左手の甲の傷

昨日、生まれてはじめて手術を受けた。
手術とは言っても、1時間もかからない程度のものであり、局部麻酔で行われた。5年ほど前にうっかり作ってしまった左手の甲の傷跡を除去してもらった。

都内の皮膚科で横になりながら、その傷のことを考えた。
私が高校生だったときに、手の甲のムダ毛を眉毛用のカミソリで剃っていて、ごっそりと皮膚の表面を切り取ってしまったのである。そのときはもちろん痛かったが、そのまま放置してしまい、気づいたら5年もの月日が経っていた。
私は高校3年生の夏に家のお風呂場で怪我をしたあと、大学受験をし、大学を卒業し、社会人になり、そして都内の皮膚科に横たわっていたのだ。

なぜその傷をずっと放置したのか。
自分でも不思議でたまらない。

思えば、大学1年から3年までは、まるで暗闇をもがくような時間を過ごしていた。地方出身の私は東京の大学へ進学し、周りの優秀さに圧倒され、自分の存在意義や価値を大きく疑った。大学の環境だけでなく、東京という人の塊の中で自分を見失った。そのときはきっと周りのことも、自分のこともほとんど見えていなかったのだと思う。

とはいえ、大学のサークルの仲間に「その傷はどうしたの?」と何度か聞かれた記憶がある。そのたびに私は「古傷だよ」と冗談めかして応えていた。ときには絆創膏を貼って傷跡が目立たないようにした。

大学4年生の秋に、私は初めて家の近くの皮膚科でこの傷の相談をした。ほかの用があって出向いた皮膚科であったが、ついでに診てもらった。
そのときは塗り薬をもらい、様子を見ることになった。ただ私は薬を塗るのをサボったのである。

そして社会人になってからようやく、本格的にこの手の傷を気にするようになった。絆創膏を貼り、薬を塗り、来る日も来る日も治るのを待った。ただ一向に治らないのである。

あるとき医療従事者ではない知人に皮膚がんではないかと指摘され、不安になった。ネットで調べると恐ろしい症例や病名が並ぶので、怖くなった。
深刻な病気かもしれないという恐怖心もあった。
しかし何よりもそれまでの自分の呑気さが怖い。
5年前にできた傷を「いつか治るでしょう」と考えていた自分がこの世で最も恐ろしい怪物に思えた。

次の日、紹介された皮膚科に足を運んだ。
どうやらケロイドになってしまっていたようだ。
がん化の可能性があるとネットで見たということを伝えると、通常は大丈夫でしょうとのことだった。
手術をすることが一番確実に傷跡を目立たなくする方法であり、その際に切り取った部位を病理に出して心配することがないかを確認できるという説明をその日は受けた。

帰り道、私は嬉しかった。もちろん100%問題ないということはないが、5年以上も私とともにあった傷に対処するはじめの一歩を踏み出し、清々しい気持ちで地下鉄に揺られた。

初めてこの皮膚科に来てからおよそ2ヶ月後、私は手術を受けていた。
痛いのは嫌いなので緊張したが、麻酔が効いてからは右手の方に顔を向けて考えた。

この傷を作ってから5年間、なぜ自分は放置し続けたのか。
傷を心配してくれた人、気づかなかった人、見せることのなかった人たちのことを思い出した。
なによりも確実だったのは、私は今人生で一番、自分の世話をよく焼いていることであった。

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