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世界の終わり #5-2 グール


          *

 わたしの住む大木町のマンションに、見知らぬ三人の男が訪ねてきたのは土曜日の早朝だった。起き抜けだったので無視しようかと思ったけど、あまりにしつこくインターフォンを鳴らすのでしぶしぶ応対し、扉を開けた。板野茉莉絵さんだよね、と尋ねられて、はい、と返答。松坂涼と面識があるよね、と尋ねられて、涼がなにか面倒なことに巻きこまれたのかと心配したら、男たちはわたしを押し退けて、いきなり室内へ入ってきた。なんですか、あなたたちって口ではいってみたけど、怖くて身体は動かなかった。
「おい、松坂ッ いるんだろッ」扉という扉を開けて回りながら、男が声を荒げた。
「なんです? どういうつもりですか」
 玄関先、ひとりだけ扉の前に残った体格のいい中年男性へ尋ねると、男は口の端をいやらしく吊りあげ、
「松坂を匿っているんだろ? 隠さず、正直にいおうよ」と囁くようにいった。
「知りません。匿うってなんです、涼がなにかしたんですか」
 声を震わせながら尋ねると、わたしの声に被せるようにして部屋の奥から苛立った声がした。
「いねぇな。くそッ」
 僅かな時間だったのに、部屋にあがりこんだふたりの男は、部屋の中を猛獣か怪獣か台風に襲われたかのような有様に変えていた。
 クローゼットの中身を広げられて、床の上は散々な状況。
 さすがにわたしもキレた。
「警察を呼びますよ!」
「警察に連絡したら、困るのはあんたのほうじゃないの?」間髪入れずに体格のいい中年男性が告げ、
「どういうことですか」噛みつくように、わたしは問い返した。
 ふたりの男がわたしの横を通って部屋からでて行き、玄関先にはわたしと体格のいい中年男性だけが残された。
 もちろん、姿が見えなくなったってだけで、マンションの通路部分に男たちは待機していたんだろうけど。
「なにも知らないんだねぇ。あのね、逃げちゃったんだよ、松坂。お店のお金もって」
「え?」
「まだ、警察には連絡していないけどさぁ。あんた、松坂の彼女でしょ」
「あ、あの」
「松坂、最近、ここにこなかった? 匿っていたら、あんたも共犯者と見なしちゃうけど。ねぇ、どう?」
「ど、どういうことだか——」わからなかったわたしへと、体格のいい中年男性は親切丁寧にわかり易く、聞きたくなかったことまで教えてくれた。

 男性の名は藤枝といい、涼が働いていた店の店長であるらしい。
 涼は二日前に店のお金を持ち逃げしていなくなったらしくて、藤枝たちは、まず、涼が住んでいた部屋を捜索し、そこでわたしの情報を入手して、この部屋へやってきたとのこと。驚きの内容だったけど、それよりもショックだったのは、わたしは涼からなにも知らされていなかったということだ。

 冗談じゃない。

「行き先を知らねぇのなら、仕様がねぇなぁ。まァ、松坂はあちこちに女作っていたみたいだから、別の女と逃げたってところか? 残念だったな、あんた。あの野郎に遊ばれていただけなんて同情するワ」

 ホント、冗談じゃない。

「ま、待って!」
 背を向けようとしていた藤枝の腕をつかんだ。
 わたしが見てきたものはなんだったのか。
 なにが本当で、なにが嘘で、なにも気づけずにいたわたしはなんだったのか。疑うことすらしなかったわたしはなんだったのか。
「——お願い、待って」
 小・中・高と、記号のように扱われてきた。大っ嫌いな両親から逃れるために、卒業後すぐに家を飛びだした。最も不満を感じていたのは、誰もわたしをひとりの人間として見てくれなかったことだ。だから嬉しかった。涼がわたしを選んでくれたことが。わたしをひとりの人間として扱ってくれたことが本当に嬉しかった。
 そう思っていた。
 そう思っていたのに、わたしは人間ではなく女性として——欲望の対象として——性別だけを見られていたのかもしれないという事実は頭の中をグチャグチャに引っ掻き回されるような、胸の中や臓器を引き裂かれてわしづかみにされるような、どうしようもない痛みと混乱の極みであって、いや、それだけで済むもんか。だから決めた。決断したのだ。
 このままでは終わらせないって、心に決めた。

「待ってください」


 働きはじめてから三ヶ月にも満たない販売の仕事をその日のうちに辞めた。
 涼から紹介されたことのある人たちを、直接訪ねて回った。
 東の空に陽が登ってから日付が変わるまで、歩いて回った。
 歩いて歩いて歩き回って、沢山聞いて尋ねて回って、
 みんなが涼に関して口にするのは、悪い噂話ばかりだった。

