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interview Emmet Cohen:1920年代のストライド・ピアノには踊り出したくなるフィーリングがある

近年、オーセンティックなジャズを面白く聴かせる若手がどんどん出てきている。グラミーをとったヴォーカリストのサマラ・ジョイが大きく話題になったが、器楽奏者だとエメット・コーエンはその筆頭だろう。

1990年生まれのピアニストは近年、オーセンティックなジャズの世界を刺激し続けている。ニューオーリンズやラグタイムからコンテンポラリーまでジャズの100年を奏でるようなエメットの演奏は自由でフレッシュ、そして、音楽を奏でる喜びにあふれている。アルバムに『Future Stride』と名付ける彼の音楽は100年前のスタイルに未来を見出すような伝統的かつ挑戦的なもので、ジャズがダンスミュージックだった時代の躍動感や、ジャズがポップミュージックだった時代の華やかさが、現代のジャズの技術と共存している。

その音楽をエメットはインターネットにも積極的に持ち込んでいる。彼はコロナ禍、YouTubeで『エメット・プレイス』というプロジェクトを立ち上げた。ライブが消えた時期に配信でジャズの醍醐味でもあるライブの喜びを伝えるこの企画は大きな反響を得た。その場で起こるハプニング性も含めたライブミュージックとしてのジャズの魅力をリスナーに届けるだけでなく、手元が見えるように工夫された映像によりジャズミュージシャンを目指す若いプレイヤーへのインスピレーションにもなっていた。コロナ禍に最も話題になったジャズ配信は間違いなくエメット・プレイスだった。

ちなみにエメットの日本語でのインタビュー記事はまだほとんどない。ここではエメットについての基本的な話も含めて語ってもらったので、エメット・コーエン入門的なものになっている。エメット・コーエンのジャズへの愛の深さと尋常じゃない知識をお楽しみいただければ。

https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/emmet-cohen/

取材・編集:柳樂光隆 | 通訳:丸山京子 | 協力:ブルーノート東京


◉ジャズを始めたきっかけ

――まずはジャズをやり始めたころの話も教えてください。

3歳の時にスズキ・メソードでピアノを始めて、音を聴いて学ぶ方法でクラシックや他の音楽も聴くようになった。14歳の時にチャーリー・パーカーディジー・ガレスピージョン・コルトレーンフランク・シナトラに触れて、父がモンティ・アレキサンダーのライヴに連れて行ってくれた。それがとてもスウィンギーで喜びにあふれた音楽で、こういうのがやりたいって思った。高校最後の年にはいろんな高校の生徒が集まったオールスターバンドに入っていたんだけど、そのひとつがグラミー・ジャズ・アンサンブル。同世代の仲間と活動して、マイアミの大学で4年学んで、ニューヨークに行ったのが2012年。今はまさに夢のN Yジャズライフを送ってるよ。

――お父さんがモンティ・アレキサンダーのコンサートに連れて行ってくれるなんて、お父さんも相当なジャズ・マニアなのでは?

父はいろんな音楽を聴いていました。父のおかげで僕はブロードウエイ・ミュージカルやクラシックも観たし、レイ・チャールズジミー・スミスも10歳くらいで観ることができた。それに通っていた高校がNYに近いニュージャージ・モントクレアで、そこはクリスチャン・マクブライドビリー・ハートのようなミュージシャンがたくさん住んでいた地域。だから、若い時から本物に触れることができた。それもあって自分のジャズに対する思いも強いのかもしれないね。

――ニュージャージー育ちですが、それはジャズ・ミュージシャンとして自分の音楽性に影響していますか?

ニュージャージーはN Yのすぐ郊外だからね。NYにはすべてが揃っている。音楽に限らずあらゆるアートやカルチャー、世界中のコミュニティがあり、そこから生まれるクレイジーなまでのエネルギーや人との出会いがある。ジャズはそもそもいろんなことをインクルード(含む)するものだから、フォークやカルチャーがあり、ジャズ・ミュージシャンは世界中を旅して、つねに人と出会い、共通点を見出す。ルイ・アームストロングディジー・ガレスピーデューク・エリントンもみんなそうだったと思う。世界を旅して愛と平和の大使のように多様性のある人たちを結びつける。だから自分も旅するのが好きなんだ。音楽を使って人と出会い、国々を結びつけることができるから。

◉夢中になったジャズピアニストたち

――エメットさんはジャズの長い歴史を網羅するような音楽を奏でていると僕は思っています。そんなあなたが最初に夢中になったジャズ・ピアニストは誰ですか?

