準備を続けた。急げ。急げ。今日一日大変なことばかり起こって不安で怖くて仕様がなくなっていたけれども、身体がウズウズしていて、じっとしていられなくなっている。
 調査だ。
 調査員として仕事をするのだ。
 降りかかる火の粉をわたしの手で、わたしの行動ではらうのだ。
 できる。絶対にできる。できるまでやり続ければ必ず目標は達せられる。
「柊さん、大丈夫?」
「え? は、はい」
「本当に大丈夫?」
「えぇ……大丈夫ですよ」
 なに? どうしたのだろう。長栖さんは心配そうな表情を保ったまま引っこめてくれない。調査の話をもちだしたのは長栖さんのほうなのに、いまはやめさせるための言葉を頭の中で探しているように見える。大丈夫。本当に大丈夫なのに。わたしは大丈夫といった。何度もいった。口にだしていう以外に、大丈夫であることを伝える方法は思いつかない。
「すぐに準備を終わらせますから」笑みをつくって、まっすぐ見つめた。
 そうだ、きっと表情だ。表情が強張っていたんだろう。長栖さんを注意して観察すると、気持ち程度、表情が和らいだような気がする。ほら、そうだ。やっぱりそうだった。手袋と靴カバーを白いバッグの中に入れて口を閉じる。
 忘れものがないよう、普段のスルガさんの行動を思い返して――そういえばスルガさんは、わたしが事情聴取を受けていた間に、どこまで調査を進めたのだろう。
 幽霊屋敷へ向かう前に知っておいたほうがいいように思うので、スマホを取りだして電源を入れてみる。スルガさんから二件、黄山さんから一件の不在着信が画面に表示された。スルガさんに電話をかけてみる。繋がらない。電源を切っているのだろうか。それならメッセージを送信しておこうと考えて、アプリを立ちあげたところで出入り口の扉が勢いよく開いた。
「なんだ、おい、悠長にスマホなんか弄ってんじゃねえぞ」シャツの袖を赤黒く染めた森村刑事が姿を現した。「そんなことしてる場合じゃねえだろうが。それになんだよ、なにニタニタ笑ってんだ?」
 笑っていたわけではない。
 意図的に貼りつけた笑みが消えずに残っていただけだ。
 わたしは後ずさりし、デスクの端に腰をぶつけた。
 おかげで貼りついていた笑みは違和感なく、自然と剥がれ落ちた。

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