 わたしは涼のなにを知っていたんだろう。
 なにを見ていたんだろう。
 なにを理解したつもりでいたんだろう。

 人に会って話を聞けば聞くほど、わたしが如何に無知であったかを思い知らされる結果となった。


 情報を集めはじめて四日目のこと。涼と高校時代の同級生だった人物から、涼がお金を盗んだ店のオーナーに見つかって、捕まったらしいとの話を聞いた。
 わたしは藤枝から受け取った名刺に書かれていた住所を訪問して、藤枝と再会した。
 そこは市街地にある薄汚い倉庫のような場所だった。
 涼を見つけたんですか。
 いまどこにいるんですか。
 居場所を知っているなら教えてください。
 尋ねると藤枝は心底迷惑そうな顔をして、「知らん」のひとことでわたしを追い返した。
 ここで諦めるわけにはいかない。引きさがるわけにはいかない。
 涼に会わなきゃ。
 会ってたしかめなきゃ。
 訊きたいことが沢山ある。いってやりたいことも沢山ある。
 だからわたしはしつこく訪問した。藤枝の名前を倉庫の前から大声で連呼したりもした。

「…………」
 倉庫の扉が開かれ、藤枝が顔を覗かせる。
「入れ」
 そういってもらえたのは、訪問三日目の午後だった。
 ごねられてもっと長引くだろうと思っていたので、意外と早く願いは叶えられた。
 倉庫に入るなり、藤枝はいった。
 わたしの斜め前に立って、芝居がかった口調で。
「どこで聞いたのか知らねぇが、松坂を捕まえたなんて話はデマだよ。デマ。でもなぁ、おれもちょっとした噂話を耳にしたんだ。本当かどうかは知らねぇが、松坂は船に乗って九州へ逃げたって話だ。ははは……嘘をつくなって顔するんじゃねぇよ。九州に行く手段はあるんだよ、いろいろとな。実際、おれの部下は何度も九州上陸を果たしてるよ。販売する商品を集めに上陸して、一週間ほど滞在しているんだ。ま、松坂が九州に逃げたってのはあくまでも噂話にすぎないが、もしもあんたが、その目で確かめたいっていうのなら、同行させてやってもいいぞ」そこで間をおき、いやらしく笑った。「近々、おれの部下が九州に上陸する予定があってな。あんたはどうする?」
「どうする……って」
 胡散臭い話だった。
 藤枝が聞いた噂話ってものが本当の話なのかどうかわからない。
 涼の同級生から聞いた話のとおり、涼は藤枝に捕らえられて、どこかに監禁されているのかもしれない。
 九州に上陸したという話は、しつこく訪ねるわたしを追いかえして、二度と訪問させないための方便と考えるのが当然なのだろうけど、
「いつ、上陸するの?」わたしは問い返した。
「ほぉ。行ってみようっていうのか。たいした度胸だな。九州だぞ、九州。上陸しても会えるとは限らないけどな。それでもいいのか?」
「わかってる」わかっているけど、「だったらどうしてわたしにこの話をしたのよ」
 藤枝はおもむろにポケットからタバコを取りだして先端に炎を近づけたが、煙を吸いこまずにしばし静止して、蜘蛛の巣まみれの天井を見つめた。
 ややあって藤枝は顔をさげ、わたしを蔑むような目で見た。
「あんたが、あまりに哀れに思えたんでな、だから教えてあげたんだよ」藤枝は目を細めて、煙を吸いこんだ。
 紫煙が漂い、不快な臭いが鼻についた。
 なぜ九州に逃げたなんて話をわたしに聞かせたんだろう。嘘をつくなら、もっと上手い嘘をつくこともできたはずだ。なぜ九州なのか。なぜ死者が徘徊している九州なのか。藤枝が本当のことをいっているとしたらどうだろうか。わたしのことを哀れに思い――もしくは疎ましく思い、本当の本当に、真実を伝えてくれたのだとしたら、どうだろうか。いや、藤枝は他人から聞いた噂話なんていいかたをしたけど、実は藤枝が涼を捕らえて、九州へ連れて行ったのかもしれない。
 ——なんて、
 考えれば考えたぶんだけ可能性はどんどん広がって行った。

 なにが本当で、なにが嘘なのか。
 わたしはなにを信じ、なにを疑えばいいのかわからなくなったけど、思いつく可能性すべてをあたってみなくちゃ気が済まないし、人から聞いた涼にまつわる噂話や、涼のとった行動、それに未だ連絡のひとつも寄越さない態度が腹立たしくて仕様がなくなっていた。
 藤枝の話はどこまで真剣に聞いていいものか判断つかなかったが、選択するのはわたしで、わたしのひとことで未来は決定する。だからこそわたしは慎重に言葉を選ぶ必要があった——のだけれども、すでにわたしは〝ひとつの未来〟を頭の中に描いていて、その未来へと向けて足を踏みだしていた。
「いつ、九州に上陸するの?」再度、同じ質問をした。語気を強めて。

 動かなければ、たしかめようがないのだから。

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