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具体と抽象を行き来する
今日は、2つのエピソードから私が気づいたことを、note記事に書くつもりでした。ちょうど、似たようなエピソードが2つあったのです。
現象Aは、コルクの佐渡島氏のコラムから
現象Bは、私自身の中国滞在中の経験から
なのに、その経験のとらえ方は全く違っていました。
現象Aでは、今も「創作の根っこ」として佐渡島氏の身体に息づき、
現象Bでは、すでに過去の思い出として引き出しにしまっていました。
何が違っていたのか。一気に書いてみようと思い立ったのもつかの間。
佐藤友美さんのCORECOLORのコラム「エッセイの種の探し方」を読んで、一呼吸置くことにしました。
2つの具体から共通点を抽出して、抽象へ。
思考のプロセスがわかりやすく、わかりやすい故に体の震えが止まりませんでした。哲学的ですらあります。実例が書かれているので、すっと頭に入ってきました。
冒頭の記事につきまして、もう少し抽象化を深めてからと執筆したいと思います。抽象化したほうが、もう一つ発見があるかもしれない。もっと気づきを深めることができるかもしれない。
思考の旅を楽しむ、格好の機会にします!
”エッセイがただの個人的な話ではなく、社会性を持ち「文芸(文章による芸)」になるのは、この抽象化の作業を経た時だと私は思っている”
— えりさ (@elisa_trails55) March 28, 2024
この一文に触れたとき、思考のプロセスがすっと私の頭に入ってきました。具体と抽象の行き来こそがカギ。
いかに抽象化力高めるか、自らの課題にします! https://t.co/ykrdDvuR5K
佐藤友美さんのコラム自体は、翌朝に消えてしまうので、ぜひご一読を。
今後も書く側の人間として、緻密な観察と(看護師の生業ともいえる)、抽象化のこころみを続けたいと思います。
遅くなりましたので、今日はこの辺で。
皆さま、今日もゆっくりお休み下さいませ。
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