初めてライヴを観たモンティ・アレキサンダーオスカー・ピーターソンのサウンドにもすごく惹かれた。シダー・ウォルトンは毎年ヴァンガードでのクリスマス・コンサートに行って、すごくシンプルだけどとっつきやすくて、それでいて深みのあるサウンドが好きだった。

そのほかにもたくさんのアーティストを発見した。アーマット・ジャマルバリー・ハリスバド・パウエルセロニアス・モンク。ビバップのサウンドが好きだったからね。

それから僕の最初のメインの影響源としてはハービー・ハンコックマッコイ・タイナーがいる。僕はここから音楽に深く入り込んだ。

そして、NYに引っ越してからは、アーリー・ジャズのミュージシャンにも興味を持つようになった。ウィリー・ザ・ライオン・スミスファッツ・ウォーラージェイムス・P・ジョンソンジェリー・ロール・モートンメアリー・ルー・ウィリアムス、もちろんアート・テイタム。僕はアーリージャズをあらゆる時代の音楽とベストな方法で結びつけようとしたんだ。敬意を持ってね。あと、僕はジャズに限らず、フォークやブラック・ミュージック、クラシックなどいろんな音楽を含んだものに惹かれているんだ。

◉モンティ・アレキサンダーのこと

――最初に名前が出たモンティ・アレキサンダーはどんなところが好き?

まだ14歳くらいだったから、音楽のことはよくわからなかったけど、ライヴ会場で生まれる喜びにあふれたハピネスな空間が良かった。とてもハードなスウィングだけど、みんなが一緒にスウィングしているのにインスピレーションを感じた。まだ若かったので、どうやったらこうなるんだろうって、好奇心が一番だったかもね。

――一緒にスウィングしてハピネスを分け合うって、いまエメットさんがやっていることそのものですよね。

そうだね(笑)。若い時に経験できたことが重要だったんだと思う。

◉オスカー・ピーターソンのこと

――名前が挙がったオスカー・ピーターソンのサウンドについては?

やっぱり喜びかな。スピリチュアルな部分とのコネクションも感じる。クールなサウンドだけどそれ以上のものを感じるし、踊りたいとか笑顔になるとか。その中には教会的なものもあるし、そう感じている人もいると思う。オスカーは、理解するのにさらに成熟度を必要とする音楽に出会うきっかけになってくれていると思う。

――では、オスカーを入り口にその次に行ったところは?

オスカー・ピーターソンハンク・ジョーンズアート・テイタムと繋がっていた。それから彼はルイ・アームストロングエラ・フィッツジェラルドとも共演していた。オスカー・ピーターソンはトリオで活動していて、何よりそのトリオでたくさんの人と共演していた。僕はオスカーのその部分から大きなインスピレーションを得たんだ。例えば、クラーク・テリーレスター・ヤングともやっている。

それにエラ&ルイとの共演だってある。その時のドラムはバディ・リッチなんだよね。

オスカー・ピーターソンのグレイト・トリオではベースはレイ・ブラウンでドラムはエド・シグペンだよね。

でも、その後、ルイス・ヘイズがドラムを叩いている時期もある。

彼を通じてすべてのジャズにつながってくる。特にハーモニクスのところで繋がってる。僕はそこに興味を持っているんだ。

◉1920年代にインスパイされた”Live from Emmet’s Place”

――たとえばアート・テイタム時代のスタイルってエメットさんの得意にしているところだと思うけど、その時代のジャズの魅力はなんですか?

自分は音楽を通じて、すべての時代の音楽が好きだってことを教えられたし、それが人に与えてきた影響もそう。いまハーレムに住んでいて、コロナ禍に”Live from Emmet’s Place”っていう配信をやっていたんだけど、それは100年前に行われていたレント・パーティ(※1920年代にハーレムの黒人たちが家賃を賄うために行っていたパーティー。そこでダンサブルなストライド・ピアノやブギウギが演奏され、リンディホップと呼ばれる即興性の高いダンスが行われた)と同じ。つまり”狂騒の20年代”と言われた禁酒時代、ダンスが禁止されていた時代にジャズ・ミュージシャンがやっていたことと同じなんだよね。それはハーレムで行われていて、まさにいま自分が住んでいる場所で起こっていたこと。だから時代はまわるんだ。古いからダメなんてことは絶対なくて、偉大なアートは永遠。ピカソが古いからやめようってならない。天才は天才で永遠なんだ。

――エメット・プレイスはインターネット時代のレント・パーティだったんですね。しかも、コロナ禍に家賃を稼ぐための。

そうそう。みんなをバーチャルで招待しているんだよ。

◉ストライドピアノの魅力

――それは素敵ですね。ストライド・ピアノやビ・バップ以前のスタイルを美しく取り入れているミュージシャンが今、多くて、エメットさんもそのひとりだと思います。あなたはあらゆる時代のスタイルを取り入れていますが、『Future Stride』なんてタイトルをつけるくらいなので、ストライド・ピアノには特別な思い入れがあるんじゃないかと思います。その時代の良さ、魅力を聞かせてもらえますか?

やっぱり聴いていてすごく気持ちがいい。オリジナル曲を演奏しても「ああ、いいね」くらいの反応だとしても、20年代のストライド・ピアノを弾くとみんな踊り出したくなるファンキーなフィーリングがある。それは元々ブラック・アメリカン・ミュージックが持つ踊らせるシンコペーションがそうさせるんだと思う。考えすぎずに気分よくなれるってところが自分も好きだし、それが必要な人が多いんじゃないかな。

スコット・ジョプリンを小さいときに聴いて大好きになって、その後、ジェリー・ロール・モートンを発見した。ジェリー・ロール・モートンは同じ曲でも異なるインプロヴァイズできるんだって気づかせてくれて、自分のインプロに対する考え方を広げてくれた。

ストライドピアノはセクションでできている音楽で「Carolina Sout」のように6~7セクションあるような曲なんだけど、そこでは自由に即興演奏ができるんだ。「I GOT RHYTHEM」は32小節に少しの(=2小節)タグが加えられたものを繰り返すんだけど、そこでも自由な即興ができるんだ。ストライドって同じスタイルなんだけど、ふたつの曲には異なる体験ができる。ストライドにも捉え方、アングルがいろいろあるから探究したいなと思っている。

――ラグタイムやストライド・ピアノを発見するきっかけは何だったのでしょう。

スコット・ジョプリンに10歳の時に出会った。友達とルイ・アームストロングを聴いて、このアール・ハインズのピアノってなんで他と違うように弾けるのって興味を持って、どんどん掘っていった。

◉ライヴで体験することの意義

――先ほどシダー・ウォルトンのクリスマス公演に行っていたって話が出ましたが、どういうところが好きでしたか?

すごく知的なプレイヤーというか、オーガナイズする力があるというか。トリオの使い方に知性を感じるし、伴奏する時もシンプルだけど複雑でもある。バド・パウエルウィントン・ケリー、そして、アート・テイタムとの繋がりも感じるよね。それをレコードで聴くだけでなくて、ライヴで観たのが大きかった。

――実際にライヴで観たことの違いってなんだと思いますか?

レコードとの違いは会場のバイブレーションかな。この間、チャールズ・マクファーソンと話していて、彼は当時、チャーリー・パーカーを生で見て考え方が変わったって話をしてくれた。「これか!」って感じだったらしい。もちろんレコードも素晴らしいし、いまはライヴ・ストリーミングもあるし、ラジオだってあるし、自分の部屋で聴くことももちろんできる。なんであれ、ジャズはバイブレーションを感じる音楽。パーティーみたいなものだよね。それにソーシャルな音楽だと思うから、その場でみんなが感じるバイブレーションがあるかないかの違いってことかな。

◉レジェンドたちとの交流

――いろんなレジェンドと共演していますが、実際に会って話したり、一緒に演奏したりすることにもこだわりがあるのでは?

年上の人と話すと、両親や祖父母もだけど、どうして自分が存在するのかがわかるようにスピリチュアルなものも含めた深いものが学べる。音楽もそうだと思う。

NYに出てきたとき、ディジー・ガレスピーのバンドで演奏したことがあって、もうディジーはもういなかったんだけど、そこには当時88歳のジミー・ヒースがいたんだ。彼から「チャーリー・パーカーと共演したんだ」とか「パーカーにサックス貸したら、彼は僕のサックスでライブをやったんだ」とか、「一緒にディナーに行ったんだ」とか、「ジョン・コルトレーンと一緒に育ったから、彼とビッグバンドで隣に座って演奏していたんだ」とか、「コルトレーンとハングアウトしたら、ベニー・ゴルソンがいたから、彼とも共演できた」、なんていろんな逸話を聞いたんだけど、ああ、これが本物なんだなって実感できた。

いま『Masters Legacy Series』ってリリースをやっていて今度5枚目になるんだけど、彼らにとっては自分が最後の若い世代になるかもしれないから、シェアしたいし、彼らをもっと世に知らしめたいって気持ちもあってやってるんだ。それに僕は彼らから学びたいこともたくさんあるし、一緒にやると学べることも多いんだ。

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